王離

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王 離(おう り)は、中国の人物。


王 離(おう り、生没年不詳)は、秦の将軍。字は明[1]王賁の子。王翦の孫。始皇帝から二世皇帝の代まで仕え、陳勝・呉広の乱で活躍したが、項羽に敗れた。

経歴[編集]

紀元前219年、武城侯に封じられる。

紀元前208年章邯の命で渉間・蘇角と共にを攻め、趙王歇張耳が籠る鉅鹿を包囲した。章邯自身は、王離たちのために補給線を確保した。その攻撃は凄まじく、鉅鹿は陥落寸前に追い詰められた。張耳の盟友である陳余や各国は趙を救援したが、秦軍の勢いを目の当たりにし、陣を築いて見守るばかりであった。

紀元前207年、楚の項羽の命を受けた当陽君・蒲将軍が趙に来援するが、この戦いも有利に進める。しかし、項羽に補給線を断たれて兵糧が不足し、さらに章邯が項羽に敗れて撤退してしまう。これを好機と見た敵の援軍の総攻撃を受けてついに敗れ、渉間は自殺し、蘇角は戦死し、自身は捕虜になった。その後の処遇は不明である。

王離には王元、王威のふたりの息子があり、王元は琅邪王氏の祖、王威が太原王氏の祖となったと伝わる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 新唐書』宰相世系表二中による。

参考文献[編集]

  • 司馬遷史記』秦始皇本紀、項羽本紀、白起王翦列伝、張耳陳余列伝、黥布列伝