猪熊隆之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
いのくま たかゆき
猪熊 隆之
生誕 (1970-08-01) 1970年8月1日(47歳)
日本の旗 日本 新潟県
国籍 日本の旗 日本
出身校 中央大学(法学部政治学科)卒業
職業 気象予報士(山岳専門)
著名な実績 エベレスト登頂の補助(登山隊参加、気象情報の提供)

猪熊 隆之(いのくま たかゆき、1970年昭和45年)8月1日 - )は、新潟県出身の山岳専門の気象予報士[1]。また国立登山研修所の講師・専門調査員、ならびに中央大学山岳部の監督を務める[1]2011年平成23年)には日本初となる山岳専門の気象会社ヤマテンを設立した[1][2]

概要[編集]

新潟県出身[1]。その後神奈川県で育ち[1]神奈川県立平塚高等学校を卒業後、中央大学法学部政治学科に入学。幼少期以来の山への憧れから大学で山岳部に入部し登山の経験を積んだ[1][3]。山岳部時代、合宿での富士山登頂時に強風にあおられ転落し左足に粉砕骨折凍傷を伴う重傷を負い、一時は左足の切断も危ぶまれた[1]。卒業後一時は会社員となるも、母校の中央大学がチベットチョムカンリへ遠征隊を派遣することを知り、退社して再トレーニングに専念[1]。その後は学生時代からの15年間でチョムカンリの他エベレストの西稜などに登攀した[1]

しかし2005年平成17年)、大学時代の古傷の後遺症から[3]骨髄炎に罹患して登山の継続が困難となり、ハイキングツアーを扱う旅行会社を離職[1]。その後子どもの頃から関心のあった気象の分野に挑戦することを考え、1年間の勉学を経て2007年(平成19年)[3]気象予報士の資格を取得した[1][3]。その折に登山家の竹内洋岳からかけられた言葉をきっかけに「山の天気予報」というビジネスを思いつくに至り、同2007年に山岳気象・海洋気象を手掛けるメテオテック・ラボに所属[1]。さらに2011年(平成23年)9月5日長野県茅野市に株式会社ヤマテンを設立し代表取締役に就任[2]、公益法人日本山岳会が配信する「冬山天気予報」のサービスを請け負っている[3]。さらに同年からはかつて自身が所属した中央大学山岳部の監督に就任している[1]

活動[編集]

2008年(平成20年)春に日本人登頂隊がエベレストにアタックした際、他国の登山隊が悪天候の予報を受け取り下山を決める中、山頂部は晴天であるという正確な予報を提供し日本人登頂隊のアタックを成功に導いたことで「山の気象予報士」として国内外に認知されるようになる[3]テレビ番組の登山企画や映画の撮影における登山隊員としての随行経験が多く、テレビ番組では「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系列)や「世界の名峰グレートサミッツ」(NHK)の撮影に、映画では東宝の『春を背負って』や東映の『草原の椅子』の撮影に参加した[4]。登山隊としての活動以外では気象講座に関する活動を多く行っており、各地で山岳気象の講演会や実地での気象講習登山を行っているほか、「岳人」「山と渓谷」「PEAKS」などの山岳雑誌で気象講座の執筆を手掛けている[4]

著書[編集]

  • 『山岳気象大全』 山と渓谷社、2011年ISBN 9784635210034 
  • 『山岳気象予報士で恩返し : 「山の天気屋さん」の毎日は、ヒヤヒヤ・ドキドキ』 三五館、2013年ISBN 9784883205974 
  • 『山の天気リスクマネジメント』 山と渓谷社、2014年ISBN 9784635043403 
  • 『安全登山の基礎知識 : 「山の知識検定」公認BOOK』 スキージャーナル、2015年ISBN 9784789921428 (共著)

脚注[編集]

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m “不死身の登山家、不屈の人生:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/people/20110915.html 2016年7月21日閲覧。 
  2. ^ a b 会社案内”. ヤマテン. 2016年7月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 近藤幸夫 (2016年1月25日). “「雲や風の気持ちで考える」すご腕の山岳気象予報士:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞). http://www.asahi.com/articles/SDI201601217572.html 2016年7月21日閲覧。 
  4. ^ a b 猪熊隆之”. ヤマテン. 2016年7月21日閲覧。