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'''建水分神社'''(たけみくまりじんじゃ)は、[[大阪府]][[南河内郡]][[千早赤阪村]]にある[[神社]]である。通称'''水分神社'''。'''水分大明神'''、'''上水分宮'''とも称する。[[延喜式]]の[[河内国]][[石川郡]]建水分神社にあたる。
'''建水分神社'''(たけみくまりじんじゃ)は、[[大阪府]][[南河内郡]][[千早赤阪村]]にある[[神社]]である。通称'''水分神社'''。'''水分大明神'''、'''上水分宮'''とも称する。[[延喜式]]の[[河内国]][[石川郡 (大阪府)|石川郡]]建水分神社にあたる。


古来より[[金剛山 (日本)|金剛山]]鎮守として、また[[楠木氏]]の氏神として崇敬された。
古来より[[金剛山 (日本)|金剛山]]鎮守として、また[[楠木氏]]の氏神として崇敬された。


==由緒==
==由緒==
[[崇神天皇]]5年([[紀元前92年]])創建。
[[崇神天皇]]5年[[紀元前1世紀|紀元前92年]]創建。


[[建武]]元年([[1334年]])、[[後醍醐天皇]]の勅命を受けた[[楠木正成]]が社殿を現在地に遷し、本殿、拝殿、鐘楼などを再営された。[[延元]]2年(1337年)4月27日、[[神階]]正一位を授けられる。
[[建武]]元年([[1334年]])、[[後醍醐天皇]]の勅命を受けた[[楠木正成]]が社殿を現在地に遷し、本殿、拝殿、鐘楼などを再営された。[[延元]]2年(1337年)4月27日、[[神階]]正一位を授けられる。

2006年11月22日 (水) 07:41時点における版

建水分神社
所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村水分357
主祭神 天御中主神
社格 式内社(小)・府社
創建 崇神天皇5年
本殿の様式 水分造
例祭 4月25日
10月第三土曜日
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建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村にある神社である。通称水分神社水分大明神上水分宮とも称する。延喜式河内国石川郡建水分神社にあたる。

古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬された。

由緒

崇神天皇5年(紀元前92年)創建。

建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が社殿を現在地に遷し、本殿、拝殿、鐘楼などを再営された。延元2年(1337年)4月27日、神階正一位を授けられる。

中世、織田信長軍の河内国攻略の際、社領を没収され一時衰退するも、豊臣秀吉が社領を寄進し、復旧される。

祭神

例祭

  • 4月25日:春祭
  • 10月第三土曜日:秋祭

摂末社

  • 摂社:南木神社
    • 祭神:楠木正成公(大楠公)
    • 延元2年(1337年)4月創建。
  • 末社:金峯神社

文化財

  • 本殿:重要文化財
    • 本殿は三殿で構成されている。中殿に一間社春日造、左右両殿に二間社流造、各殿を渡廊で連結するという全国でも珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。

その他

  • 戦艦金剛艦内には当社より建水分大神が勧請されている。

外部リンク