狗子仏性

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狗子仏性(くしぶっしょう)は、の代表的な公案のひとつ。『無門関』第1則、『従容録』第18則では「趙州狗子」。「趙州無字」とも言う。

概要[編集]

一人の趙州和尚に問う。

「狗子に還って仏性有りや無しや」(大意:にも仏性があるでしょうか?)。

趙州和尚は「無」と答えた。

これを巡る公案である。

『無門関』の著者である無門慧開は、「纔渉有無 喪身失命(わずかに有無に渉れば 喪身失命す)」の頌曰で結んでいる[1]

五燈会元[編集]

中国代の禅書『五燈会元』(ごとうえげん)の第4には、この続きが書かれている。

僧はまた問うた。

「上は諸仏より下は螻蟻に至るまで皆仏性あり、狗子甚麼として却て無きや」 (大意:あらゆるものに仏性はあるとされるのに、なぜ犬にはないのでしょうか?)

趙州和尚はまた答えた。

「尹(かれ)に業識性の在るが為なり」 (大意:欲しい、惜しい、憎いなどの煩悩があるからだ。)

僧は更に問うた。

「既に是れ仏性、什麼としてか這箇の皮袋裏に撞入するや」 (大意:仏性があるならなぜ犬は畜生の姿のままなのでしょうか?)

趙州和尚は更に答えた。

「他の知って故らに犯すが為なり」 (大意:自他ともに仏性があることを知りながら、悪行を為すが故である。)

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『無門関』 西村恵信訳註 岩波文庫 「一 趙州狗子」。