「マルガレーテ・フォン・エスターライヒ (1346-1366)」の版間の差分
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マインハルト3世の死から8か月後の[[1364年]]2月、マルガレーテは[[ボヘミア王]][[ヨハン・フォン・ルクセンブルク]]の息子[[モラヴィア辺境伯領|モラヴィア辺境伯]][[ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク|ヨハン・ハインリヒ]]と再婚した。ヨハン・ハインリヒはマルガレーテの最初の夫の母チロル女伯マルガレーテの最初の夫であったが、虚弱で無能を理由に結婚を解消された。ただし、その後を考慮すると、これらの理由は不当なものであったといえる。ヨハン・ハインリヒにとって、マルガレーテは3番目の妃であった(最初がチロル女伯マルガレーテ、2番目がマルガレーテ・フォン・ラーティボーア)。この結婚でも子供は生まれなかった。 |
マインハルト3世の死から8か月後の[[1364年]]2月、マルガレーテは[[ボヘミア王]][[ヨハン・フォン・ルクセンブルク]]の息子[[モラヴィア辺境伯領|モラヴィア辺境伯]][[ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク|ヨハン・ハインリヒ]]と再婚した。ヨハン・ハインリヒはマルガレーテの最初の夫の母チロル女伯マルガレーテの最初の夫であったが、虚弱で無能を理由に結婚を解消された。ただし、その後を考慮すると、これらの理由は不当なものであったといえる。ヨハン・ハインリヒにとって、マルガレーテは3番目の妃であった(最初がチロル女伯マルガレーテ、2番目がマルガレーテ・フォン・ラーティボーア)。この結婚でも子供は生まれなかった。 |
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マルガレーテは[[1366年]][[11月14日]]に20歳で死去した。再婚から3年経っていなかった。[[ブルノ]]の{{仮リンク|聖トマス教会|en|Church of St. Thomas (Brno)}}に埋葬され、後に2度目の夫ヨハン・ハインリヒもここに埋葬された。 |
マルガレーテは[[1366年]][[11月14日]]に20歳で死去した。再婚から3年経っていなかった。[[ブルノ]]の{{仮リンク|聖トマス教会 (ブルノ)|label=聖トマス教会|en|Church of St. Thomas (Brno)}}に埋葬され、後に2度目の夫ヨハン・ハインリヒもここに埋葬された。 |
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2022年8月10日 (水) 15:08時点における最新版
マルガレーテ・フォン・エスターライヒ Margarete von Österreich | |
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出生 |
1346年 神聖ローマ帝国 オーストリア公国、ウィーン |
死去 |
1366年11月14日 ボヘミア王国、 モラヴィア辺境伯領、ブルノ |
埋葬 | ボヘミア王国、 モラヴィア辺境伯領、ブルノ、聖トマス教会 |
配偶者 | チロル伯マインハルト3世 |
モラヴィア辺境伯ヨハン・ハインリヒ | |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | オーストリア公アルブレヒト2世 |
母親 | ヨハンナ・フォン・プフィルト |
宗教 | キリスト教カトリック |
マルガレーテ・フォン・エスターライヒ(ドイツ語:Margarete von Österreich, 1346年 - 1366年11月14日)は、オーストリア公アルブレヒト2世とヨハンナ・フォン・プフィルトの娘。
生涯[編集]
マルガレーテは幼少期にチロル女伯マルガレーテの息子マインハルト3世と婚約し、1359年9月4日に2人の結婚式が行われた。1361年以降、マインハルト3世は母マルガレーテの共同統治者となったが、2年後の1363年6月13日に死去した。この結婚で子供は生まれなかった。
マインハルト3世の死から8か月後の1364年2月、マルガレーテはボヘミア王ヨハン・フォン・ルクセンブルクの息子モラヴィア辺境伯ヨハン・ハインリヒと再婚した。ヨハン・ハインリヒはマルガレーテの最初の夫の母チロル女伯マルガレーテの最初の夫であったが、虚弱で無能を理由に結婚を解消された。ただし、その後を考慮すると、これらの理由は不当なものであったといえる。ヨハン・ハインリヒにとって、マルガレーテは3番目の妃であった(最初がチロル女伯マルガレーテ、2番目がマルガレーテ・フォン・ラーティボーア)。この結婚でも子供は生まれなかった。
マルガレーテは1366年11月14日に20歳で死去した。再婚から3年経っていなかった。ブルノの聖トマス教会に埋葬され、後に2度目の夫ヨハン・ハインリヒもここに埋葬された。
参考文献[編集]
- HAMANNOVÁ, Brigitte. Habsburkové. Životopisná encyklopedie. Praha: Brána ; Knižní klub, 1996. 408 p. ISBN 80-85946-19-X.