琉球の五偉人

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琉球の五偉人』(りゅうきゅうのごいじん)は、伊波普猷真境名安興による共著で1916年小沢書店から出された出版物。1961年沖縄タイムス社による刊行の『伊波普猷選集(上巻)』、1975年1993年平凡社の『伊波普猷全集(第7巻)』、1993年琉球新報社の『真境名安興全集(第4巻)』にも収録されている。

概略[編集]

本書中に取り上げられている琉球史上の五人の人物をして、書名を『琉球の五偉人』とするが、当初から一冊の本として出版するために執筆されたものではなく、伊波普猷がすでに発表していた論文「沖縄の代表的政治家」をベースとし、さらに真境名安興が執筆した稿を追加し、単冊本として発刊されたものである。

なお、現代の沖縄で語られる琉球の五偉人は、本書の存在をぬきに五偉人の人物のみを認識しているのが大方で、五偉人の定義が本書を端緒とすることはあまり知られていない。

琉球の五偉人(その人物)[編集]

各人の詳細についてはそれぞれの項目を参照のこと。

中国から伝来したサツマイモの普及に尽力し、黒砂糖の製造法の習得と普及につとめる。尚寧王の日本行にも随行し、木綿織の技法を持ち帰った。琉球産業の恩人として知られ、那覇の世持神社に祀られる。
薩摩侵入後の琉球の政治方針を確定。政と祀を分離するなどの改革を行うほか、『中山世鑑』の編纂もおこなった。尚質王尚貞王の摂政を勤め、王子位に昇る。琉球に「黄金の箍」を嵌めた人物。
篤学者。琉球における最初の学校明倫堂創設の建議や、中国より持ち帰り『六諭衍義』を頒布するが、これが日本にも広まり江戸・明治期の庶民教育の基盤となった。
三司官としてさまざまな政治改革を行い、琉球の発展に寄与した。史書編纂事業にも力をそそぎ、親子二代にわたって『中山世譜』を編纂している。
王朝時代末期の三司官として、琉球の近代化への扉を開いた。また私人としては和歌に親しみ、八田知紀に師事。当代きっての優れた歌人であった。