独立門

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独立門
独立門
各種表記
ハングル 독립문
漢字 独立門
発音 トンニンムン
(トンリンムン)
日本語読み: どくりつもん
文化観光部2000年式
英語
Dongnimmun
Independence Gate
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1897年当時の独立門。左手に柱を残して撤去された迎恩門。中央に慕華館を改名した独立館

独立門(どくりつもん)は、大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の西大門独立公園(서대문 독립공원))内にある門。1896年11月21日定礎、1897年11月20日完成。徐載弼の案をもとにロシア人建築家のアファナシー・イバノビッチ・セレディン=サバチン(Афанасий Иванович Середин-Сабатин)が設計施工した。扁額李完用の作品である。

概要[編集]

徐載弼が独立門建設の意義を表明した『独立新聞1896年7月4日の記事

高さ14.28m、幅11.48m。約1,850個の御影石から作られている。フランスパリエトワール凱旋門を模して作られた。史跡第32号(1963年1月21日指定)。1979年に整備事業により本来の位置から北西に70m移動された。

日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせた。これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に建設された。また、迎恩門に隣接して建てられた慕華館(모화관)は独立館(독립관)と改名された。建設には、朝鮮の開化派の独立協会が中心となり、募金を募り建てている。

朝鮮が何年も清国の属国であったが、神様の恩恵で独立され、朝鮮大君主陛下が今は世界の首脳と同等な立場となり、朝鮮人民が世界にまたがる自由な人になったがゆえに、このようなめでたいことを無視するのは道理ではない。朝鮮が独立したことを世界に知らせ、また朝鮮の後生に、この時から朝鮮が永遠に独立したことを伝えるためにも表迹(表象)が必要であり、また朝鮮人民が養生するには新鮮な空気を吸い、景色が良く静かな場所で運動をすべきである。慕華館に新しく独立門を建て、その周辺を公園にして千秋万歳自主独立した公園であると伝える志である。

-『独立新聞1896年7月4日「論説」[1]

勅命によって独立協会が解散されたのち、独立館は一進会の演説会場となり、聴衆が増えて独立館が手狭となったため、その北側に八角堂が建設された[2]

清からの独立を記念したものであるが、韓国では独立門建設の歴史背景が正しく教えられておらず[3]、そのために独立門はしばしば「日本からの独立」を記念する門であると誤解されているという[3][4]

だからこそ、日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で中国に初めて『朝鮮国の独立』を認めさせた時、これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して独立門を建てた。これが今も大韓民国ソウル特別市にある独立門だ。つまりこれは『中国からの独立』を記念して建てられたものであり、朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。現在ある場所に建てられたのも理由がある。ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって土下座以上の屈辱的な三跪九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。骨の髄まで中国文化(儒教文化)に染まっていた朝鮮は漢民族の国家である明が滅ぼされ、遊牧民族が清を建てた時、『野蛮人には従えない』と明に義理立てした。怒った清は朝鮮に「征伐軍」を送り、朝鮮の仁祖王を追い詰め『土下座(正確には三跪九叩頭礼)』をさせて服属させた。これは『神話』ではない、事実である。しかも、清国皇帝は『お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え』と強制し、歴代国王に三跪九叩頭礼を強制した。その場所が『迎恩門』なのである。日本が清に勝ち、朝鮮の独立を認めさせた時、まず朝鮮人たちが行なったことが迎恩門の破壊であった。そして、募金によって独立門が建てられたのだ。ところが、韓国の若い世代はこのことを知らない。『有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった』などというデタラメが学校で教えられているからだ。独立門前で『この独立って、どこの国からの独立?』と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ『日本からに決まっているだろう』と答える。しかし、そこで『でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは一八九七年だ。韓国併合は一九一〇年だし、光復(独立)は一九四五年だろう。それ以前の話なんだよ』と言うと、彼等は絶句し思考停止してしまう。

2009年10月28日、周囲を整備して独立公園としてリニューアルオープン。ひとつの公園にしたことにより西大門刑務所歴史館の施設などと関連性を高め、従来より訪れやすい環境を作った。

脚注[編集]

  1. ^ 金容賛による論文『近代朝鮮におけるナショナリズムと「シンボル」の機能に関する一考察 』による訳文[1]
  2. ^ 韓国経営 P.77 加藤政之助 1905年
  3. ^ a b 萩原遼井沢元彦 『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』 祥伝社2011年ISBN 978-4-396-11257-8p87-p89。
  4. ^ 井沢元彦 (2011年12月8日). “ソウル独立門の由来に現地若者「日本からだ!」→正解は中国”. 週刊ポスト. 2016年9月10日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯37度34分20.25秒 東経126度57分35.23秒 / 北緯37.5722917度 東経126.9597861度 / 37.5722917; 126.9597861