「エドゥアール・リウー」の版間の差分
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2022年1月21日 (金) 09:42時点における版
エドゥアール・リウー Édouard Riou | |
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撮影者・年代不明 | |
誕生日 | 1833年12月2日 |
出生地 | サン=セルバン |
死没年 | 1900年1月21日 (66歳) |
死没地 | パリ |
国籍 | フランス |
運動・動向 | 風景画 風刺画 |
芸術分野 | 絵画 版画 イラスト |
代表作 |
「大洪水以前の大地」 「地底旅行」 「海底二万里」 |
受賞 | レジオンドヌール勲章シュヴァリエ |
後援者 | P-J・エッツェル |
影響を受けた 芸術家 | シャルル=フランソワ・ドービニー |
影響を与えた 芸術家 | カレル・ゼマン |
エドゥアール・リウー (仏:Édouard Riou、1833年12月2日 - 1900年1月21日) 、は、フランスの画家、風刺画家、版画家、イラストレーター。
経歴
エドゥアール・リウーはイル=エ=ヴィレーヌ県サン=セルヴァン(Saint-Servan)で1833年12月2日に生まれる。子供時代は港湾都市ル・アーヴルで過ごし、海辺の生活に親しんだ。
彼は市の画学校で学び、1854年12月15日には給付学生となった[1]。彼はシャルル=フランソワ・ドービニーに師事し、1859年にフォンテーヌブローの森と東洋趣味の絵画で画壇にデビューした。1865年1月には国民美術協会の会友となり、サロン・デ・アルテスト・フランセに「鷲の巣」と題する作品を出品した[2]。
定期刊行物の仕事では、新聞「イリュストラシオン」や博物雑誌「ル・マガザン・ピトレスク」、「ラ・ビブリオテーク・デ・メルヴェイユ」に版画を寄稿したほか、1855年から1858年にかけて、シャルル・フィリポンが主宰する「ジュルナル・プール・リル」やナダールの「ジュルナル・アミュザン」などの雑誌で風刺画家として最も良く知られるようになった[3]。
ニュース雑誌では、アシル・ブーディリエが1857年に創刊した「ル・モンド・イリュストレ」に1857年7月18日から1886年まで寄稿し、ナポレオン・ジェロームとマリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイアとの婚礼記事が特筆された[4]。1858年5月23日から1895年まではミシェル・レヴィが創刊した「ユニヴェール・イリュストレ」で働き、1861年から1894年まではエドゥアール・シャルトンが創刊したパリの旅行雑誌「ル・トゥール・デュ・モンド」の58の旅行記事に1,193点のイラストを描いた。
書物の挿絵でも活躍し、彼のギュスターヴ・ドレのそれと近しい画風のイラストはピエール=ジュール・エッツェルが出版するジュール・ヴェルヌの「驚異の旅」を飾った。『気球に乗って五週間』(1863年)、『地底旅行』(1867年)、『グラント船長の子供たち』(1868年)、『海底二万里』(1869年)、『チャンセラー号の筏』(1875年)、など多数の作品がリウーの挿絵である。
ほかにもウォルター・スコットの『アイヴァンホー』(1880年)、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』(1887年)、フランソワ=オーギュスト・ビアールやエルクマン=シャトリアン(Erckmann-Chatrian)の作品群が挙げられる。リウーはまたカミーユ・フラマリオンの"Le Monde avant la création de l'homme"(人類創世以前の地球)やルイ・フィギェ(Louis Figuier)の"La Terre avant le déluge"(大洪水以前の大地)といった通俗科学書、アメリカの歴史家、ジョン・クラーク・リドパスの「世界史の百科事典」などの挿絵も描いた[5]。
彼は出版者たちからの推薦でレジオン・ドヌール勲章の騎士に任命された。彼は1900年1月27日にパリ3区のアークェブジュ通り19番にある自宅で死去し[6]、ペール・ラシェーズ墓地93区に埋葬された[7]。
チェコの映画監督、カレル・ゼマンは1858年にヴェルヌの「悪魔の発明」を映画化する際、リウーとベネットのオリジナルのイラストから着想を得た。
版画作品
-
サツマイモ農場
-
水辺のカナリア
脚注
- ^ Aline Lemonnier-Mercier, Édouard Riou..., réf cit. en bibliographie, p.|9
- ^ Ibid, p.|18
- ^ Aline Lemonnier-Mercier, Édouard Riou..., réf cit. en bibliographie, p.|11
- ^ Le Monde illustré du 2 décembre 1859
- ^ Béguet (1994) : 32.
- ^ Archives de Paris 3e, acte de décès no 141, année 1900 (vue 19/27)
- ^ Registre journalier d'inhumation de Paris Père-Lachaise de 1900, en date du 7 mars (vue 12/31) (après son inhumation dans un caveau provisoire le 29 janvier 1900 dans le même cimetière (vue 13/31))
参考資料
- Bruno Béguet (1994). La vulgarisation scientifique au XIXe siècle, La Science pour tous. Exposition, Musée d'Orsay, Paris, date-|14 mars-date-|12 juin 1994, Bruno Béguet, Maryline Cantor et Ségolène Le Men (dir.), 52, Réunion des musées nationaux (Paris), collection Les Dossiers du Musée d'Orsay : 5-48.
- Bénézit, Gründ, édition 1999.
- Guy Gauthier, Édouard Riou, illustrateur, in Le Rocambole no 41, 2007, p.|11-133
- Guy Gauthier, Édouard Riou, dessinateur : entre le Tour du monde et Jules Verne : 1860-1900, L'Harmattan, 2008.
- Agnès Marcetteau-Paul (dir.), Jean Demerliac, François-Jean Goudeau, Xavier Kawa-Topor (aut.), « Images de Jules Verne », in Revue 303, no 134, date-|novembre 2014, ISBN 979-10-93572-04-8
- Aline Lemonnier-Mercier, Edouard Riou : 1833-1900, premier illustrateur des Voyages extraordinaires , in Bulletin de la Société Jules Verne n°|195, date-|novembre 2017, p.|8-27
- Dictionnaire Bénézit, Gründ, édition 1999.
- Ressources de la Bibliothèque nationale de France
- Jean-Loup Avril, 500 bretons à connaître, Bénézit, 1989
- Notice documentaire IdRef
外部リンク
- Edouard Riouの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- Édouard Riou - Faded Page (Canada)
- エドゥアール・リウーに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- Zvi Har'El's Jules Verne Collection
- Ouvrage de Riou numérisé par le SICD des universités de Strasbourg