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一方[[千葉県]]は、過去の[[幕張メッセ]]での開催実績を上げ、東京都がメディア規制を行った場合の代替開催地として開催受け入れを申し出ており、最近では誘致と解釈できる発言も一部に聞かれている。だが、この千葉県の方針に対しては、特に幕張開催時代を知るコミケの参加者の反応は拒絶反応とも言えるものが多く、東京都に対して以上に冷ややかである。これは長引く平成不況による財政悪化とイベントの減少や他施設(特にビッグサイト)との競合による幕張メッセの稼働率低下から、やはり収益源として確保したいという意図が明白である他、過去のコミケに為された仕打ちから「勝手な都合でコミケを追い出しておいて、今度はまた勝手な都合で受け入れて、そのうち社会情勢の変化で都合が悪くなったらまた追い出すつもりだろう」という、ネガティブなイメージが非常に根強く、その不信感が全く払拭されていない為である([[#幕張メッセ|前述]])。とはいえ、万一にも東京ビッグサイトでの開催が不可能になった場合(2016年東京オリンピックが開催された場合起こる可能性がある)、首都圏でこれに代替できる大会場となれば千葉県の幕張メッセ以外に選択肢がないのも現実である。
一方[[千葉県]]は、過去の[[幕張メッセ]]での開催実績を上げ、東京都がメディア規制を行った場合の代替開催地として開催受け入れを申し出ており、最近では誘致と解釈できる発言も一部に聞かれている。だが、この千葉県の方針に対しては、特に幕張開催時代を知るコミケの参加者の反応は拒絶反応とも言えるものが多く、東京都に対して以上に冷ややかである。これは長引く平成不況による財政悪化とイベントの減少や他施設(特にビッグサイト)との競合による幕張メッセの稼働率低下から、やはり収益源として確保したいという意図が明白である他、過去のコミケに為された仕打ちから「勝手な都合でコミケを追い出しておいて、今度はまた勝手な都合で受け入れて、そのうち社会情勢の変化で都合が悪くなったらまた追い出すつもりだろう」という、ネガティブなイメージが非常に根強く、その不信感が全く払拭されていない為である([[#幕張メッセ|前述]])。とはいえ、万一にも東京ビッグサイトでの開催が不可能になった場合(2016年東京オリンピックが開催された場合起こる可能性がある)、首都圏でこれに代替できる大会場となれば千葉県の幕張メッセ以外に選択肢がないのも現実である。


しかし、それでもコミケ参加者たちの幕張メッセへの不信感は極めて根強い。流言や誤報の類ではあるが、東京都の表現規制に関連する形で過去にコミケのビッグサイトからの移転という噂が流れた事があるが、その際にも移転先として幕張メッセは全く上がらず、[[インテックス大阪]]など主に関西圏の施設の名が上がっていた程であった。
しかし、それでもコミケ参加者たちの幕張メッセへの不信感は極めて根強い。流言や誤報の類ではあるが、東京都の表現規制に関連する形で過去にコミケのビッグサイトからの移転という噂が流れた事があるが、その際にも移転先として幕張メッセは全く上がらず、[[インテックス大阪]]など主に関西圏の施設の名が上がっていた程であったが、コミケの性格上、首都圏以外の定期開催はあり得ない


2006年現在、東京都の方針に対して、コミックマーケット運営側からは具体的な声明や方針は出されていない。しかし、表現規制そのものがコミックマーケットの理念と相反する為、自らコミケスタッフでありかかわりの深い、[[山口貴士]]弁護士はコミケカタログに「児童ポルノ規制が同人界に悪影響を及ぼす」との声明を出したり、コミケ会場で青少年健全育成条例に反対する署名が集められている。また、現状でも会場の制約やテロ対策などから、徐々にではあるがコミックマーケットの規制は増やされている。とはいえ、東京都側からなんらかのより具体的な政治的アプローチがない限り、イベントそのものの存続可否を含めて現状維持は困難と言わざるを得ない。
2006年現在、東京都の方針に対して、コミックマーケット運営側からは具体的な声明や方針は出されていない。しかし、表現規制そのものがコミックマーケットの理念と相反する為、自らコミケスタッフでありかかわりの深い、[[山口貴士]]弁護士はコミケカタログに「児童ポルノ規制が同人界に悪影響を及ぼす」との声明を出したり、コミケ会場で青少年健全育成条例に反対する署名が集められている。また、現状でも会場の制約やテロ対策などから、徐々にではあるがコミックマーケットの規制は増やされている。とはいえ、東京都側からなんらかのより具体的な政治的アプローチがない限り、イベントそのものの存続可否を含めて現状維持は困難と言わざるを得ない。

2006年11月22日 (水) 01:23時点における版

コミックマーケット参加者の入場待機列(東京国際展示場西館付近にて撮影)

コミックマーケットComic Market、通称コミケあるいはコミケット)は、コミックマーケット準備会が主催する世界最大の同人誌即売会である。

概要

毎年8月(通例、旧盆にかかる週末)と12月(通例、12月29日・30日)の年2回、東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催される。開催期間は2日間ないしは3日間。8月に開催されるものは夏コミ、12月に開催されるものは冬コミと呼ばれる。2006年現在、開催回数は定期開催だけで70回を数える。

春季にも開催されていた時期があり、当時は春コミと呼ばれていたが、2006年現在『春コミ』と言えばHARUコミックシティのことを指す。これはコミックマーケットの関与しない別のイベントである。

コミックマーケットは回を重ねるごとに大規模化し、それに伴い一般にもその存在が広く知られるようになった。2004年夏に行われたコミックマーケット66の公式記録によれば、3日間東京国際展示場を借り切った状態でサークル参加者数は3万5000サークル、一般参加者数は延べ51万人にも上った。サークル参加者に提供するブース(「スペース」という単位で呼ばれる)は極端に不足しており、一部の大手などを除いて抽選によって応募のおよそ半数が選ばれている。

特徴

コミックマーケットは世界最大の同人誌即売会であり、屋内で行われるイベントとしても世界最大であるが、規模だけであれば「スーパーコミックシティ」など、これに迫る同人誌即売会がないわけではない。

コミックマーケットが他の数多くの同人誌即売会とは別格に扱われる理由は、あらゆるジャンルを受け入れる大規模即売会という点にある。

他の同人誌即売会では、たとえ大規模なイベントであっても、参加するサークルのほとんどがその時その時の流行ジャンルを追った内容の頒布品ばかりであるのに対し、コミックマーケットではあらゆるジャンルのアマチュア制作品を対象としており、多種多様な同人愛好家たちが自作の物品を展示、即売し、交流する。漫画・アニメ・ゲーム以外の大衆音楽アイドルグループのファン同人誌の販売、ゴスロリ服やコスプレ衣装、手作りアクセサリーの販売、同人ハードウェア、人形作家による人形の販売、教師看護師航空機パイロット鉄道員等の一般に知られない職業従事者の日常が描かれたもの、またペットガーデニング紅茶などの愛好家による同人誌まで、現代日本のさまざまなサブカルチャーが一同に集う場となっている。

マイナーなジャンルや作品を愛好する参加者たちにとって、コミックマーケットは唯一の作品発表の場・作品を入手する場・参加者同士の交流の場であり、それを主目的としていない参加者たちにとっても、普段出会えないような作品を探し出し、新たな楽しみを見つけられる場である。

このため、サークル参加者の多くが年間スケジュールをコミックマーケット開催周期に合わせており、コミックマーケット以外では同人誌の頒布を行わないというようなサークルも多数存在する。そのため転売され同人誌ショップにおいて、限定品として高値で流通される場合がある。一般参加者にとっても、特に東京近郊以外の地方の在住者たちにとって、コミックマーケットは憧れの存在となっている。

※参加者の区分については“参加者たちの区分”の節を参照。


イベント名に関して

コミックマーケットはコミケット(Comiket)あるいはコミケ(Comike)という略称で呼ばれることが多い。開催開始当初はコミック=マーケットと表記していた。このイベントの正式名称である「コミックマーケット」及びその略称・俗称である「コミケット」「コミケ」は、いずれもコミックマーケットの運営法人である有限会社コミケットが1998年(平成10年)商標登録している(商標登録までされているくらいなので、公式の略称としても差し支えない)。

但し、商標登録前から「○○コミケ」という名称で開催された同人誌即売会も存在し、その場合、「○○コミケ」という名称が例外的に認められている。 そのため、「コミックマーケット」ではない同人誌即売会も「コミケ」であると錯覚する場合がある。

また、最近になってコミックマーケットの存在を知ったばかりの若い年代層の間では、他の似通った形態の同人誌即売会も一律に「コミケ」と呼ぶ傾向があり、全国各地で開催される同人誌即売会も「○○コミケ」という名称で開催されることが多い。これは家庭用ゲーム機をまとめて「ファミコン任天堂の登録商標)」と呼んだり、ヘッドホンステレオオーディオプレイヤー全般を「ウォークマンソニーの登録商標)」と呼ぶようなものであり、本来不適切な呼び方である。

しかし、同人誌即売会に関わる人達にとって「コミックマーケット=同人誌即売会の模範」とされることが多いため、それだけコミックマーケットの影響力やカリスマ性は大きく、コミケの普通名詞化には抵抗を感じる人も多いが、「漫画・アニメを主体とした同人誌の即売会」を表す一般的な普通名詞は存在せず、普通名詞化はやむを得ないという見方もある。

開催回数の数え方

コミックマーケットでは、開催されるたびに「コミックマーケット○○」と呼び、○○に回数を入れる。コミックマーケットはさらにCと略す。たとえば、2005年8月12日~8月14日に開催されたコミックマーケットは「コミックマーケット68」、略して「C68」と呼ぶ。「第68回コミックマーケット」ではない。ただし、初回は「第1回コミック=マーケット」であった。現在の形式は、C4~C5のころに固まったようである(コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』より)。これは、コミックマーケット準備会そのものが形式的には開催1回毎に解散及び結成を繰り返し、連続した団体としての体裁を持たないというスタイルから来たものである。(この様式はC69まで続けられたが、開催ごとに解散を繰り返さないC70以降も呼称としてのCXXは継続されている。)ただし、核としての有限会社コミケットは継続する。また、定期開催以外の「コミケットスペシャル」は、独立して回数が計算され、定期開催の回数には含まれない。

参加者たちの区分

コミックマーケットでは、自ら同人誌を発行しない、購入のためだけに来る者(いわゆる「買い専」)を含め、すべて参加者と呼ぶ。参加者は対等であり、「お客様」は存在しないとの理念からである。主な区分は以下の通りである。

  • サークル参加者
同人サークルとして参加し、コミックマーケットより与えられた個々のブースで同人誌やグッズ等の頒布を行う参加者たち。
  • 企業参加者
コミックマーケット企業スペースに参加する法人・各種団体。また、出版社・放送局など営利目的の取材も含む。
  • スタッフ参加者
コミックマーケット準備会のスタッフとして参加し、各種作業を行う参加者たち。「まさに地獄!!」とスタッフ募集で紹介されたことがあるほど忙しいとされる。無償のボランティアだが、弁当など飲食物とサークル参加申込書が支給される。また、サークル参加の抽選で有利になるといわれる(通常のサークル参加申し込み封筒は薄赤色だが、スタッフ参加者用は水色にして区別を付けている。通称「青封筒」)。
スタッフ参加には、事前の「拡大準備集会」に複数回参加する必要があり、また開催時は設営から撤収までの通日参加が原則となっている。
  • 一般参加者
上記のいずれにも当てはまらない参加者たち。唯一、参加の事前申請、登録が不要となっている。

これらの区分とは別に、以下のような形での「参加者」もある。

  • 委託参加者
スペース取得に落選した、居所から遠いために参加できない等の理由で、他のサークル参加者あるいはコミックマーケット準備会に同人誌その他の頒布を委託した者。来場していない(つまり、実際には参加していない)場合もあれば、一般参加者として参加している場合もある。
  • コスプレ参加者
コスチューム・プレイを行う者たちを指す。開催当日の登録が必要。コミックマーケット自体への参加は、サークル参加・一般参加のいずれかに属する(コミックマーケットではコスプレは副次的なものであり、独自の参加枠があるわけではない)。最近は企業参加者の中にコスプレをした企業社員やコンパニオンらもいるが、これを指してコスプレ参加者とは看做さない。前述のコスプレ参加者とは参加要件が異なるためと思われる。

なお、サークル参加及びコミケットスタッフへの参加は義務教育修了年齢に達するまで許可されない。

カタログ

コミックマーケットは前述の通り多くのサークルが参加するため、目的のサークルをいきなり会場で探すのは困難である。このため準備会では、会場内の地図と参加する各サークルの紹介を兼ねた「コミックマーケットカタログ」を刊行している。参加サークルは毎回異なるので、カタログも対応する回にのみ適用される。なお、印刷は共信印刷が担当している。

カタログはおおむね開催の1ヶ月ほど前から、大手書店や同人ショップ、コミケットサービスによる通販などで販売される。開催中には会場内および場外の待機列付近でもスタッフによって販売される。

数万のサークルを紹介するカタログのページ数は千ページ以上にも及ぶため、本文には特製の薄い用紙(日本製紙製「ヘンリーコート R-50」)を用いているものの、カタログ全体の厚さは数センチ、重さは数キロに達する。用紙の性質上、質量比が非常に高いことも特徴である。それゆえ、持ち歩く際に分冊する者も少なくないことから、一時期は開催日ごとに分冊化しての発行を試みていたが、一方のみ売れ残るなどの問題が解決できず1冊に戻った。

多くの同人誌即売会ではカタログ購入が入場の条件となっているが、コミックマーケットでは購入義務はない。しかしながらカタログは、公式サイトにアクセスしない一般参加者に対して、コミックマーケットでの注意事項やルール、マナーを伝える手段でもあるため、準備会では熟読を呼びかけている。

巻末には、参加者から一コマ漫画形式で募集した意見や感想を話題ごとにまとめた「まんがレポート(MR)」が掲載され、読み物として人気を集めると共に、マナーの向上や問題提起、疑問の解決などに一役買っている。他、読み物としての記事には、前回の開催内容を紹介する「アフターレポート」、準備会からの告知やアンケートへの返答を行う「コミケットプレス出張版」、コミケの諸事情を風刺したDr.モローによるショートコミック、コミケビギナーのためのアドバイスコーナー「Comi-Navi」などが存在する。

なお、C56からは従来の冊子型のカタログに加えCD-ROM版のカタログも登場している。パソコンで扱えるデータと言うこともあり、各種検索機能や以前のCSV形式で保存したチェックデータからサークル・作家のスペースをチェックできるなどの機能が搭載されている。発売は冊子版の約1週間後となる。

近年では販売促進のため、各販売店が独自の特典を付けて販売することも多い。特典の種類としては、クリアファイル、バッグ、折り畳み傘、扇子、タオル等、会場で役立つような実用品に人気作家のイラストを入れたものが中心である。また、購入者の性別や冊子版とCD-ROM版の別によって異なる特典が用意されるケースも存在する。

参加者たちの年齢層・男女比などの内訳

参加者の中心層は高校生から30代ぐらいまでとされるが、下は保護者同伴の未就学児から、上は70歳代後半の参加者もいるとされる。社会人の参加者の中には、仕事で得た賞与のそのほとんどをこのコミックマーケット開催期間内で散財する者もいる。

一般参加者の男女比については統計がない。コミックマーケット66でコミック文化研究会(九州大学助教授杉山あかし)が準備会と共同で、試験的に計測した結果では、男性がやや多いかも知れない、との結果を得たという。サークル参加者に関しては、第1回コミックマーケット開催当時から一貫して女性参加者が多い。時期によって男女の比率は大きな変動があるが、女性サークルが男性サークルを下回ったことはない。ただし、女性はマスメディアに取り上げられることを望まない参加者が男性よりも多く、そのため、ある時期までは一般の報道では男性参加者ばかりが注目される傾向にあった。2006年現在でも、メディアの報道は、参加者数の割に男性に偏っていると言える。また、女性は参加を周囲に秘密にしている者が多いようである。

また、近年では海外(主に東アジア欧米)から様々な人種の参加者も増えてきている。参加形態も一般参加者だけでなくサークル参加者もあり、一部には行列のできるサークルとなっている者も居る。

定期開催以外のコミケット

  • コミケットスペシャル
1978年5月に行われた、定期開催以外では初のコミケット。運営費の赤字を救済するために行われたイベントであったが、結果として赤字を更に増大させてしまった。
  • コミケットIN一橋祭
1978年11月に、一橋大学学園祭の一環として行われた。
  • さよなら晴海!!コミケットスペシャル
コミケット20周年記念として1996年3月に開催。晴海国際見本市会場が東京国際展示場(ビッグサイト)へと役目を引き継ぎ閉鎖されることとなったため。サークル招待制、一般参加事前申し込み制で開催。
  • リゾコミ in 沖縄(コミケットスペシャル3)
コミケット25周年を記念して2000年3月に沖縄県宜野湾市で開催。開催直前に宜野湾市の教育委員会に成人向け同人誌数冊とともに怪文書が送られた。
  • 30周年記念24耐(!?)コミケットスペシャル4
コミケット30周年記念として2005年3月に開催。設営から撤収までの全てを開催日の深夜0時から24時間以内で行ない、サークルも午前と午後で総入れ替えを行った。このイベントは成功したという見方が圧倒的。準備会側では少々の赤字を出すにとどまった。

コミックマーケット準備会とその関連企業

コミックマーケット準備会代表

氏名 在任期間 回数
原田央男 1975年~1979年? C1~C12?
米澤嘉博 1980年~2006年 C14~C70
安田かほる
筆谷芳行
市川孝一
2006年~ C71~

初期は「迷宮」による運営で、実質的には原田、亜庭じゅん、米澤、高宮成河の4人が中心となっていた。名称も「準備委員会」であったり「準備会」であったり一定しなかった(C1では「準備委員会」)。米澤は、準備会が現在の(独立した組織としての)原形を持つ(ようになった)のは自身が代表になってからとしている(コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』)。原田は、1979年7月28日7月29日開催のC12を最後に、準備会の運営から離れた。

その後、米澤は約26年間の長期にわたって代表を務めたが、体調不良のため、C70を最後に退任した(準備会による退任発表 なお、米澤はこの発表の翌日に死去)。米澤夫人の米澤英子は代表補佐でもあったが、夫の退任後も補佐に留任した。

C69までは準備会は常設の組織ではなく、コミックマーケット開催のたびに結成し、終了後解散する形を取っていた。従って、日常の業務は次項の有限会社コミケットが請け負う形であった。 しかし、個人情報保護法の施行により、C70以降は解散する事無く継続して存在するようになった。

有限会社コミケット

コミックマーケットはその会員の集会という扱いになっている。しかし、イベント開催規模が大きくなってからは、任意団体のコミックマーケット準備会では通常の事務作業とその作業場所の確保、会場借り上げの契約を行うことができなくなった。そこで、1985年に株式会社コミケットを設立してそれを行うこととした。後に有限会社(2006年5月より特例有限会社)となり現在に至る。社長は米澤嘉博氏が準備会代表と兼任していたが、氏の死去により(代表とは異なり、最後まで現職であった)米澤英子が後任となった。

業務はコミックマーケット準備会からサークル配置データの提供を受け、コミックマーケットカタログを製作。代わりに会場と契約して場所を提供している形になる。その他の業務としては中古同人誌を取り扱う古書店「コミケットサービス」、同人誌以外の古書・古洋書・ミリタリーグッズを扱う「B-Maniacs」を運営している。

株式会社コミケプランニングサービス

コミックマーケットカタログやカタログCD-ROM・次回申込書の通販業務を行うほか、コミックマーケットにて同人誌委託コーナーの運営もしている。その他の業務としては同人誌即売会のコミッククリエイション・サンシャインクリエイションを開催している。通称CPS。

共信印刷株式会社

共信印刷(■同人誌印刷■共信印刷株式会社(同人こんびにKyoshin))は、東京都文京区印刷会社。コミックマーケットのカタログ印刷を、創刊から現在に至るまで全て担当している。同人誌印刷会社としても大手である。

歴史

コミックマーケットの歴史は、同時に開催場所移転の歴史でもある。以下でそれを追ってゆく。

コミックマーケット開催まで

1970年代に入り、SF小説や映画などに積極的に興味を示す人々が出現し、同時に表現の場としての同人誌が制作されるようになったことから、時代の潮流として大型の同人誌即売会の開催が求められるようになった。そんな中で出現したのがコミックマーケットである。

コミックマーケットを立ち上げるまでに至った主なきっかけの一つは、SF大会を模して開催された「日本漫画大会」や、流行の端境期に直面していた旧来の漫画への反発といったものだった。また、「日本漫画大会」を批判したある前回参加者が参加を拒否された事件があったことから、「迷宮」はこれを告発するとともに、コミックマーケットでは批判者を排斥しない理念が形作られることになった。そして、「日本漫画大会」や「マンガフェスティバル」などではイベントの一つであった同人誌即売会を独立させ、「ファンのファンによるファンのためのイベント」を目標にした。

日本消防会館会議室

C1(第1回)のコミックマーケットは1975年12月21日、漫画批評集団「迷宮」主催の下、東京・虎の門の日本消防会館会議室において、参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約700名で開催された。 開催前日には合宿も行われ、アニメソングが高歌放吟されたという、SF大会の影響の濃いものだったらしい。また、参加サークルの半分近くを学漫(学校内クラブ活動としての漫画研究会)が占め、萩尾望都作品を中心とした少女漫画ファンクラブがそれに次いだ。主催者によると、入場者の9割余を「中・高校生の少女まんがファンを中心とした女子」(前掲『コミックマーケット30'sファイル』)が占めたという。

このC1以降、春・夏・冬の学校の休みに合わせて、年3回のコミックマーケット開催が定着する。なお、「迷宮」とコミックマーケットはその後分離した。しかし、現在でも「迷宮」はサークル参加での永久スペース取得権を有している。帳簿上、コミックマーケット準備会は「迷宮」からの借金が残ったままになっており、その代償という形を取っているという。

この会場は第一回のみである。

板橋産業連合会館から都内各産業会館

1976年にはC2からC4の春・夏・冬コミが板橋産業連合会館で開催される。この頃はまだ参加サークルは100に満たない状態だったが、1977年C5に大田区産業会館に移った頃から入場待ちの行列ができるようになっていく。途中、四谷公会堂と東京都立産業会館・台東館を1度ずつ使用したものの、結局1979年いっぱいまで同館の使用は続き、同館最後の開催となったC13では、参加サークル300弱、参加者約4,000人と、コミックマーケットは確実に大きくなっていった。また、参加サークルにおける学漫の占める割合は低下し、オリジナルの創作系が増えていった。また『宇宙戦艦ヤマト』などアニメのファンサークルの参加も目立ちだした。特に「ヤマト」「ガンダム」のブームと、非常に初期の、現在で言う「おたく」が出現したことは、コミックマーケットを牽引する大きな原動力となった。

この時期を最後に「迷宮」は運営から手を引き、コミックマーケットは組織として独り立ちしたらしい。「迷宮」は1980年、創作漫画専門の同人誌即売会「まんが・ミニ・マーケット」をコミックマーケットの補完として開催した。これは、コミックマーケットの規模拡大で、売り手と買い手、作者と読者、さらにはファン同士の交流が薄れ始めたため、適正規模の即売会を別に設けようとしたためという。また、頒布物における二次創作物の割合が高まったため、純粋なオリジナル創作だけの場を設けるべきではないかという話もあったという。1981年にMGM(Manga Gallery & Market)と改称、2006年現在も存続している。

川崎市民プラザから横浜産貿ホール

1980年から1981年にかけて川崎市民プラザで4回開催されたコミックマーケットは、参加サークル350~400、参加者約7,000人規模で推移するが、すぐに会場が手狭になった。横浜産貿ホールを2日間使用したC18では、ついに参加サークルが500、参加者が1万人を上回った。この時期、『うる星やつら』のファンサークルが激増、ロリコンブームと相まって、男性参加者が本格的に進出。現在の男性向創作分野の基礎が作られる。「シベール」の行列が館外に作られ、今の壁サークルの走りとなったのもこの時期である。

晴海(1期)

1981年の冬コミであるC19は、当初川崎市民プラザで開催される予定であった。しかしそこに分裂騒動が起こり、反主流派(クーデター派、改革派と名乗った)は先手を打って会場を抑えてしまった。規模拡大に伴い、規制強化が必要と認識したからとも、既に力を持ち始めていたコミックマーケットの名声に目が眩み、乗っ取りを謀ったからともいう。また、声優を呼んだり、アニメの上映会を開いたりできないかとする意見があり、コミックマーケットには合わないと却下された経緯もあったという(ただし、後者は後年、企業ブースとしてコミックマーケットでも実現する)。こうして、コミケット準備会は望まぬままに東京・晴海にあった東京国際見本市会場(通称晴海)の使用に踏み切った(分裂した側は「新・コミックマーケット」を名乗り、後に「コミックスクウェア」と改称した。しかしいつまで続いたのかは不明である。また、2006年現在、現存する同人誌即売会の「コミックスクエア」とは無関係である。「コミックスクウェア」終了後、一部は「コミックレヴォリューション」開催に加わったともいう)。

以後、コミックマーケットの会場は6年間にわたって晴海に落ち着く。その間、参加サークル、参加者数共に増大を続け、1983年冬コミのC22において参加サークルは1,000を越え、第一期晴海時代の最後の開催であるC30には3,900サークル、約35,000人が参加するに至る。また、この間に1983年を最後に春コミが廃止された(後に一度だけ開催される)。この間、1985年ころから『キャプテン翼』(『C翼』と略された)が女性サークルに絶大な人気を呼び、作品を題材にしたいわゆる「やおい」サークルが増加。若い女性参加者を大きく増やすこととなった。1983年よりスタッフに加わった岩田次夫は、『キャプテン翼』ブームが少女漫画再生の鍵になると見て、やおいサークルを激賞。『キャプテン翼』そのものは少年漫画であり、にもかかわらず女性がほとんどを占めたことが同人サークルの特異性である。ブームから外れた時期になるが、1992年のC43での公表データによると、『C翼』サークル代表者は男性6、女性1083で、女性比率は99%を超えている。少年漫画(特に「週刊少年ジャンプ」作品)サークルが女性中心の傾向は現在でも変わっておらず、むしろ出版社側も利用する動きがある。

また、岩田はサークル情報などの事務管理のコンピュータ化を企画・実行し、急激な膨張に対応した。これは、参加可能なサークル数を増やすことで、人材発掘・育成を進める狙いもあったという。岩田はスタッフの第一線を退いた後も、「イワえもん」の愛称で親しまれ、同人誌評論などの活動で影響力を持ち続けた。岩田は2004年に死去したが、現在でもカタログや参加申込書にはイワえもんが欠かさず登場する。

東京流通センター

他イベントとの競合により晴海会場の確保が困難になったため、1986年冬のC31から翌冬のC33まで、平和島にある東京流通センター(TRC)を使用した。会場面積の減少を補うため2日間開催を実施。この間、4,400サークル、4~6万の参加者を獲得した。また、ジャンル別にサークルを割り振る、ジャンルコードが導入された。

晴海(2期)

TRCでの2日開催でも人員を収容しきれなくなったコミックマーケットは、翌1988年のC34より晴海に戻ることになった。この時期に至って事務管理のコンピュータ化が確立し、第34回では倍以上の9,200サークルを参加させることができた。この間も会場確保は困難を極め、1988年冬の予定だったC35開催に至ってはついに確保できず、翌1989年3月に行われた(これが、通常開催では最後の「春コミ」)。また、1989年夏のC36では、サークル数1万、参加者数は10万人の大台に乗った。

C36の直前、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件被疑者(現在死刑囚)が逮捕された。被疑者は「おたく」であり、コミックマーケットにサークル参加予定であったことから、世間受けや視聴率稼ぎを狙ったマスコミの「おたく」叩きの一環として、コミックマーケットにも非難の手が及んだ。コミックマーケット参加者を「ここに10万人の宮崎勤容疑者がいます!」と非難した報道(TBS)もあった。皮肉にもこの事件が、コミックマーケットの一般への知名度を大きく高めることになった。

幕張メッセ

晴海の全館2日使用ですら収まりきらないほどに巨大化したコミックマーケットは、1989年冬のC37より千葉県の当時国内屈指の巨大イベント会場であった幕張メッセに会場を移した。

翌冬のC39には参加者25万人を数えるに至り、コミックマーケットはこのまま幕張に落ち着くかに見えた。しかし、次のC40開催の直前に、猥褻図画摘発問題と幕張メッセ側からの申し出により突然使用不能となってしまう。幕張メッセ側は警備上の問題などを理由としていたが、事実上の厄介払いを食らった格好なのは誰の目にも明らかであった。

この出来事が現在までのコミケの歴史の中では最大の危機であったとする者は少なくない。その事もあり、当時を知る参加者のほとんどがいまだに幕張メッセに対して極めてネガティブなイメージと強烈な不信感を抱いており、これについては現在もほとんど払拭されていないと言っていい(当然ながら、比較的新しい参加者にはこのようなイメージは比較的少ない。また公式には、準備会として積極的な批判も避けている。しかし、古参参加者から語られるなどして、新しい参加者の多くも知識として知るところではある)。

なお、この際に幕張はもとより千葉市周辺のホテル群では数十億円規模と言われる金額の宿泊予約のキャンセルが出たとも言われ、ホテルと従業員はその対応に追われることになった。前年同時期の幕張ホテル群の稼働率は事実上100%であり、近隣からは珍しく全ての窓に明かりが燈っていると言われたが、この年は殆どの窓は暗く沈黙したままであり、コミケが生み出す経済効果の大きさをうかがわせた。

また、宿泊施設以外への影響も小さくなく、幕張でのコミケ開催がなくなったという情報の周知の徹底がなされなかった為に、前年同時期のデータを元に食品類やドリンク類を大量発注した最寄り駅周辺のコンビニエンスストアが大量の不良在庫を発生させ、売れ残ったおにぎり・サンドイッチ・弁当などのデリカ食品類について大量廃棄に追い込まれる事態も見られた。幕張周辺の飲食店等についてもやはり前年同時期に比べて収益が1/10以下に落ち込んだという店が少なくない。

なお、幕張メッセでは、東京のオリンピック招致に伴いビッグサイトが使用できなくなった際の受け入れ先として立候補する色気を見せているが、当然ながら上記のような参加者のネガティブイメージもあって、公式に決定されているものではない。

晴海(3期)

晴海に別れを告げる看板(C49)

幕張を追い出された形のコミックマーケットを迎え入れたのは晴海だった。1991年夏のC40より1995年のC49まで、コミックマーケットは三度晴海(東京国際見本市会場)に落ち着く。しかし、猥雑図画に対する自主規制の強化は避けられず、見本誌チェックによる規制を導入した。

参加者の膨張はやまず、1992年夏のC42では入場待ちの長蛇の列に折からの猛暑が加わり、数百人が熱中症で救護室に運ばれた(いわゆるジェノサイドコミケ)。また1995年夏のC48は、開催20周年記念として初の3日間開催を行った。

この時期のコミックマーケットにおいて特筆すべきは『美少女戦士セーラームーン』の存在である。同作品は男女両性の読者へアピールしたため、女性作家による男性向け創作が大幅に増えることとなり、この傾向は以後の『新世紀エヴァンゲリオン』のブームへと続いていった。

また、この時期には1980年代末期の『聖闘士星矢』とその成功を受けて製作された『鎧伝サムライトルーパー』などのいわゆる美少年アニメが若い女性のアニメファンの間でブームとなり、これは同人界にも波及していき、この時期に大量の同人誌が製作され、コミケ内のジャンルとしても成立する程になった。しかし、その多くが「やおい」と呼ばれる少年向けアニメの二次創作物としては内容に非常に問題のあるものであった事から、それ以降のアニメ製作会社の二次創作に対する姿勢について大きな影響を与える事にもなった。

そして東京国際見本市会場の閉鎖のため、1995年冬のC49をもって晴海での開催を終え、翌1996年春の「さよなら晴海!! コミケットスペシャル」をもって晴海に別れを告げた。

有明

1996年夏のC50から、コミケは同年完成した東京ビッグサイト(有明)での開催となり、2006年現在もこの有明・ビッグサイトを会場としてコミケが行われている。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが、同時開催の他のイベントからの苦情が来たことから、次のC51では早くもビッグサイト全館貸し切りでの開催となった。1997年夏のC52以降、夏コミは3日間開催が定着し、参加サークルは3万を超えるまでに至っている。冬コミについても、会場の都合により1999年のC57で3日間開催を実施し、以降C63・C65と3日間開催が行われている(C71も3日間開催の予定)。

有明の初期、1990年代後半は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがコミックマーケットを席巻した。『美少女戦士セーラームーン』や各種対戦型格闘ゲームに続く同人誌バブルともいえるこのブームで、コミックマーケットはいっそうの活況を呈したが、一方でコミックマーケットを代表とする即売会以外の同人ショップなどの販売チャンネルを増加させることにもなり、購入場所としてのコミックマーケットの存在価値を相対的に下落させつつもある。しかしながら、同人誌ファンによる一種の「祭り」或いは「年中行事」としてコミックマーケットは今なお存在感のあるイベントである。

90年代後半は、SFというジャンルの存在感がさらに薄れ、「萌え」を打ち出した、90年代後半型オタク向けの同人誌が急激に増加した。このことは、マスコミを中心としてコミックマーケットへの偏見(コミケイコール「萌え」エロ同人誌の即売会である、など)を助長している面もある。

2000年代前半に至ると、同人ソフト『月姫』や『東方Project』などの登場により、同人ソフトを元にした同人誌という、「自己パロディ現象」(ただし前述の作品は同人でもいわゆるオリジナル作品であり、そのパロディ等が出ることは矛盾も重複もしていない)が生じたが、これもコミックマーケットの巨大化の一つの現れといえるだろう。また、『月姫』については製作サークルTYPE-MOONが商業メーカー化に成功しており、音系同人に関してもSound Horizon片霧烈火らがメジャーへの道を辿るなど、漫画以外の表現方法についても同人活動をプロへの登竜門とする流れが生まれつつある。

最近では、参加者の莫大な増加(三日間開催で、のべ40万人以上とも)と、それに伴うジャンルの超多様化(従来の同人活動の概念を逸脱する、オリジナルアクセサリーなどのサークルも出現)が発生し、日本国内のあらゆる「表現」を飲み込んで今もなお成長している。

有明移転後のコミックマーケットで特筆すべき点は、第51回より会場の一部フロアを企業向けにスペースを設置し、これを開放したことである。ビッグサイトの構造の問題からサークルスペースとして使えない西地区4階フロアを、コミックマーケット準備会が企業に販売・プロモーション市場調査の場として提供するようになったのである。このことに対し、当初は「コミックマーケットの提唱する“アマチュア作家たちの表現の場”という理念に反する」と参加者たちから批判の声が相次いでいたが、これは同人の元ネタにされる作品の著作権を保持する企業を、コミックマーケットに直参させ巻き込むことによって参加者たちの同人活動を黙認させるという意図で行っていると推測されている。現在では企業スペースも慣習化したため、当初ほど批判の声は聞かれなくなっており、また、ここで販売・配布される限定商品を目当てに来場しアマチュア作家たちの同人誌には目もくれない、「企業専」と呼ばれる来場者たちも出てきている程である。企業側でも、コミックマーケットが貸し出すこのスペースは高い販売効果が望めるプロモーションの場として注目されており、その結果、近年では同人サークルなどと同様に抽選によって落選する企業まで出るという有様である。

コミケの未来

90年代に入ると、制作技術の革新により各種同人作品の制作が容易となったことなどから、コミックマーケット参加者は急激に増加した。秋葉原・大阪日本橋を中心として全国に同人誌専門店などが増え、インターネットなどを通じて簡単に同人誌が入手できるようになった現在でも、依然として全国の同人作品の制作者とファン(いわゆるオタク)が一堂に会する同人イベントの頂点、同人界最大のお祭りとして存続している。また、法に反しない限りほぼ無制限な、巨大な「表現の自由」の場としても貴重な存在である。

最近では電車男などのドラマや、秋葉原やメイド喫茶などが注目される関連からコミックマーケットにも注目が集まり、比較的一般にも知られるイベントになった。開催日の前後にはコミックマーケットがテレビ番組などで特集されたり、メディアに露出することも増えている。

その一方で、野放図とまで言える参加者の増大によるイベントの巨大化、企業との関係、さらには有害図書やコスプレに絡む性表現の問題、多大な金銭のやりとりによって生じる税務当局との関係、そして最大の課題とも言える著作権の問題など、幾多の問題を抱えながら、コミックマーケットの歴史は今も続いている。

コミックマーケットが抱える問題

漫画を初めとする同人誌同人ゲームの抱える、著作権とパロディを巡る解釈および過激な性的描写にによる表現などの問題は、同人誌の項に詳しい。本項ではその他に、極端な肥大化の進んだコミックマーケットに固有の問題を挙げる。

混雑する場内(C62)

会場容量の限界

現会場の東京国際展示場(ビッグサイト)を超える規模の会場は、日本国内の都市部はもとより、地方でさえ確保することが事実上不可能である(冒頭の「概要」にもあるとおり、すでに屋内イベントとしては世界最大の規模になっている)。参加サークル・一般参加者はそれでもなお増加を続けており、出展希望サークルの多くが抽選によって落選することになる、一般参加者の入場待機列が長大になる、などの問題が深刻化している。

コミケの歴史のごく初期には当日の飛び入りサークル参加や通路での立ち売りも認められていたが、規模の拡大で危険性が増したため、現在では禁止されている。やはり、当初は2スペースまで認められていたスペース取得も原則として1サークル1スペースになった(現在では、頒布部数の飛び抜けて多い超大手サークルに限って、複数スペースを取得することができる。これは大部数を捌くのに必要だからである。しかし事務処理上は1サークル1スペースなので、それ以上のスペースは準備会公認のダミーサークルを用意して必要に応じて登録している。最大限3スペースとされる)。この他、これら大量の参加者が周辺地域に及ぼす環境面や安全面、交通への影響は大きく、開催継続に大きなリスクを生じている(交通混雑の項参照)。また開催時期が時期であり、台場や近隣地域で開催される他のイベントにも様々な影響を及ぼしている(他のイベントとの兼ね合いの項参照)。

数十万人単位の参加者を整然と入場させるために、誘導と会場警備には多くのボランティアが参加しており、概ね協調の取れた行動が行われているが、その参加人数のあまりの増加ペースゆえ、近年ではビッグサイト程の超巨大施設をしても収容能力の限界を露呈している。また、熱狂的ともいえる興奮状態の参加者の行動に起因する事故や、炎天下・低温状態での長時間の待機による体調不良者の集団発生などが、過去にもしばしば見られている。施設内では隘路となるホール入口、階段やエスカレーター、その他にトイレ付近の混雑も著しく、この様な場所や超大手サークル、人気の企業の販売スペース前で発生する巨大な行列での群衆事故や将棋倒し事故などの発生への懸念は、もはや恒常的なものとなっている。

入場待機列を形成するため、例年会場周辺の駐車場及び公園街区が用いられてきたが、有明地域の開発、整備が進むにつれてこれらの空き地は減少しており、さらなる対策が必要とされている。

なお、近年行われた空き地減少に関わる主な要因は次の通り。

会場難を打開するため、上九一色村(現在は甲府市富士河口湖町の一部)の用地を買収し、コミケ会場用に確保するという話もあったという。また、ロシアから空母の売り込みもあったが、維持費が一日1億円という高額のため、買収を断念したという。このほかにも移転の噂が何度か出ている(#東京都の表現規制方針参照)。

テロ行為に対するリスク

年に2回とは言え、現在では2~3日間で延べ数十万人、身動きの取れないほど多くの人間が一カ所に集まる超巨大イベントに発展しているため、テロリズムの標的とされるリスクがここ数年の間、継続的に指摘されている。実際に準備会へはコミックマーケットへ否定的な立場からの脅迫状が送りつけられたり、過去にも会場内で放火が原因と見られるボヤ騒ぎや催涙スプレー散布騒動が発生するなどしている。そのため、会場では定時に安全確認の時間が設けられたり、期間中の場内コインロッカーの封鎖などの対策が取られている。コミックマーケット参加者は並び慣れしており、会場の誘導でも(開始直後は別として)比較的整然と従うといわれている。また、事態を想定した行動計画も作成されているとは言われているが、万一実際に無差別テロ行為が発生した場合、何かのきっかけで一般参加者が一斉にパニック状態に陥る事など容易に想像つくものであり、果たして行動計画通りの対処をして、10万人を超える人間が群衆事故なども無く速やかに安全な場所まで退避できるか、不安視する声が多い。

一般参加者の他にも、人員整理などを行うスタッフについては、末端のスタッフ(数十から数百人)を統括する「ホール長」・「エリア統括」・(一部の担当の)「総統括」等と呼ばれるクラスの者たちでさえボランティアによってまかなわれている。スタッフに万一の事故や犯罪被害が発生した場合の補償についてはイベント保険による経済的補償など一定の規定がある。しかし、ボランティアのスタッフには主催者との雇用関係は存在しないため、事態の発生によりスタッフに生じた医療費や経済的損失について、主催者が行う一時的負担なども含む対処の実効性については疑問視している者もいる。また、特に無差別テロリズムの被害として考えられる火災毒ガス(高致死性ガス)、爆発物、また火災に付随して発生する一酸化炭素中毒などによりスタッフに大量の死傷者や後遺障害者が発生した場合、この様なボランティアで参加し被害にあったスタッフたちに対して、主催者がどの様な人的・物的・経済的な対処を行い得るのか。また、実際に対処能力を有しているのかについては、全くの未知数と言わざるを得ない状態である。またサークルなど一般の参加者については、上記の様な被害を被っても完全に自己責任の範疇で対処しなければならないであろうと考えられている。

現在では混雑する場内の安全対策として長尺物や鋭角の突起がある物の持ち込みを禁止するなど、所持品について一定の規制が行われている。ボディチェックや金属探知機爆発物検知装置による検査など、入場者などの荷物検査も行うべきかの議論も行われているが、予算や手間、検査による入場までの時間の遅延などの関係もあり、現状では議論の進展が見られていない。

また、副次的なものではあるが、現在のコミックマーケットには高い知名度と実力を持つプロの漫画家小説家イラストレーターアニメーターゲーム業界の関係者が相当数参加している。万が一にも、高致死性ガスなどを使用した大規模な無差別テロリズムによりこれらの者たちが多数死傷した場合、日本の出版、アニメ、ゲームなどのいわゆるコンテンツ産業へ及ぼされる被害は激甚なものとなり、これらからさらに放送玩具電機などの各産業へ2次、3次的に波及してゆく影響を考えれば、日本経済が被る損失は億円単位の規模になるとまでいわれている(他方、同人分野からプロを目指している者たちは数万人規模で存在し、業界にとって替わりは幾らでも出てくるから、そこまでの経済損失にはならない、という楽観的な見方も存在する)。

徹夜組

コミックマーケットのみで入手可能な同人誌をできるだけ早く確保するために、俗に「徹夜組」と呼ばれる、数千人規模で前日から会場周辺で徹夜で待機する者たちが現れており、これは治安上の問題に発展している。

徹夜待機行為を準備会は固く禁止しているが、実行者数が多いため排除は困難である。徹夜待機をしている参加者の入場を遅らせるなどの懲罰規定を導入すべきとの意見もあるが、「ビッグサイトや有明周辺だけ取り締まったところで、隣接する台場地区の他、朝一番の電車で入れる新橋や大井町、新木場など、徹夜組の待機する場所がより広範囲になり、かえって対処が困難になるだけで懲罰効果が低い」との理由で消極的である。また、コミックマーケット自体が元々がSF大会でいうところの「合宿」のノリを目指して成立したイベントという事もあり、古参のスタッフも心情的に徹夜組に厳しく言いにくい、という事情もあるようである(SFファンとマンガファン)。

しかし、徹夜待機者の存在は、地域住民や商業関係者の不安を招いているだけではなく、徹夜待機者に対するカラーギャング暴走族などの犯罪組織による「コミケ狩り」と呼ばれる襲撃騒ぎも起こり、治安上の問題を増長している。更に徹夜待機者の中には少なからず未成年者が含まれており、都の青少年条例によって補導の対象となる。そのため、徹夜待機の参加者のためにコミケ主催者が相当額の警備費の出費を強いられているのが現状である。

また、特に冬コミ期間中に気象の急変が発生した場合、会場周辺の屋外で待機している徹夜待機者に、最悪では凍死事故まで発生しかねないという危険性もビッグサイト移転以前の昔から指摘されている。実際、徹夜待機者が夏の高温高湿や冬の寒さで体力を消耗し尽くし、ついにはコミケ会場の内外で倒れ救急車で搬送されたという話は昔から幾度と無く聞かれているものである。また、これまでの30年を超えるの歴史の中で、あからさまにコミケ参加者と断定できる者の会場周辺での死亡事故などが表立って起きず、マスコミ(=特にキー局全国紙)によって報道された事が無いのは奇蹟的である、という声すら存在する。これら徹夜待機者の犯罪被害や事故被害が発生した場合、これがコミケの破綻に繋がってゆく可能性について危惧を抱いている者も少なくない。

年齢層の拡大に伴う影響

コミックマーケットの歴史が積み重ねられてゆくのと共に、オタク世代も年齢層が広がり、小さな子供が親に連れられて参加する様子も散見されるようになった。これに対して、コミックマーケットの混雑状態は子供にとっては危険な環境と言わざるを得ず、事件や事故へ巻き込まれやすい懸念からも子供の参加は好ましくないと考える者も多い。近年ではそれに加えて、一般参加者としての児童・生徒の参加が増加しているため、必然的に成年向け同人誌を目にする機会が多くなり、通常の書店よりも購入が容易になるという問題が発生している。

特に有害コミック騒動児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(児童ポルノ法)などによる法的規制の影響もあり、同人に対して不理解な教育関係者は同人誌全てが卑猥で、かつ低俗なものと誤認識しているため、コミックマーケットに限らず全ての同人誌即売会で18歳未満の児童や生徒が参加することを一律に禁止すべきだという批判の声や、また同人イベントそのものを禁止すべきという発言がなされる事も多い(確かに、書店売りなど同人誌即売会以外で入手できる同人誌にに劣情を催すような内容が多いのは否めない事実であるが、それだけの理由で全て卑猥かつ低俗と決めつけるのは早計であり、ジャンルが多種多様である大部分のサークルは頒布品に性的な要素を持たず、潔しとしないことも多い)。このような批判がコミケのみならず、コミケを模範とした、日本全国で開催される同人イベントにとっても会場を確保する際の障害となるケースも出始めている。

コスプレ

同人誌の売買と共にコミックマーケットの参加様態の一つであるコスプレに対しては、事前登録制、参加が可能な制服の制限(警察官消防士救急救命士自衛官のように公的に重要な職責を有する職業の制服は、偽物でも軽犯罪法第1条第15項に抵触する)、撮影区画の制限、コスチュームのままでの入退場禁止、突起物や肌の露出規制などの対策が施されている。しかし、過度に露出の多いコスプレが警察当局からも指導を受けるなど、一部で問題視されているほか、心ない参加者が隠れて盗撮することも多々あり、それらの写真がインターネットでアップロードされることも多いため、写真全てを取り締まれないなどの問題も残している。

交通混雑

夏はお盆、冬は年末シーズンという人出の多い時期に開催されるため、会場へ行き来する参加者と他の観光施設へ向かう客とで交通機関に大きな影響を及ぼしている。

特に、午前中~昼頃は台場等へ行く観光客と、午後~夕方はそこからの帰宅客と被る場合が多い。臨海副都心へのメイン交通機関ともいうべきゆりかもめは、本質的には中量輸送機関である新交通システム(正確には案内軌条式鉄道)のため、座席を全て撤去しても十分乗客の詰め込みがきかず、事実上コミケ期間専用のダイヤによる臨時増発を多数行うにもかかわらず、積み残し発生(乗車規制はおろか、場合によっては入場規制もある)等の混雑を招いている。

もうひとつの交通機関であるりんかい線は、開業当初は4両編成での運行であったため積み残しを発生させていたが、2002年12月1日に全通してJR埼京線との相互直通運転を開始して10両編成になったことで、混雑は緩和されている(2004年10月までは一部6両編成もあり)。単独運転時代に組まれていたコミケ開催日用の特別ダイヤも、埼京線直通化以降は場合によって早朝に数本の臨時増発があるだけで(これも近年は実施されない)、ほぼ平常ダイヤでコミケに対応できる輸送力が確保されている。

晴海時代にはコミケ輸送の主力を担ってきた都営バス(国展01・02・03)は、前述の輸送機関の充実と時期を同じくして、首都圏で大型ディーゼル自動車への自動車排出ガス規制が行われたことによって旧式な規制未対応の予備車を大量に廃車ないしは売却した事をきっかけに、運行本数を減少させてきている。しかし、現在でも運賃の安さから定期便を含めたバス利用の参加者は多い(東京駅まで、りんかい線・京葉線経由で420円、ゆりかもめ・山手線経由で500円に対し都バスは1乗車200円である)。この他には日の出桟橋発着の海上バスを利用する参加者もいる。

交通機関の混雑については、駅構内での将棋倒し事故などを懸念する声もあるが、都心部~会場への交通機関も多様化しており、選択肢が少なかった時代と比べれば各々の混雑率は下がっているといえる。

他のイベントとの兼ね合い

コミックマーケットの開催期間はお盆と年末に当たるため、周辺地域でも他のイベントが数多く開催される期間に重なっている。

夏コミ期間は中央区主催の東京湾大華火祭と被る場合が多く、花火観覧客と交通規制によってレインボーブリッジや晴海通りが渋滞する。またフジテレビや台場・有明地区の商業施設の夏のイベントも重なり、交通機関や周辺道路が渋滞する。

1988年1989年夏(C34、C36)は同じく東京都内で開催されたテレビ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』の予選と重なった事から、双方の参加者で東海道線東京 - 大垣間の夜行列車、通称大垣夜行は殺人的な大混雑となった。これが大垣夜行の臨時便設定に繋がったとも言われている。事実、東京発着の夜行列車(特に安価な青春18きっぷで乗れる夜行快速列車)が一年で最も混雑するのはコミケ期間とも言われており、青春18きっぷのガイドブックに「コミックマーケット期間中の列車は指定席が取りにくいので注意しましょう」と書かれた事もある。このためか、一部のバス会社や旅行会社では団体ツアー扱いでコミックマーケット会場(もしくは会場近辺)へのバスを運行している所もある。

また、冬コミ期間中には品川区勝島の東京シティ競馬(TCK)が毎年いわゆる年末開催となる。とりわけ7万人前後の来場者を毎年記録する暮れの大一番、統一GI競走東京大賞典については、ここ数年来は12月29日に開催されており日程がぶつかっている。りんかい線が天王洲アイル駅までの部分開業であった頃には、大井競馬場前駅から乗車する競馬観戦の帰宅者と、天王洲アイル駅で乗り換えるコミケからの帰宅者とで東京モノレールが凄まじい混雑となり、コミケ帰りの者たちは大きな荷物を抱えて乗り込んでくる事から競馬帰りの客からかなりの文句が出ていた。これは現在ではりんかい線の全通によりある程度は緩和されてはいるが、今度はりんかい線や京浜東北線を利用する帰宅客の為に競馬場からの無料送迎バスが発着する大井町駅などの混雑が著しくなっている。現在ではTCKが年末開催において最終競走を17時50分頃に設定する薄暮競走「プチ・トゥインクル」を行っているが、これについては馬券の売り上げ確保の他、このコミケからの帰宅者と競馬観戦の帰宅者を時間帯的に分離させ、公共交通機関の混雑を緩和させる事も大きな目的であると言われる。なお、夏コミの時期についてはTCKが「トゥインクル・レース」期間中で、メイン競走が20時20分頃の発走であるため、冬コミ時期の様な問題は発生しない。

2002年冬のC63では29日にパナソニックセンター有明スタジオM-1グランプリという漫才芸人の選手権大会が開催され、これの設営が28日、撤収が29日深夜~翌30日早朝に掛けて実施される事から徹夜組との混乱が予想された事があった。実際に同人サークルが横のつながりを利用して告知し合い、関係情報が掲載されたサイトも1ヶ月前頃より見受けられた。なお当日は目立った混乱もなく、結果的にこの心配は杞憂に終わった。

また、翌2003年冬のC65でもM-1グランプリとコミケ期間は重なり、有明スタジオで開催する以上コミケ期間と重なった場合における混乱の心配は避けられないと考えてか、2004年以降のM-1グランプリは会場が変更された。

そして2006年冬のC71では近隣の有明コロシアムで開催されるマッスルミュージカル2006 in 有明コロシアムと日程が重なる(12月29、30日)ことが早くも懸念材料とされている。

コミックマーケットにとっての将来的な課題としては、2016年夏季オリンピックの開催地として東京都が国内立候補地となった事が挙げられる。開催7年前の2009年10月2日に開かれる第121次IOC総会で、東京でのオリンピック開催が決定した場合、臨海地域がメイン会場となり、東京ビッグサイトは水泳競技の会場に、有明地域は選手村となることが計画されており、周辺にも競技が計画される施設が多数あるため、その影響が懸念されている。

コミケ参加者の中にはオリンピック開催によりコミケが開催不能になると考えて、東京でのオリンピック開催に反対する者さえ現れている。

ダミーサークル

人気サークルのコミケ限定同人誌を入手するなどの目的で、一般参加者より早く会場へ入場できるサークルチケットを入手するためにサークル参加する者がいる。サークル参加の落選率の上昇に繋がるなどの理由から問題になっている。詳細はダミーサークルを参照。

尚、この問題とは別に、サークル参加者が開場前に人気サークルに並ぶフライング行為により、人気サークルに長蛇の列ができ、ルールを守った一般参加者が人気サークルの同人誌を入手できない場合があり、後述するサークルチケット転売とともに問題化している。

東京都の表現規制方針

コミックマーケットは先に記載の通り多種多様な同人活動の愛好家の交流の場であり、法や倫理に触れない限り「表現の自由」を何より重んじている。しかし、2000年以降、青少年健全化を目的として、著作物・創作物の(主に性的表現に対する)表現規制が強く主張されるようになってきた。そんな中、東京都知事・石原慎太郎がこれらの規制に極めて肯定的かつ積極的な姿勢を見せているため、コミックマーケット等の首都圏をベースとする同人誌即売会においては、深刻な問題となっている。

これに対して、東京都側はコミックマーケットに対しては肯定的とする表明を行ったり、石原の視察を計画する(先にあげたテロ予告などの問題から実現していない)など、引き続き東京国際展示場(東京ビッグサイト)での開催を促す方向である。しかし、同人創作活動に対する表現規制のスタンスを明確にしておらず、また都内で開催される中規模以下の同人誌即売会に関しては治安等の問題から否定的な場合も多い。その為、税収およびビッグサイトの収益を確保し、当イベントがもたらす臨海地域への経済効果を維持するための手段としてコミックマーケットを繋ぎ止めておくためのパフォーマンスに過ぎないとして、参加者の反応は冷ややかである。

一方千葉県は、過去の幕張メッセでの開催実績を上げ、東京都がメディア規制を行った場合の代替開催地として開催受け入れを申し出ており、最近では誘致と解釈できる発言も一部に聞かれている。だが、この千葉県の方針に対しては、特に幕張開催時代を知るコミケの参加者の反応は拒絶反応とも言えるものが多く、東京都に対して以上に冷ややかである。これは長引く平成不況による財政悪化とイベントの減少や他施設(特にビッグサイト)との競合による幕張メッセの稼働率低下から、やはり収益源として確保したいという意図が明白である他、過去のコミケに為された仕打ちから「勝手な都合でコミケを追い出しておいて、今度はまた勝手な都合で受け入れて、そのうち社会情勢の変化で都合が悪くなったらまた追い出すつもりだろう」という、ネガティブなイメージが非常に根強く、その不信感が全く払拭されていない為である(前述)。とはいえ、万一にも東京ビッグサイトでの開催が不可能になった場合(2016年東京オリンピックが開催された場合起こる可能性がある)、首都圏でこれに代替できる大会場となれば千葉県の幕張メッセ以外に選択肢がないのも現実である。

しかし、それでもコミケ参加者たちの幕張メッセへの不信感は極めて根強い。流言や誤報の類ではあるが、東京都の表現規制に関連する形で過去にコミケのビッグサイトからの移転という噂が流れた事があるが、その際にも移転先として幕張メッセは全く上がらず、インテックス大阪など主に関西圏の施設の名が上がっていた程であったが、コミケの性格上、首都圏以外の定期開催はあり得ない。

2006年現在、東京都の方針に対して、コミックマーケット運営側からは具体的な声明や方針は出されていない。しかし、表現規制そのものがコミックマーケットの理念と相反する為、自らコミケスタッフでありかかわりの深い、山口貴士弁護士はコミケカタログに「児童ポルノ規制が同人界に悪影響を及ぼす」との声明を出したり、コミケ会場で青少年健全育成条例に反対する署名が集められている。また、現状でも会場の制約やテロ対策などから、徐々にではあるがコミックマーケットの規制は増やされている。とはいえ、東京都側からなんらかのより具体的な政治的アプローチがない限り、イベントそのものの存続可否を含めて現状維持は困難と言わざるを得ない。

サークルチケット転売問題

2000年以降、サークルチケットがインターネットオークション等において高額(サークル参加費以上)で転売されている事が問題となっている。

コミックマーケットのサークルチケットは、当選したサークルごとに3枚づつ配布されるため、3人が開場前に入れる事になるが、準備に3人も必要ないサークル、元々3人も居ないサークル、そしてダミーサークルなどではチケットが余る。一方、一般参加者よりも先に入場することができ、大量の列ができる大手サークルにいち早く並ぶことができるチケットは、高額の金銭を支払ってでも欲しい人が多く、このため、サークルチケットはネットオークションの中でも人気の高いアイテムとなっている。

金銭を代価とするこの行為をコミックマーケット準備会は認めていない。準備会では出品者やネットオークション業者に対し、オークションの取り消しなどの呼びかけを行っているが、出品を禁止する業者はなく、転売は黙認状態である。法律上は禁止されていないため、準備会もこれ以上の手を打てない状態が続いている。

また、転売されたかは定かではないが、サークル参加者の家にサークルチケットを目的とした空き巣行為が2回連続で発生した例もある。

二次創作物とコミックマーケットに対する著作権者の姿勢

現在のコミックマーケットで販売される同人作品の大多数はアニメ作品や漫画、ゲームなどのキャラクターを利用して製作される二次創作物で、しかも性的な方向で表現されるのが多い(このような性的な表現が原因で、同人誌に対する批判の色が近年強くなりつつある)。しかし、ことコミックマーケットにおいて同人サークルが販売するこれらの創作物に限って言うならば、極めて高い割合で著作権者とは無関係かつ無許可の状態で製作されている。また、元となった作品との著作権の関係はコミケの黎明期から現在に至るまで曖昧なままになっている、また、パロディなどでは、あえて曖昧にされたままという部分も多い。その為、少なからぬ大手の出版社やアニメの制作プロダクションは、コミックマーケットに対して事実上黙殺するかあるいは懐疑的な見方を現在でも取っている。これについては同人誌の項目に詳しい。

準備会もこの状況について放置していたわけではなく、過去には広報誌『COMIKET PRESS』で特集したり、著作権についてシンポジウムを開いて漫画批評家夏目房之介らこの方面に詳しい者を招き、討論も実施している(米澤嘉博編『マンガと著作権―パロディと引用と同人誌と』2001/8 コミケット ISBN 4883790894)。現状ではロゴ模写など、完全に禁止されたものもあるが、それ以外は一次創作物の丸写しでもない限り、二次創作であることを理由とした規制はコミックマーケットでは行われていない。

前代表の急逝

現在のコミケの生みの親とも言われ、このイベントを中心的存在として育て上げた最大の功労者である米澤嘉博が2006年10月1日に逝去した(前日付で代表職を辞任)。コミケが上記の様な問題を現在も抱えている中で、米澤の53歳という早過ぎる死によって生じた「空白」の発生に、コミックマーケット自身が今後どう対応するかという問題が急浮上する事となった。

米澤の功績については立場によって様々な意見がある。しかし、カリスマ的とも言われた米澤の強力なリーダーシップこそが、ボランティアであるスタッフ達のシステムと統率を成立させ、1日10万人以上が参加するコミックマーケットを、実際30年近くに渡って無事存続させてきた原動力として大きく作用してきた事は、コミケに携わった数多くの者が認めるところである。その一方でまた、この米澤個人の能力や人望、交渉能力に大なり小なり依存する状況が長年に渡って続いてきた事も否定し難い。

このため、米澤体制に代わり集団代表の新体制となった準備会及びコミックマーケットが、米沢の死というその大き過ぎる「喪失感」と「空白」をどうやって埋めていくのか、また路線対立や内部分裂などを発生させずに組織を上手にまとめ上げる事ができるのかが、今後のコミックマーケットの消長盛衰を左右していく大きな鍵になる。また、このイベントをゼロから作り上げた草創期を知る人間が運営の中心から事実上いなくなったことで、徐々にではあるが変化が生じることは多くの者が予想している。

差し当たって現状では2006年末に控えるコミックマーケット71が、今後の方向性を指し示すものになるとして、大きな注目を集める事となっている。

また、今日の同人界の隆盛を大きく支える巨大イベントとなっている現状ゆえ、運営体制が変わって起きるであろうコミックマーケットの変化は、コミケ自身の命運のみならず、日本のアニメ・漫画の同人界全体の浮沈にも大きな影響を与える可能性がある。このため、コミケの存在を事実上不可欠とするビジネスモデルで経済活動を行っている、俗に『プロ同人』などと呼ばれる一部の漫画家や、同人ショップの関係者などは、まさに自身の今後の生活にも関わるものとして、今回の事態で起きるであろう変化を固唾を飲んで見守っている。

コミックマーケットと職業作家、商業誌の関係

コミックマーケットは、元々はアマチュア作家たちの同人誌即売会であった。現在でも建前としては変わっていない。しかし、アマチュア作家がコミックマーケットへの参加を続ける中で商業誌の編集部に見出されてプロデビューを果たしたり、職業漫画家となった者が個人でコミックマーケットに参加して執筆誌を頒布したり、さらには商業誌での活動が無いながらも大部数の同人誌の発行と完売を為し、制作費の回収はもとより生活費などまで稼ぎだす、すなわち同人作家を生業とする者が現れたりといった現象が、規模が大きくなるに連れ一般化してきている。これらの要素によりアマチュアとプロとの境は年を追う毎に曖昧なものとなって行き、この流れは商業漫画界にも波及している。

コミックマーケットの初期には柴門ふみいしいひさいち高橋留美子などがアマチュア作家として参加しており、アマチュアからプロへという流れが存在していた。しかし、それ以降のあさりよしとお高河ゆんCLAMPなど、現代のオタク文化を代表する作家たちは、職業作家としてデビューしつつも同人作家としての活動も続けるようになる。この一方で、ロリコンブームの際に吾妻ひでおによる同人誌が出たのを走りとして、職業作家(その中には元職業作家と呼ぶべき人たちも含まれる)が同人誌を出すという、いわば逆コースも見られ、プロとアマチュアの境界はコミックマーケットという場において混沌としているのが現状である。

さらに下ると、商業誌でデビューして知名度を稼ぎつつも、むしろ本業は同人誌のコミケや同人ショップでの販売に置く向きも増えていく。テレビをプロモーションの場とし、利益はディナーショーなどで得る一部の歌手と同じビジネスモデルである。また、近年は商業誌について回る表現の制約や規制を嫌い、商業作家としての活動はゲームソフトの原画や雑誌のカット、ライトノベルの挿絵を描く程度で、あとはインターネットのホームページなどで活発な宣伝活動を行い、同人誌やグッズの販売だけで活動費や生活費を捻出するスタイルを選ぶ者も現れている。これらを指して『プロ同人作家』という言葉すら存在し、これを自称する者も現れている。

月刊コミック電撃大王』のような同人出身の作家が多い雑誌では、コミックマーケットでの頒布用同人誌の準備時期に締め切りのある号では連載のページ数が減ったり休載になったりといった現象が多く見られ、同人イベントに興味の無い読者からはこれを指して「コミケ休載号」などと揶揄される事になってしまっている。また、休載まではいかないものの、連載作品の作画品質が軒並み低下する雑誌も少なくない。いずれにせよ、特定の時期に集中的に発生するだけに原因がはっきりしているため、「プロの作家が素人活動の為にプロとしての仕事をおざなりにしている。また編集部もそれを容認している」と、作家のみならず、編集部までもが厳しい批判を浴びる原因となっている。

その他

  • 電車男』(CX系ドラマ)の第6回放送でコミケが取りあげられた。 電車男で取り上げられたコミケはコミックキングダムの略称であり、現実のコミケを知る者には非常識と言って良い描写がされており、殆んど別物であった。なおロケは多数のエキストラ(本物のオタクも参加)を集めて東京ビッグサイトと幕張メッセで行われた。この放送回は、折りしもコミックマーケット68前日であった。また、電車男の脚本家が知っていたかは不明だが、『BASTARD!!』で有名な萩原一至のアシスタントをしていた漫画家小山雲鶴は、かつて同名のコミックキングダムという名前の中堅サークルを主宰し、同人コスプレ写真集というジャンルを作り上げるなどそこそこ名前が通っていた。
  • コミックマーケットの館内放送は長年、米澤英子がほぼ1人で担当しており、その象徴のひとつでもあった。しかし、コミックマーケット67の際にアナウンス中にトラブルが発生(喉を痛めてしまい発声できなくなったといわれている)。68では、放送要員増員を図り、予備要員の人間が交代で放送にあたった。コミックマーケット初の試みとして、68の1日目の放送に男性が起用された。
  • 会期中の9時45分、12時30分、15時45分には、それぞれ不審物の発見等を目的とした一斉点検放送が行われる。この放送では毎回、冒頭の数秒間で井上陽水の「夢の中へ」が流されており、単に「探し物」以上の意味でもイベント内容に通用する歌詞であることから、この曲を事実上のコミケのテーマソングとして捉える向きも多い。なお、当初はイントロのみの使用であったが、後に使用意図を明確にするため、歌い出しの「探し物はなんですか」の部分まで延長されるようになった。
  • 有限会社サークル・ドット・エムエスとWeb申込受付に関する業務委託契約を締結し、コミックマーケット70(2006年夏)の申込よりオンラインによる申込受付サービスを開始した。

関連項目

外部リンク

参考文献

  • コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』(2005年3月21日 コミックマーケット準備会 自費出版。商業出版された版は2005年7月 発行コミケット、発売青林工藝舎、2100円、391頁、ISBN 4-88379-192-0