琉球の摂政
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2014年3月) |
琉球王国における摂政(しっしー、せっせい)は、琉球王国の王府における官職の一つである。国相や王相、諸司代とも称した。天皇の摂政とは異なり、三司官の上に立つ琉球で最高位の官職であり、国家の政治を行う(「聴邦政[1]」)のが任務であった。
歴史
[編集]史書では義本王代に英祖が任命されたのを最初としている。のちの第一尚氏王統では、程復や王茂、懐機といった中国人がこの職に就いた。第二尚氏王統では、6代尚永王の代までは任官が知られず、7代尚寧王の代に、具志頭王子や菊隠、佐敷王子が任官されている。
金武王子朝貞の以降、常設するようになるが[2]が、実際的な政務は三司官が執っており、したがって形式化したとも見なされる。ただし向象賢・羽地按司朝秀のように積極的に実務に関わり、政治改革を推し進めた者もいる。基本的に王族である王子・按司位の者から選ばれ、按司の者が就任する場合は、摂政就任に伴い位階も陞り、王子位となった[3]。