「史的イエスの資料」の版間の差分

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[[ユダヤ教]]の注釈書である[[タルムード]]のうち5世紀末に[[バビロニア]]で成立したバビロニア・タルムード<ref>[[石川耕一郎]]「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89-94775 タルムード]」『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]]、[[コトバンク]]。2021年10月14日閲覧。</ref><ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89-94775#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 タルムード]」『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』、コトバンク。2021年10月14日閲覧。</ref>{{Refnest|group="注釈"|「バビロニア・タルムードの最終版は、七世紀初頭に[[バビロニア]]で完成した」<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、1頁。</ref>。}}{{refnest|group="注釈"|史的イエスの資料としてのバビロニア・タルムードについては、成立がイエスの時代から数百年後であることなどから資料価値がないとする説と、元になった伝承の中にはおそらくイエスの同時代にさかのぼるものがあると推定する説がある<ref>J・H・チャールズワース ([[:en:James H. Charlesworth|James H. Charlesworth]])『これだけは知っておきたい 史的イエス』[[中野実 (神学者)|中野実]]訳、[[教文館]]、2012年、126-127頁。ISBN 9784764266988。</ref>。}}には「イエス・ベン・パンデラ」(パンデラの息子イエス)<ref>「[[ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ]]」も参照。</ref>あるいは「ベン・スタダ」(スタダの息子)などという呼び方でイエスに言及したとみられる箇所がわずかだがある<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、10-11頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|当時のユダヤ人がイエスについてほとんど言及していないことは別に驚くべきことではないと[[:en:Robert Van Voorst|Robert Van Voorst]]は述べている。なぜなら1世紀の間ユダヤ人にとってイエスは重要な問題ではなかったし、70年にエルサレムがローマ軍によって包囲され破壊された([[エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]])後、ユダヤ人の学者はユダヤ教を守ることに注力していて、キリスト教にあまり関心を持たなかったからである<ref>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence''. Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}}. pp. 129–130</ref>。}}。この中のいくつかは恐らく[[タンナイーム]]時代すなわち西暦70年頃から200年頃の間{{Refnest|group="注釈"|タンナイーム時代は紀元1世紀から2世紀とされる<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、巻末3頁。</ref>。}}にさかのぼる<ref name=Blom280/><ref name=Kellum107 >Kostenberger, Andreas J.; Kellum, L. Scott; Quarles, Charles L. (2009). ''The Cradle, the Cross, and the Crown: An Introduction to the New Testament'' {{ISBN|0-8054-4365-7}}. pp. 107–109</ref>。しかしこれらの各記述は確かにイエスに関するものなのか、またそれは歴史的価値があるものなのかについて学者たちが議論を続けている<ref name=BEddy170>Eddy, Paul; Boyd, Gregory (2007). ''The Jesus Legend: A Case for the Historical Reliability of the Synoptic Jesus Tradition'' {{ISBN|0-8010-3114-1}} pp. 170–174</ref><ref>Theissen, Gerd; Annette Merz (1998) ''The historical Jesus: a comprehensive guide'', Fortress Press, pp. 72–76</ref><ref>Delbert Burkett (2010) ''The Blackwell Companion to Jesus''. {{ISBN|140519362X}} p. 220</ref>{{refnest|group="注釈"|例えば、バビロニア・タルムードの中の"Yeshu ha-Notzri"という呼び方に関しては、"ha-Notzri"は語源からするとイエスを指す[[ナザレ|ナザレ人]]ではなく、伝説的な[[ナジル人]]を指しているので、イエスについての言及ではないとRobert Eisenmanは論じている<ref>Einsenman, Robert (2002), "James; the Brother of Jesus" Watkins.</ref>。}}。
[[ユダヤ教]]の注釈書である[[タルムード]]のうち5世紀末に[[バビロニア]]で成立したバビロニア・タルムード<ref>[[石川耕一郎]]「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89-94775 タルムード]」『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]]、[[コトバンク]]。2021年10月14日閲覧。</ref><ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89-94775#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 タルムード]」『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』、コトバンク。2021年10月14日閲覧。</ref>{{Refnest|group="注釈"|「バビロニア・タルムードの最終版は、七世紀初頭に[[バビロニア]]で完成した」<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、1頁。</ref>。}}{{refnest|group="注釈"|史的イエスの資料としてのバビロニア・タルムードについては、成立がイエスの時代から数百年後であることなどから資料価値がないとする説と、元になった伝承の中にはおそらくイエスの同時代にさかのぼるものがあると推定する説がある<ref>J・H・チャールズワース ([[:en:James H. Charlesworth|James H. Charlesworth]])『これだけは知っておきたい 史的イエス』[[中野実 (神学者)|中野実]]訳、[[教文館]]、2012年、126-127頁。ISBN 9784764266988。</ref>。}}には「イエス・ベン・パンデラ」(パンデラの息子イエス)<ref>「[[ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ]]」も参照。</ref>あるいは「ベン・スタダ」(スタダの息子)などという呼び方でイエスに言及したとみられる箇所がわずかだがある<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、10-11頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|当時のユダヤ人がイエスについてほとんど言及していないことは別に驚くべきことではないと[[:en:Robert Van Voorst|Robert Van Voorst]]は述べている。なぜなら1世紀の間ユダヤ人にとってイエスは重要な問題ではなかったし、70年にエルサレムがローマ軍によって包囲され破壊された([[エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]])後、ユダヤ人の学者はユダヤ教を守ることに注力していて、キリスト教にあまり関心を持たなかったからである<ref>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence''. Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}}. pp. 129–130</ref>。}}。この中のいくつかは恐らく[[タンナイーム]]時代すなわち西暦70年頃から200年頃の間{{Refnest|group="注釈"|タンナイーム時代は紀元1世紀から2世紀とされる<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、巻末3頁。</ref>。}}にさかのぼる<ref name=Blom280/><ref name=Kellum107 >Kostenberger, Andreas J.; Kellum, L. Scott; Quarles, Charles L. (2009). ''The Cradle, the Cross, and the Crown: An Introduction to the New Testament'' {{ISBN|0-8054-4365-7}}. pp. 107–109</ref>。しかしこれらの各記述は確かにイエスに関するものなのか、またそれは歴史的価値があるものなのかについて学者たちが議論を続けている<ref name=BEddy170>Eddy, Paul; Boyd, Gregory (2007). ''The Jesus Legend: A Case for the Historical Reliability of the Synoptic Jesus Tradition'' {{ISBN|0-8010-3114-1}} pp. 170–174</ref><ref>Theissen, Gerd; Annette Merz (1998) ''The historical Jesus: a comprehensive guide'', Fortress Press, pp. 72–76</ref><ref>Delbert Burkett (2010) ''The Blackwell Companion to Jesus''. {{ISBN|140519362X}} p. 220</ref>{{refnest|group="注釈"|例えば、バビロニア・タルムードの中の"Yeshu ha-Notzri"という呼び方に関しては、"ha-Notzri"は語源からするとイエスを指す[[ナザレ|ナザレ人]]ではなく、伝説的な[[ナジル人]]を指しているので、イエスについての言及ではないとRobert Eisenmanは論じている<ref>Einsenman, Robert (2002), "James; the Brother of Jesus" Watkins.</ref>。}}。


ラビ文献においてイエスに関する最も重要な言及と一般的に考えられている「[[サンヘドリン (タルムード)|サンヘドリン]]」43a<ref name="『タルムードの中のイエス』96-97頁">[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、96-97頁参照。</ref>の場合は、言及自体だけではなくその文脈からもイエスがその箇所の主題であることが確認でき、ナザレのイエスの死を指していることに疑いの余地はないと[[:en:Robert E. Van Voorst|Van Voorst]]は述べている<ref name=Leslie693>J. L. Houlden ed (2006). ''Jesus: The Complete Guide''.{{ISBN|082648011X}}. pp. 693–694</ref><ref name=Voorst117118>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence'' Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}}. pp. 177–118</ref>。死刑に関する「サンヘドリン」43aの注釈でナザレのイエスについて言及していると認められるならば、それはイエスの存在と処刑の証拠となると[[:en:Christopher M. Tuckett|Christopher M. Tuckett]]は述べている<ref>Markus N. A. Bockmuehl (2001). ''The Cambridge Companion to Jesus''. {{ISBN|0521796784}}. p. 123</ref>。この箇所は[[過越祭]]におけるイエスの裁判と死に関する[[タンナイーム]]的な言及であり、タルムードにおけるイエスに関する他の言及よりも古い可能性が高いと[[:en:Andreas Kostenberger|Andreas Kostenberger]]は述べている<ref name=Kellum107 />。この箇所はイエスに対するラビたちの敵意を反映しており、次のような文章が含まれている。<ref name=Blom280>Craig L. Blomberg (2009). ''Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey''. {{ISBN|0805444823}}. p. 280</ref><ref name=Kellum107 />
ラビ文献においてイエスに関する最も重要な言及と一般的に考えられている「[[サンヘドリン (タルムード)|サンヘドリン]]」43a<ref name="『タルムードの中のイエス』96-97頁">[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、96-97頁参照。</ref>の場合は、言及自体だけではなくその文脈からもイエスがその箇所の主題であることが確認でき、ナザレのイエスの死を指していることに疑いの余地はないと[[:en:Robert E. Van Voorst|Van Voorst]]は述べている<ref name=Leslie693>J. L. Houlden ed (2006). ''Jesus: The Complete Guide''. {{ISBN|082648011X}}. pp. 693–694</ref><ref name=Voorst117118>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence'' Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}}. pp. 177–118</ref>。死刑に関する「サンヘドリン」43aの注釈でナザレのイエスについて言及していると認められるならば、それはイエスの存在と処刑の証拠となると[[:en:Christopher M. Tuckett|Christopher M. Tuckett]]は述べている<ref>Markus N. A. Bockmuehl (2001). ''The Cambridge Companion to Jesus''. {{ISBN|0521796784}}. p. 123</ref>。この箇所は[[過越祭]]におけるイエスの裁判と死に関する[[タンナイーム]]的な言及であり、タルムードにおけるイエスに関する他の言及よりも古い可能性が高いと[[:en:Andreas Kostenberger|Andreas Kostenberger]]は述べている<ref name=Kellum107 />。この箇所はイエスに対するラビたちの敵意を反映しており、次のような文章が含まれている。<ref name=Blom280>Craig L. Blomberg (2009). ''Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey''. {{ISBN|0805444823}}. p. 280</ref><ref name=Kellum107 />


{{quote|次のように教えられた。[[過越祭]]の前夜に{{仮リンク|イェシュー|en|Yeshu}}は架けられた{{refnest|group="注釈"|「架けられた」:死刑執行を知らしめるために[[石打ち|石打ちの刑]]の後に死体を架けた<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、95頁参照。</ref>。}}。40日前から使者によって「(イェシューは)魔術を使い、[[イスラエル]]をそそのかし、誘惑した罪で[[石打ち|石打ちの刑]]に処せられる。彼の無実について何か知る者は誰でも出て来てそれを述べよ」と、告知されていたが、誰も彼を無実にするものを持っていなかったので過越祭の前夜に彼を架けた。|「[[サンヘドリン (タルムード)|サンヘドリン]]」43a<ref name="『タルムードの中のイエス』96-97頁" />}}
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一方{{仮リンク|ペーター・シェーファー|de|Peter Schäfer (Judaist)}}は、タルムードに書かれているイエスの処刑に関する物語がナザレのイエスを指していることは疑いの余地がないが<ref>「補遺 バビロニア・タルムードの諸写本と検閲」[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、215頁。</ref>、この問題の箇所はタンナイーム的ではなく、後の[[アモライーム]]時代のもので、キリスト教の『福音書』を参考にして、それに対する応答として書かれたものではないかと述べている<ref name=PeterS141>''[[#Jesus in the Talmud|Jesus in the Talmud]]'', p. 141</ref>。また{{仮リンク|バート・アーマン|en|Bart Ehrman}}やMark Allan Powellは、タルムードによる言及はイエスの時代よりかなり後のものであることを考えると、イエスの生涯における教えと行動についてタルムードは歴史的に信頼できる情報を与えることは出来ないと述べている<ref>''Jesus: Apocalyptic Prophet of the New Millennium'' by Bart Ehrman 2001 {{ISBN|019512474X}} p. 63</ref><ref>''Jesus as a Figure in History: How Modern Historians View the Man from Galilee'' by Mark Allan Powell (1998) {{ISBN|0664257038}} p. 34</ref>。
一方{{仮リンク|ペーター・シェーファー|de|Peter Schäfer (Judaist)}}は、タルムードに書かれているイエスの処刑に関する物語がナザレのイエスを指していることは疑いの余地がないが<ref>「補遺 バビロニア・タルムードの諸写本と検閲」[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、215頁。</ref>、この問題の箇所はタンナイーム的ではなく、後の[[アモライーム]]時代のもので、キリスト教の『福音書』を参考にして、それに対する応答として書かれたものではないかと述べている<ref name=PeterS141>''[[#Jesus in the Talmud|Jesus in the Talmud]]'', p. 141</ref>。また{{仮リンク|バート・アーマン|en|Bart Ehrman}}やMark Allan Powellは、タルムードによる言及はイエスの時代よりかなり後のものであることを考えると、イエスの生涯における教えと行動についてタルムードは歴史的に信頼できる情報を与えることは出来ないと述べている<ref>''Jesus: Apocalyptic Prophet of the New Millennium'' by Bart Ehrman 2001 {{ISBN|019512474X}} p. 63</ref><ref>''Jesus as a Figure in History: How Modern Historians View the Man from Galilee'' by Mark Allan Powell (1998) {{ISBN|0664257038}} p. 34</ref>。


2世紀初頭のラビ文Tosefta Hullin II 22)の言及は、ビにかまれた法に違反していたために別のラビによってイエスの名での癒しを拒否され、に死したラビレザールベンダマて言及しています。<ref name="Bammel393">''Jesus and the Politics of his Day'' by E. Bammel and C. F. D. Moule (1985) {{ISBN2|0521313449}} p. 393</ref> この一節は、イエスの初期のユダヤ人反対者の態度、つまり彼の奇跡は悪の力に基づいていたという態度を反映しています。<ref name="Bammel393" /> <ref name="Kee71">''The Beginnings of Christianity'' by Howard Clark Kee (2005) {{ISBN2|0567027414}} p. 71</ref>
また2世紀初頭のラビ文献である『{{仮リンク|トセフタ|en|Tosefta}}』口伝律法の補遺集<ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%BF-1378977 世界大百科事典内トセフタの言及]」【タルムード】『[[世界大百科事典]]』第2版、[[平凡社]]、コトバンク。2021年11月26日閲覧。</ref>)の「[[フッリーン]]」II 22には、Eleazar ben Damaという[[ラ]]が蛇にかまれたとき、イエスの名による癒しは律法に反すると他のラビに異唱えられ、それゆえに死んでまっという記述がある<ref name=Bammel393/>。この箇所はイスの行なう奇跡は邪悪な力基づくとう初期のユダヤ人敵対者の態度を反映してい<ref name=Bammel393>''Jesus and the Politics of his Day'' by E. Bammel and C. F. D. Moule (1985) {{ISBN|0521313449}} p. 393</ref><ref name=Kee71>''The Beginnings of Christianity'' by Howard Clark Kee (2005) {{ISBN|0567027414}} p. 71</ref>


タルムードのいくつかの言及の価値疑問を投げかけエディとボイドは史的イエス研究に対するタルムードの重要性は、イエスの存在を決して否定しないが彼の魔術を非難し、間接的にの存在を確認ことであると述べています。<ref name="BEddy1702">Eddy, Paul; Boyd, Gregory (2007). ''The Jesus Legend: A Case for the Historical Reliability of the Synoptic Jesus Tradition'' {{ISBN2|0-8010-3114-1}} pp. 170–174</ref> [[リチャード・フランス|RT France]]と個別にEdgar V. McKnightは、キリスト教の記述とそれらの否定的な性質からのタルムード声明の相違は、彼らが存した人物についてのものであることを示していると述べています。<ref>R. T. France ''The Evidence for Jesus'' 2006 {{ISBN2|1573833703}} p. 39</ref><ref>''Jesus Christ in History and Scripture'' by Edgar V. McKnight 1999 {{ISBN2|0865546770}} pp. 29–30</ref> クレイグ・ブロムバーグは、イエスの否定はユダヤ伝統の一部ではなかったと述べ、代わりを魔術師および魔術師であると非難し、セルサスなどの他の情報源にも反映され<ref name="Blom2803">''Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey'' by Craig L. Blomberg (1 Aug 2009) {{ISBN2|0805444823}} p. 280</ref> アンドレアス・コステンバーガーは、タルムードの参考文献からき出すことができる全体的な結論は、イエスはユダヤ人の伝統によって否定されたことのない歴史上の人物であ代わりに信用を失ったことあると述べています。<ref name="Kellum1073">Kostenberger, Andreas J.; Kellum, L. Scott; Quarles, Charles L. (2009). ''The Cradle, the Cross, and the Crown: An Introduction to the New Testament'' {{ISBN2|0-8054-4365-7}}. pp. 107–109</ref>
EddyとBoydはその共著で、タルムードなどの資料のいくつかの価値疑問視してい、史的イエス研究におけるタルムードなど意義は、それがイエスの存在を決して否定せず、魔術師として告発し、間接的にイエスの存在を確認してい点にあると述べてい<ref name=BEddy170/>。[[:en:R. T. France|R. T. France]]Edgar V. McKnightは、タルムードの記述は、キリスト教の記述と異なる点やイエスについて否定的である点から人物についての記述であることを示していると述べてい<ref>R. T. France ''The Evidence for Jesus'' 2006 {{ISBN|1573833703}} p. 39</ref><ref>''Jesus Christ in History and Scripture'' by Edgar V. McKnight 1999 {{ISBN|0865546770}} pp. 29–30</ref>。Craig Blombergは、ユダヤ教では伝統的に決してイエスの否定することなく、{{仮リンク|ケルソス|en|Celsus}}が書いた反キリスト教論のようなユダヤ教以外資料も反映しているように、ユダヤ教はイエスを魔術師や奇術師であると非難したと述べている<ref name=Blom280/>。[[:en:Andreas Kostenberger|Andreas Kostenberger]]は、タルムードの言及からき出される全体的な結論は、ユダヤ教は伝統イエスが歴史的に実在した人物であることを決して否定していずタルムードはイエスの信用を落とすことに焦点を当てていということあると述べてい<ref name=Kellum107 />


=== その他の資料 ===
=== その他の資料 ===

2021年11月26日 (金) 02:18時点における版

カイサリア・マリティマから出土した『ピラト碑文英語版』。現在はイスラエル博物館に所蔵されている。

史的イエスの資料(してきイエスの しりょう)では、歴史上の人物としてのイエス(史的イエス、ナザレのイエス)に関する資料について説明する。

新約聖書のようなキリスト教資料にはイエスに関する詳細な物語が含まれているが、新約聖書に描かれているイエスについての各挿話が史実かどうかは学者間で見解が異なる[1]。学者の見解がほぼ一致するのは、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたことと、ローマ属州総督ピラトの命令で(はりつけ)にされたことだけである[2][3][4][5][6][7][8][9]

イエスの歴史性を立証するために使われるキリスト教以外の資料には、ヨセフスなどのユダヤ人の資料やタキトゥスなどのローマ人の資料がある。これらの資料はパウロの手紙共観福音書などのキリスト教資料と比較される。これらの資料は通常たがいに独立しており(例えばユダヤ人の資料はローマ人の資料に依拠していない)、資料間の類似点や相違点が検証に利用される[10][11]

ユダヤ人の学者エイミー・ジル・レヴァイン英語版はイエス研究の状況に関する評論で「すべてのあるいはほとんどの学者を納得させるイエスの人物像はない」と述べ、いずれのイエス像でも一部の学者グループから批判を受けているとしている[2]

非キリスト教資料

ヨセフス

フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』(1466年)のページ。

1世紀のローマ市民権を得たユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスの著作には、イエスとキリスト教の起源への言及が含まれている[12][13]。西暦93年から94年頃に執筆されたヨセフスの『ユダヤ古代誌』第18巻および第20巻に2つのイエスへの言及が含まれている[12] [14]

2つの証言のうち、20巻のイエスの兄弟ヤコブの一節は学者がイエスの存在を支持するために使用し、18巻の「フラウィウス証言」(Testimonium Flavianum)はイエスの磔刑に言及している[15]。ヨセフスのヤコブの一節は歴史的人物としてのイエスの存在と、彼の同時代人の何人かが彼をメシアと見なしたことを証明している[15] [16]バート・D・アーマン英語版によれば、ヨセフスのイエスについての箇所は、キリストを救世主と呼んだことも含めて、キリスト教の写本筆写者によって変更されている[17]

ヤコブの一節の信憑性に対するテキストの議論は、ヨセフスにとって「クリストス」という用語の使用が珍しく思われることにある[18]。文書内のテキストの流れに基づく議論は、イエスについての言及がバプテスマのヨハネの前に『ユダヤ古代誌』に現れたことを考えると、キリスト教の改竄者はそれを挿入して、ヨハネの前のテキストにイエスを配置した可能性がある[18]。ヤコブの一節の信憑性に対するさらなる議論は、イエスへの言及がなくてもよく読まれたであろうということである[18]

この箇所はエルサレムでの「イエスの兄弟ヤコブ」の死を扱っている。ヨセフスの著書はイエスという名前が少なくとも20人の異なる人物を指しているが、このイエスが「キリストと呼ばれた」人物であることをこの一節は明記している[19][20]ルイス・フェルドマン英語版は、この文章は他の文章よりも、ヨセフスがイエスについて何かを言ったことを示していると述べている[21]

現代の学問では、『ユダヤ古代誌』第20巻、第9章、1章で言及されている「キリストと呼ばれたイエスの兄弟の名前はヤコブといった」[22]の信憑性をほぼ一般的に認めており、そしてそれはヨセフスのキリスト教への言及の中で最高レベルの信憑性を持っていると考えている[23][24][25][26][27][28]

「フラウィウス証言」は、ヨセフスがローマ当局の手に渡ったイエスの有罪判決と磔刑について説明している『ユダヤ古代誌』第18巻の第3章3にある一節に付けられた名前である[29][30]。学者たちは、ピラトによるイエスの処刑の道中での言及の全体的または部分的な信憑性について異なる意見を持っている[31][30]。一般的な学術的見解では、「フラウィウス証言」は全体として本物ではない可能性が非常に高いが、もともとはピラトによるイエスの処刑に言及した真正の核から構成され、その後キリスト教の改竄を受けたと広く合意されている[32][30] [33][34][35]。キリスト教の編集の正確な性質と範囲は不明なままだが[36]、ヨセフスによる「証言」の元のテキストがどのようなものであったかについては幅広い同意が得られている[35]

20年前に書かれた『ユダヤ戦記』など、ヨセフスによる他の作品では『ユダヤ古代誌』に見られる参考文献に対応するテキストはないが、一部の学者はその欠如について、『ユダヤ古代誌』がより長い期間をカバーしていることや、『ユダヤ戦記』(紀元前70年頃)と『ユダヤ古代誌』(西暦90年以降)の執筆との間に20年のギャップがあったため、ローマではキリスト教徒の重要性が高まり、『ユダヤ古代誌』で注目された[37]

新約聖書』の記述とヤコブの死に関するヨセフスの陳述の間には多くの変化がある[38]。学者たちは一般に、これらの変化をヨセフスの一節が改竄ではないことを示していると考えている。なぜなら改竄者はキリスト教の伝統にそれらを対応させる可能性が高いからである[39][38]ロバート・アイゼンマン英語版は、ヤコブがイエスの兄弟であるというヨセフスの証言を裏付ける数多くの初期キリスト教の情報源を提供している[40]

タキトゥス

イタリアのエンポリに保管されているタキトゥスの作品の1598年版のタイトルページ。

タキトゥスは、ローマの歴史家や上院議員彼の実行によってピラトとの存在初期のキリスト教徒、彼の最後の仕事でローマの史料 (C。AD 116)、第15巻、第44章 [41][42][43] 関連する箇所は次のとおりです。「大衆によってクリスチャンと呼ばれました。その名前の由来となったクリストゥスは、私たちの検察官の1人であるポンティウスピラトゥスの手によってティベリウスの治世中に極度の罰を受けました。」 学者たちは一般に、ポンティウスピラトによるイエスの処刑に対するタキトゥスの言及が本物であり、他の歴史的記録と一致する初期キリスト教についての独立したローマの情報源としての歴史的価値の両方であると考えています。[43][44][45][46][47] ウィリアムL.ポーティエは、タシトゥス、ジョセフスによる言及と、プリニーヤンガーによるトラヤヌス皇帝への手紙の一貫性は、3つすべてのアカウントの有効性を再確認すると述べています。[47]

タキトゥスは愛国的なローマの上院議員であり、彼の著作はクリスチャンに対する同情を示していません。[48][49][50][51] アンドレアス・コステンバーガーと個別にロバートE.ヴァンフォールストは、クリスチャンへの道の口調は非常に否定的であり、クリスチャンの筆記者が書いたものではないと述べています。結論はジョン・P・マイヤーによって共有されました[43][52][53] ロバートE.ヴァンフォールストは、「すべてのローマの作家の中で、タキトゥスはキリストについて最も正確な情報を私たちに提供してくれる」と述べています。[43]

ジョン・ドミニク・クロサンは、イエスが存在し、十字架につけられたことを立証する上で重要な一節であると考え、次のように述べています。その基本的な事実。」[5] バート・D・アーマンは次のように述べています。[54] エディとボイドは、タキトゥスがキリストのはりつけの非キリスト教的確認を提供することが現在「確実に確立されている」と述べています。[55]

大多数の学者はそれを本物であると考えていますが、タキトゥスが生まれたことを考えると、イエスの死から20数年。一部の学者はこの節の信憑性に疑問を投げかけています[43]。一部の学者は、タキトゥスが彼の情報の出所を明らかにしていないことを考えると、その一節の歴史的価値について議論しています。[56] ゲル・タイセンとアネット・メルツは、タキトゥスが以前私たちに失った初期の歴史的作品を時々利用していたと主張し、この場合彼はローマのアーカイブからの公式情報源を使用した可能性があります。しかし、タキトゥスが公式な情報源からコピーしていた場合、一部の学者は彼が検察官というよりもむしろ知事としてピラトを正しくラベル付けしたと期待するでしょう。[57] タイセンとメルツは、タシトゥスがキリスト教に対する広範な偏見の説明と、「クリストゥス」とキリスト教についてのいくつかの正確な詳細を与えており、その出所は不明のままであると述べています。[58] しかし、Paul R. Eddyは、上院議員としての彼の立場を考慮すると、Tacitusも当時のローマの公式文書にアクセスできた可能性が高く、他の情報源を必要としなかったと述べています。[59]

マイケル・マーティンは、タナルキウスが本物のローマの文書で「メシア」という言葉を使用しなかったという理由で、このアナルの聖句の信憑性にも異議が唱えられていると指摘している。[60]

ウィーバーはタキトゥスがクリスチャンの迫害について話したが、他のクリスチャン著者がこの迫害について100年間書いたことはないと指摘している。[61]

ホテマは、この一節は彼らの仕事において彼らにとって非常に有用だったであろうが、この一節は15世紀までどの教会の父親も引用していなかったと指摘している。[62]そして、その箇所はローマのクリスチャンが群集であることに言及しているが、当時のローマのクリスチャン会衆は実際には非常に小さかったであろう。[62]

リチャードキャリアは、その言及がクリスチャンの内挿であり、タシトゥスは「クレスティアンズ」をキリスト教とは無関係の別の宗教団体として言及することを意図したという考えを提案しました。[63][64] ただし、大多数の見解では、これらの用語は同義語です。[65]

学者たちはまた、タキトゥスの参考資料で伝聞の問題について議論しました。Charles Guignebertは、「その可能性がある限り(Tacitusがクリスチャン自身が言っていることを単に反響しているだけである限り)、この箇所はまったく価値がありません」と主張しました。[66] RTフランスは、タキトゥスの通過はせいぜいタキトゥスがクリスチャンを通して聞いたことを繰り返すだけであると述べています。[67] しかし、Paul R. Eddyは、ローマの卓越した歴史家として、タキトゥスは一般に彼の情報源をチェックすることで知られており、ゴシップを報告する習慣がなかったと述べています。[68] タキトゥスは、ローマの外国の宗教カルトを監督する義務のある司祭の評議会であるQuindecimviri sacris faciundisのメンバーでした。ヴァンヴォールストが指摘しているように、彼の仕事を通じてキリスト教の起源についての知識を身につけていたと仮定するのが合理的です [69]

マラ・バー・サラピオン

マラバーセラピオン(サラピオンの息子)はシリアのローマ州出身のストイックな哲学者でした。[70][71] 紀元73年から3世紀の間に、マーラは息子(サラピオンとも呼ばれます)に手紙を書きました。この手紙には、キリスト以外の初期のイエスはりつけについての言及が含まれている可能性があります。[70] [72][73]

この書簡は、「3人の賢人」の不当な扱いに言及しています。ソクラテスの殺害、ピタゴラスの燃え、そしてユダヤ人の「賢い王」の処刑です。[70][71] 著者は、3つのケースすべてにおいて、不正行為は神からの責任者の将来の罰をもたらし、賢人が抑圧されたとき、彼らの知恵は結局勝利するだけでなく、神は彼らの抑圧者を罰することを説明します[73]

手紙にはキリスト教のテーマは含まれておらず、作者は異教徒であると推定されています。[71][74] 一部の学者は、ユダヤ人の「賢明な王」の処刑への言及を、初期の非キリスト教的なイエスへの言及と見なしています。[70][71][74] 手紙の非キリスト教的起源を支持する基準には、「ユダヤ人の王」はキリスト教の称号ではなかったという観察や、彼の教えの知恵に基づいてイエスが生きているという手紙の前提はキリスト教の概念と対照的であるという観察が含まれていますイエスが彼の復活を通して生き続ける。[74][73]

ロバート・ヴァン・フォールストのような学者たちは、「 ユダヤ人の王 」の処刑への言及がキリストの磔刑についてであることに疑いの余地はないと考えています[73]。クレイグA.エヴァンスは、日付が不明確であり、参照のあいまいさの可能性があることを考えると、手紙の価値は低くなります。[75]

スエトニウス

1540年のスエトニウスの12のシーザーの生活

ローマの歴史家 スエトニウス (69年頃-西暦122年以降)は、彼の著作『12のシーザーの生涯』 (西暦121年と書かれています)で初期のクリスチャンとその指導者に言及しました。[70][76][77][78] 参考文献は、ローマ皇帝 クラウディウスネロの生涯を説明するクラウディウス25ネロ16に登場します。[76] Nero 16の節は、Neroによる人権侵害に言及しており、彼がクリスチャンにどのように罰を科したかについて言及しています。これは一般的に西暦64年頃にさかのぼります。[79] この一節は、クリスチャンにとってスエトニウスの明らかな侮辱を示しています。タキトゥスプリニーが彼らの著作で若いことを表明したのと同じ侮辱ですが、イエス自身については言及していません。[77]

クラウディウスの初期の箇所には、イエスへの言及が含まれている可能性がありますが、学者の間で議論の対象となっています。[78] クラウディウス25では、スエトニウスはクラウディウスによるユダヤ人の追放について言及しており、次のように述べている[80]

「ユダヤ人はクレストゥスの扇動で絶えず騒動を起こしたので、彼は彼らをローマから追放した。」

クラウディウス25の言及には、クラウディウスによるローマからの一部のユダヤ人の追放につながったユダヤ人コミュニティの扇動が含まれており、使徒言行録18:2使徒言行録で言及されたのと同じ出来事であると考えられます。[81] ほとんどの歴史家は、この追放を西暦49〜50年頃としています。[81] [82] スエトニウスはクリスチャンのリーダーをクレストゥスと呼びます。タクトゥスが使用する用語でもあり、ラテン語の辞書では(とりわけ)「クリストゥス」のバージョンと呼ばれています。[83] しかし、スエトニウスが用いた言葉遣いは、混乱の時にクレストゥスが生きていて、ローマのユダヤ人を扇動していたことを意味しています。[84][81] これは彼の言及の歴史的価値を全体的に弱め、イエスへの言及としてのその価値についての全体的な学術的合意はありません。[84] [78] しかし、スエトニウスの混乱はまた、キリスト教の筆記者がユダヤ人をキリスト教徒と混同しなかったので、キリスト教の内挿の欠如を示しています。[84] [78]

ほとんどの学者は、参照でイエスが意味されていて、言及された騒動はローマでのキリスト教の拡大によるものであったと想定しています。[78][85][86] しかし、学者たちはスエトニウスの参考文献の価値について意見が分かれています。クレイグA.エヴァンス、ジョン・P・マイヤー、クレイグS.キーナーなどの一部の学者は、それをイエスへの言及の可能性があると考えています。[87][88] Stephen BenkoやH. Dixon Slingerlandなどの他の人は、歴史的価値がほとんどないかまったくないと考えています。[78]

メナヘム・スターンは、スエトニウスは間違いなくイエスに言及していたと述べています。なぜなら、もし彼が未知の攪拌機を意味していたなら、彼はクレストゥスに「ある種の」を加えたであろうからです [89]

タルムード

12世紀のサンヘドリンのページロイクリンコーデックスタルムード

ユダヤ教の注釈書であるタルムードのうち5世紀末にバビロニアで成立したバビロニア・タルムード[90][91][注釈 1][注釈 2]には「イエス・ベン・パンデラ」(パンデラの息子イエス)[94]あるいは「ベン・スタダ」(スタダの息子)などという呼び方でイエスに言及したとみられる箇所がわずかだがある[95][注釈 3]。この中のいくつかは恐らくタンナイーム時代すなわち西暦70年頃から200年頃の間[注釈 4]にさかのぼる[98][99]。しかしこれらの各記述は確かにイエスに関するものなのか、またそれは歴史的価値があるものなのかについて学者たちが議論を続けている[100][101][102][注釈 5]

ラビ文献においてイエスに関する最も重要な言及と一般的に考えられている「サンヘドリン」43a[104]の場合は、言及自体だけではなくその文脈からもイエスがその箇所の主題であることが確認でき、ナザレのイエスの死を指していることに疑いの余地はないとVan Voorstは述べている[105][106]。死刑に関する「サンヘドリン」43aの注釈でナザレのイエスについて言及していると認められるならば、それはイエスの存在と処刑の証拠となるとChristopher M. Tuckettは述べている[107]。この箇所は過越祭におけるイエスの裁判と死に関するタンナイーム的な言及であり、タルムードにおけるイエスに関する他の言及よりも古い可能性が高いとAndreas Kostenbergerは述べている[99]。この箇所はイエスに対するラビたちの敵意を反映しており、次のような文章が含まれている。[98][99]

次のように教えられた。過越祭の前夜にイェシュー英語版は架けられた[注釈 6]。40日前から使者によって「(イェシューは)魔術を使い、イスラエルをそそのかし、誘惑した罪で石打ちの刑に処せられる。彼の無実について何か知る者は誰でも出て来てそれを述べよ」と、告知されていたが、誰も彼を無実にするものを持っていなかったので過越祭の前夜に彼を架けた。

一方ペーター・シェーファードイツ語版は、タルムードに書かれているイエスの処刑に関する物語がナザレのイエスを指していることは疑いの余地がないが[109]、この問題の箇所はタンナイーム的ではなく、後のアモライーム時代のもので、キリスト教の『福音書』を参考にして、それに対する応答として書かれたものではないかと述べている[110]。またバート・アーマン英語版やMark Allan Powellは、タルムードによる言及はイエスの時代よりかなり後のものであることを考えると、イエスの生涯における教えと行動についてタルムードは歴史的に信頼できる情報を与えることは出来ないと述べている[111][112]

また2世紀初頭のラビ文献である『トセフタ英語版』(口伝律法の補遺集[113])の「フッリーン」II 22には、Eleazar ben Damaというラビが蛇にかまれたとき、イエスの名による癒しは律法に反すると他のラビに異を唱えられ、それゆえに死んでしまったという記述がある[114]。この箇所はイエスの行なう奇跡は邪悪な力に基づくという初期のユダヤ人敵対者の態度を反映している[114][115]

EddyとBoydはその共著で、タルムードなどの資料のいくつかの価値を疑問視しているが、史的イエス研究におけるタルムードなどの意義は、それがイエスの存在を決して否定せず、魔術師として告発し、間接的にイエスの存在を確認している点にあると述べている[100]R. T. FranceやEdgar V. McKnightは、タルムードの記述は、キリスト教徒の記述と異なる点やイエスについて否定的である点から実在の人物についての記述であることを示していると述べている[116][117]。Craig Blombergは、ユダヤ教では伝統的に決してイエスの実在を否定することはなく、ケルソス英語版が書いた反キリスト教論のようなユダヤ教以外の資料にも反映しているように、ユダヤ教はイエスを魔術師や奇術師であると非難したと述べている[98]Andreas Kostenbergerは、タルムードの言及から導き出される全体的な結論は、ユダヤ教は伝統的にイエスが歴史的に実在した人物であることを決して否定していず、タルムードはイエスの信用を落とすことに焦点を当てていたということであると述べている[99]

その他の資料

小プリニウス(61年頃 - 113年頃)の『書簡集』は「当時のローマ社会を知るうえできわめて重要な史料である。」[118] この『書簡集』の第10巻は皇帝トラヤヌスとの往復書簡集で、小プリニウスがローマ帝国ビテュニア属州総督として皇帝に報告し、その指示を仰いでいる。その中の西暦112年ごろの往復書簡は、皇帝礼拝を拒否しキリストを崇拝するキリスト教徒に対する処置に関するもので、キリスト教史として貴重な史料である[119]。しかしこれには史的イエスについての情報はなく[120]、イエスが実在の人物だった証拠にならないと見なされている。例えばシャルル・ギニュベールフランス語版は『福音書』に描かれているイエスが1世紀のガリラヤで生きて活動していたことについては疑っていないが、小プリニウスのこの手紙に関してはイエスが実在した証拠としては認められないと判断している[121]

タッロス英語版はほとんど知られていないが、1世紀半ばから後半にかけて歴史を書いたとされ、エウセビオスがこれに言及している。タッロスの著作は現存していないが、アフリカーヌス英語版が221年頃の著作で、タッロスの『歴史』第3巻にある記述をイエスの死の直前に全地が暗くなったという福音書の記事[122]と結びつけている[123][124]。もしタッロスがイエスの磔刑に言及していて、著作年代が確かならば、福音書の挿話に言及した最古の非キリスト教資料となるが、イエスの歴史的実在を判断する上での有用性は不確かである[123]。タッロスの著作年代は、第207オリンピアード(西暦49-52年)の出来事について書いたことに依拠しており、それ以降に書いたことを意味している。しかしこれは破損しているテキストに依拠していて、タッロスは第217オリンピアード(西暦89-92年)の後、あるいは第167オリンピアード(紀元前112-109年)の後に書いた可能性さえある。タッロスが最初に言及されたのはTheophilusによって西暦180年頃なので、タッロスが著作した年は紀元前109年から紀元後180年の間の可能性がある。我々が知っているのはタッロスが日食に言及したことだけだが、イエスが磔にされた過越祭に日食は起きないので、タッロスはイエスの十字架刑についてまったく言及していないことになる[125]

タッロスについてと同様に、140年頃に年代記を書いたPhlegon of Tralles(80年頃 - 140年頃)という歴史家についてアフリカーヌスが言及していて次のように記録されている。「Phlegonはティベリウス帝の時代に満月の時、第6時(正午)から第9時(午後3時)まで皆既日食があったことを記録している」(アフリカーヌス『年代史』18:1)[122]オリゲネスもPhlegonに言及している。「Phlegonはその年代記の第13巻か第14巻で未来の出来事についての知識をイエスに帰しただけでなく、その結果がイエスの予言に一致したことを証言している」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻14章)。「そしてイエスが十字架にかけられたと思われるティベリウス帝の時代の日食とその時に起きた大地震について……」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻33章)。「イエスは生きている間は自分自身のために何の役にも立たなかったが死後に起き上がり、自分の刑罰の跡を見せ、手がどのように釘で刺されたかを見せた。」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻59章)[126]。しかし4世紀に書かれた『年代記』の中でエウセビオスはPhlegonの言葉をそのまま記録している。「さて第202オリンピアード第4年(西暦32年)第6時(正午)にそれまでのすべての日食にまさる大日食が起こり、昼間が天に星がみえるほどの夜の闇に変わり、ビテュニアでは地が動き、ニカイアの町では多くの建物が倒された」。Phlegonはイエスと(死の直前の)3時間の闇についてはまったく言及していない。Phlegonは日食についても言及しているが、それは過越祭には起らない。改変されているかも知れない係年を除けば、この記述は西暦29年11月にトルコ北西部で起きた地震と日食に合致する[127]

アレクサンドリアのフィロン(紀元前15頃 - 紀元後45頃)は、ユダヤ教の「最初の神学者」と称される[128]哲学者だが、キリスト教史にとっては主に何人かの使徒についてフィロンが再び光をあてたその考え方や表現法を検討する上で重要である。エウセビオス[129]確かにフィロンがローマでカリグラ帝訪問使節団の一人としてペトロと会ったという伝説を残している。さらにフィロンはその瞑想的生活に関する著書の中でユダヤ教のエッセネ派テラペウタイ派英語版ではなくキリスト教のアレクサンドリア教会の生活を描いている。しかしフィロンがイエスとその信者たちについて、上述の伝説に歴史的根拠を与える情報を得ていたとは到底考えられない。[130]

2世紀の哲学者ケルソス英語版は2世紀後半の著作でキリスト教に対して史上初の全面的な攻撃をした[123][131]。ケルソスの著作は現存していないが、3世紀にオリゲネスが大著『ケルソス駁論 (ばくろん) 』で反論していて[132]、それによってケルソスの書いたことが分かる[123]。オリゲネスによればケルソスはイエスを魔術師、呪術師と非難した。ケルソスの所説は価値があるものかも知れないが、その原文を調べることが出来ないので歴史的な価値はほとんど無い[131]

死海文書はイエスと同時代の一部のユダヤ人の言語や習慣を示す1世紀あるいはそれ以前の文書である[133]。新約聖書と死海写本に記録されている言葉づかいや視点の類似は、新約聖書の報告が1世紀の時代を描いていて、後の時代の述作ではないことを示すのに価値があるとHenry Chadwickのような学者たちは見ている[134][135]。しかし死海写本とイエスの歴史性との関係については論争の的となっていて、新説が次々に登場しているが、1世紀のユダヤ教の伝統に光を当てるという点では死海写本は有用であるものの、イエスの歴史性に関する影響については学問的な合意は得られていない[136][137]

異議がある資料

以下の情報源には異議が唱えられており、歴史的価値は限られています。

  • サモサタのルシアン (西暦115年生まれ)は、ギリシャの有名な風刺作家で旅行の講師でもあり、イエスの追随者たちを無知と信仰心のために嘲笑して書いています。[138][139] キリスト教の伝統に対するルシアンの理解には大きなギャップと誤りがあることを考えると、彼の執筆はクリスチャン自身の影響を受けた可能性は低く、イエスのはりつけについての独立した声明を提供するかもしれません。[123] しかし、テキストの風刺としての性質を考えると、ルシアンは彼が聞いた話を装飾している可能性があり、彼のアカウントは高度な歴史的信頼性を持つことができません。[139]
  • トラヤヌス帝 (C。53から117)によって送られた手紙への返信で若いプリニウスは、あなたはキリスト教徒としてのあなたに非難されていた人たちの例をふるい分けには、私の愛するプリニウスを適切な手順を観察した」書きました。というのも、一種の固定された標準として機能するための一般的な規則を定めることは不可能だからです。彼らは求められてはならない。彼らが非難されて有罪と証明された場合、この留保により、彼がクリスチャンであることを否定し、それを実際に証明する者は、つまり、私たちの神々を崇拝することによって、過去に疑われていたとしても、罰せられることになります。悔い改めを通して赦しを得る。しかし、匿名で投稿された告発は、いかなる起訴にも関与すべきではありません。なぜなら、これは危険な先例であり、私たちの時代の精神に沿うものではないからです。」
  • エピクトス (AD 55–135)は、彼の「ディスコース」4.7.6および2.9.19–21でクリスチャンに「ガリレオ人」としての別の可能性のある論争のある言及を提供します。[死、家族、財産の喪失]、そしてまた、ガリレオ人と同様に、神は宇宙のすべてのもの、そして宇宙全体を、妨げられず、それ自体で完成させたことを、理由と実証から誰も学ぶことができません、そして全体のニーズに応えるためのその一部」
  • 2世紀のアパメアのヌメニウスは、キリスト教徒とキリストへの可能性のある暗示を書いた。これは、学者とプラトンの間の相違点について、学問の一部に含まれている。51、彼はイエス・キリストに暗示する)。[140]
  • Claudius Galenus(Galen) (AD 129–200)はキリストと彼の追随者を参照するかもしれません。ガレンから、De differentiis pulsuum(On the Pulse)、iii、3。この作品はDe libris propriis 5に記載されており、西暦176〜192年、あるいは176〜180年の可能性があるように思われます。[141]

ヤコブの骨箱

1世紀の石灰岩の埋葬箱があり、アラム語で「ジェームズ、ヨセフの息子、イエスの兄弟」と記されたヤコブ納骨堂として知られています。碑文の信憑性は、イスラエル警察に異議を申し立てたイスラエル古美術管理局によって異議が申し立てられました。2012年、納骨堂の所有者は無罪であることが判明し、裁判官は納骨碑文の信憑性がいずれの方法でも証明されていなかったと決定した。[142] それは偽造であることが示唆されています。[143]

キリスト教資料

初期のキリスト教徒はイエスに関する伝承を書きとめ、語録をまとめ、編集した[144]。その中でもっとも重要なものはキリスト教の正典と認められ『新約聖書』の前半部分となった四福音書(しふくいんしょ)すなわちマタイマルコルカヨハネによる各福音書である。各書の成立時期は、説によって幅があるが、最初に成立した『マルコによる福音書』がイエスの刑死から約40年後の西暦70年より少し前[145]、最後の『ヨハネによる福音書』は1世紀末頃と推定されている[146]。キリスト教徒が書いた文書で後世に伝わった最古の文書はパウロが書いた手紙である[147][注釈 7]。パウロの手紙の中で最古のものは『テサロニケの信徒への手紙一』で、イエスの刑死から約20年後の西暦50年頃あるいは50年から52年頃に書かれたと推定されている[148][149]。パウロの手紙はキリスト教神学にとって重要だが[154]、史的イエスの生涯を知るための情報はほとんど含まれていない[155]

バート・アーマン英語版Robert Eisenmanなどキリスト教会の伝統的見解に批判的な学者は、史的イエス研究に伴う問題を検討する中で、福音書は矛盾に満ちている文書で、イエスの生涯の出来事を目撃していない著者によってイエスの死後数十年経ってから書かれたものだと述べている。さらに福音書の著者たちはその出来事の同時代の目撃者ではなく、イエスを直接には知らず、イエスがしたことを実際に見たわけではなく、イエスが教えたことをその場で聞いたわけでもなく、著者たちはギリシア語で福音書を書いたのであって、イエスと言語さえも共有しなかったという。著者たちが書いた説明は公平なものではなく、イエスを現に信じていたキリスト教徒によって書かれたものであり、その話は著者たちの偏向にかんがみて歪曲を免れなかった。アーマンによれば福音書の内容は多くの点で矛盾していて、イエスという人物の細部でも全体像の点でも食い違いと撞着に満ちている。[156][157]

パウロの手紙

概観

パピルス462人のコリント人のページ、c。AD 200

キリスト教の情報源の文脈では、たとえ他のすべてのテキストが無視されたとしても、パウロの手紙はイエスに関するいくつかの情報を提供することができます。[7][158] この情報には、イエスの生涯の物語は含まれておらず、イエスの人としての存在について言及していますが、はりつけによる死を除けば、特定の項目をほとんど追加していません。[159] この情報は、信憑性に異論がないパウロの手紙からのものです。[158] パウロはイエスの伴侶ではなく、彼の情報はイエスの死後に獲得した聖霊から来ていると主張しています。[160]

パウロの名前が書かれた13通の手紙のうち、7通はほとんどすべての学者によって真正であると考えられており、他の手紙は一般に偽写本と見なされています[161][162][163][164] 7つの明白文字(およびそのおおよその日付)である: 1テサロニケ (C 51 CE)、フィリピ (C 52-54 CE)、フィレモン (C 52-54 CE)、1本のコリント (C 53-54 CE。)、ガラテヤ人 (西暦55年頃)、コリント人2 (西暦55-56年頃)、ローマ人 (西暦55-58年頃)。[161] [163] [164] これらの手紙の信憑性は、ほとんどすべての学者に受け入れられており、OrigenEusebiusなどの初期の著者によって参照および解釈されています。[162] [165]

パウロの手紙は一般的にAD 50からAD 60に日付が記載されていることを考えると、イエスについての情報を含む最も古い現存するキリスト教のテキストです。[166] これらの手紙は、一般に認められたイエスの死の期間からおよそ20年から30年後、AD 30–36頃に書かれました。[166] この手紙は、パウロがイエスの弟子たちとの出会いを記録したときに書かれたものです。ガラテヤ1:18は、パウロが改宗してから3年後、エルサレムに行き、使徒ペテロと15日間滞在したと述べています。[166] ブエツによると、この間、パウロはユダヤ人のアイデンティティを決定する重要な特徴であるユダヤ教の食糧制限と割礼を守ることの重要性に関して、イエスの兄弟ジェームズとのイエスのメッセージの性質に異議を唱えました。[167][168] しかしながら、新約聖書の物語は、彼らがその時に議論したことについての詳細を述べていません。その会議から14年後、パウロはエルサレム公会議の一環として、彼の教えが正統派であることを確認するためにエルサレムに戻りまし

パウロの手紙は、イエスの生涯の物語を提供することを意図したものではなく、キリスト教の教えの解説として書かれたものです。[169][170] パウロの見解では、イエスの地上の生活は、彼の死と復活という神学よりも重要性が低く、ポーリンの著作に浸透するテーマでした。[171] しかし、ポーリンの手紙は、ポールイエスが実在の人物(Gal 4.4のように女性から生まれた)、ユダヤ人(「法の下で生まれた」、ローマ人1.3)であり、弟子(1コリント人15.5)であり、十字架につけられ(1コリント人2.2とガラテヤ人3.1のように)、死者から復活した人(1コリント人15.20、ローマ人1.4と6.5、フィリピ人3:10–11)。[7][172][169] [171] そして、手紙は、イエスが存在し、十字架につけられ、死からよみがえられた初期の異邦人キリスト教会の一般的な概念を反映しています。[7][169]

パウロによるイエスへの言及自体はイエスの存在を証明するものではありませんが、彼らはイエスの存在が初期のクリスチャン(エルサレムのキリスト教共同体を含む、そこにあるコレクションへの言及を含む)内で受け入れられた規範であることを証明しています。イエスの死から30年後、彼と知り合うことができたはずの人々がまだ生きていたかもしれません。[173][174]

特定の参照

広く信頼されているとされる7つのパウロの手紙には、次の情報が含まれています。これらの情報は、他の歴史的要素とともに、イエスの歴史性を研究するために使用されています。[7][175]

パピルス27から3世紀初頭のローマ人への手紙のコピー
  • イエスの存在:パウロの見解では、イエスは存在し、ユダヤ人だったということは、彼が「女性から生まれた」と述べ、ガラテヤ4:4ローマ人への手紙1:3が彼を「法の下に生まれた」と述べていることに基づく。[7][176][177] ポール・バーネットなどの一部の学者は、これはパウロがイエスの誕生の状況にある程度精通していたことを示していると考えていますが、それは学者の間では一般的に共有されていません。[178][179] しかし、この声明は、パウロがはりつけ前のイエスの人生についてある程度の知識と関心を持っていたことを示しています。
  • 弟子と兄弟:1コリント への手紙15:5は、パウロはイエスが12人の弟子を持っていることを知っており、ペテロを彼らの一人と見なしていると述べています。[7][177][180]さらに1コリント1:12は、ピーターが1コリント人の執筆前にコリントスで知られていたことを示しています。[181][182] 1コリント15:5の声明は、12人の使徒への言及としての「12人」はコリントの初期のキリスト教会の中で一般的に知られている概念であり、パウロからのさらなる説明を必要としないことを示しています。[183] ガラテヤ1:18はさらに、パウロが個人的にペテロを知っていて、彼と一緒にエルサレムに15日間滞在したと述べています。[184] また、ピーターはすでにガラテヤ人に知られていて、紹介を必要としなかったことも意味します。[185] 1コリント9:5ガラテヤ1:19には、イエスには兄弟がいて、その1人はジェームズと呼ばれ、パウロが出会った、または「見た」と述べています。[7] [7] [186][177] ジェームズは、キリスト教の初期の作家によって、オリゲンとエウセビウスとして、弟の死後、イエスの信者の指導者であり、エルサレム大司教で最初の司教または司教の司教であったと主張されました。
  • 裏切りと儀式:イエスが裏切られ、聖体などのいくつかの伝統が確立されたことは、次のように述べられている1コリント11:23–25に由来します。、彼はそれをブレーキにかけ、そしてこれはあなたのためである私の体です:これは私を思い出して行います。」。[7][177]
  • はりつけ:パウロの手紙には、イエスのはりつけへの言及がいくつか含まれています。たとえば、1コリント11 23、1 コリント2:2ガラテヤ3:1などです。[7][177] イエスの死はポーリンの手紙の中心的な要素を形成しています。[187] 1テサロニケ2:15は、イエスの死に対する責任を一部のユダヤ人に課している。[7] [177] さらに、「両方とも主イエスを殺した」そして「私たちを追い出した」ユダヤ人に関する1テサロニケ2:14–16の声明は、イエスの死がパウロの迫害と同じ時間枠内にあったことを示しています。[188]
  • 埋葬:1コリント15:4ローマ6:4では、彼の死後、イエスは埋葬されたと述べています(ただし、墓については触れていません)。[177] この参照はその後、パウロによって復活の神学を構築するために使用されますが、イエスが彼の死後に葬られた当時の一般的な信念を反映しています。[189][190]

パウロの手紙におけるこれらのイエスへの言及のみの存在は、その見解を共有する他の学者がいないことを知っていたと述べ、他のほとんどの学者は、パウロが彼の手紙にイエスの生涯の物語を含めなかったという事実について、他のより説得力のある説明を持っていた、これらは主に、初代教会でイエスの生涯がよく知られていた時代の歴史的記録ではなく、主に宗教文書として書かれていました。[191] ダンは、ウェルズの議論にもかかわらず、イエスの非存在の理論は「完全に死んだ論文」であると述べています。[192]

ジェームズDGダンはウェルズの発言に言及し、その見解を共有する他の学者がいないことを知っていたと述べ、他のほとんどの学者は、パウロが彼の手紙にイエスの生涯の物語を含まなかったという事実について、他のより説得力のある説明をしました、これらは、初期の教会でイエスの生涯がよく知られていた時代の歴史的記録ではなく、主に宗教文書として書かれていました。ダンは、ウェルズの議論にもかかわらず、イエスの非存在の理論は「完全に死んだ論文」であると述べています。[134]

ウェルズはもはやイエスの存在を否定していませんが、彼は沈黙からの彼の議論はポールだけでなくすべての初期のクリスチャンの著者に適用され、彼はポールのためにそれを維持し、初期のクリスチャンのテキストについてはまだ低い意見を持っていると述べ、ダンに応えましたイエスは何十年も前から存在していたかもしれません。[193]

パウロ前の信条

パウロの手紙は時々彼らの著作より前の信条や信仰の告白を指しています。[194][195][196]1コリント15:3–4は、次のように書いています。聖書によると。」 [194] ローマ1:3〜4は、その直前のローマ1:2を指し、既存の福音に言及しており、事実、それを以前の信条として扱っている可能性があります。[194] [195]

パウロ派以前の伝統を特定するための鍵の1つは、コリント第一15:11 [196]

それでも私であろうと彼らであろうと、私たちは説教し、そしてあなたがたは信じていた。

ここでパウロは、信条を説教した彼の前の人たちを指しています。[196] ジェームズ・ダンは、1コリント人15:3は、30年代にパウロが数年前にイエスの死について教えられたことを示していると述べています。[197]

したがって、パウロ文字には、以前の起源のキリスト教信条要素が含まれています。[198] 信条の古さは、エルサレムの使徒コミュニティに端を発するイエスの死後10年未満まで、多くの聖書学者によって位置づけられてきました。[199] カンペンハウゼンはこの信条に関して、「この記述は、そのようなテキストから作られる可能性のある歴史的信頼性のすべての要求を満たします」 [200]と述べた一方で、AMハンターは、「この箇所は、独特で初期の検証可能な証言を保存しています。それは歴史的な信頼性のあらゆる合理的な要求を満たします。」

これらの信条は、イエスの死から数年以内にさかのぼり、エルサレムのキリスト教共同体の中で発展しました。[201] これらの信条は新約聖書のテキストに埋め込まれていますが、初期キリスト教の明確な情報源です。[202] これは、イエスの存在と死がキリスト教の信念の一部であったことを示しています。彼の死から数年後、パウロの手紙の執筆より10年以上前のことです。[201]

福音書

en:Rylands Library Papyrus P52, a papyrus fragment from a codex (c. 90–160), 新約聖書の最も古い写本の一つ。

キリスト教の正典である四福音書『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』『ヨハネによる福音書』はイエスの生涯の伝記、教え、イエスに帰される行動の主要資料である[203][204][205]。そのうちの3書『マタイ』『マルコ』『ルカ』は内容、物語の構成、言語、段落構成に高度な類似性を示すことから共観福音書と呼ばれる[206][207]。第四福音書すなわち『ヨハネによる福音書』は共観福音書とは異なり、叙述的な形式ではなく主題にそった内容になっている[208]。学者の一般的な意見では『ヨハネによる福音書』と共観福音書の文章について直接的な関係を見出すことは出来ない[208]

新約聖書の著者は一般的にイエスの生涯の個々の出来事がいつ起きたかには(イエスの年代学英語版)、またそれを世俗の出来事と同期させることにはほとんど関心を示さなかった[209]。福音書は主に原始キリスト教の神学的文書として書かれたもので、著者にとって出来事の年次は重要ではなかった[210]。福音書が歴史的な年代記ではなく神学的な文書であることは、一例としてイエスの生涯の最後の7日間についての記述が福音書の文章の3分の一を占めていることに表れている[211]。福音書には近現代の歴史家が求める正確な年代に十分答える詳細は記されていないが、学者たちは福音書によってイエスの数々の人物像を再建して来た[209][210][212]。しかし『ヨハネによる福音書』の最後に「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。」[213]とあるように、福音書はイエスの生涯の出来事を網羅的に記載しているとは言えない[214]

福音書の個々の記述の歴史的信頼性について学者間で見解に相違があって、ほぼすべての学者の見解が一致するのはイエスが洗礼を受けたこととにされたことだけである[3]。さらにE.P.サンダース英語版Craig A. Evansなどの学者は、福音書に書かれている他の2つの出来事、すなわちイエスが使徒召命したことと、エルサレム神殿で論争を起こしたこと(宮清め英語版)が歴史的に確かであるとしている[9]

アウグスティヌスの見解(アウグスティヌス仮説英語版)以来、福音書が書かれた順序と影響関係について学者間で議論され、マルコ優先説英語版では紀元70年頃に書かれた『マルコによる福音書』が他の福音書より先に書かれたとされ[215][216]、『マルコ』の後に『マタイ』が成立し、『ルカ』は紀元70年から100年頃に書かれたと考えられている[217]。通説とされる二資料説英語版によれば『マタイ』と『ルカ』は、『マルコ』以外にQ資料と呼ばれる学者の推定した資料を利用して書かれている[218][219][220]

福音書は3つの視点によって見ることが出来る。第1に文章としての文学的視点、第2にキリスト教がユダヤ教内の革新運動からどのように始まったかを観察する歴史的視点、第3にキリストの教えを分析する神学的視点がある[221]。歴史的な視点では、福音書は単にそれ自体が資料としてイエスの実在を立証するためだけに使われるのではなく、その内容を非キリスト教資料を含むその他の資料や歴史的背景と比較して、イエスの歴史的実在についての結論を導き出す[7][16][222]

教父

カエサレアのエウセビウス
ヒエラポリスのパピア

イエスとの目撃者の出会いに関連する可能性のある2つの可能性のある愛国的な情報源は、4世紀にカイサリアのエウセビウスによって報告されたパピアスとクアドラトゥスの初期の言及です。[223][224]

パピアスの作品は生き残っていませんが、エウセビウスは彼をこう言っていると引用しています: [223]

「もし偶然に長老たちに出席していた人が私のところに来たなら、私は長老たちの言葉、つまり、アンドリューかピーター、フィリップ、トーマスかジェームズ、あるいはジョン、マシュー、その他の主の弟子たち、そして主の弟子であるアリスティオンと年長のジョンは何でも言っていた。」

リチャード・バウカムは、パピアスが彼の情報を収集していた間(90年頃)、アリスティオンと年長のヨハネ(イエスの弟子でした)はまだ生きていて、未成年のアジアで教えていました。[223] しかし、「ヨハネ長老」の正確なアイデンティティは、ヨハネの福音書の著者に関する議論で巻き込まれており、学者たちはそれについて異なる意見を持っています。ジャック・フィネガンは、エウセビウスがパピアスが書いたことを誤解している可能性があり、長老のジョンは第4の福音書の著者とは別の人物であり、それでもイエスの弟子であると述べています。[225] 一方、ゲイリー・バージはエウセビウスの側に混乱を感じており、長老のジョンを使徒ヨハネとは異なる人物であると考えています。[226]

ハドリアヌス帝 (117〜138年を治めた)へのクアドラトゥス(おそらく最初のキリスト教の謝罪者)の手紙は早い日付である可能性が高く、エウセビウスが彼の教会歴史 4.3.2で次のように述べていると報告している: [227]

「私たちの救い主の言葉は常にありました。彼らが本当だったからです。癒された人、死からよみがえった人、癒されたり、起こされたりする行為に見られただけでなく、常にいるだけでなく、救世主が地上に住んでいたときだけでなく、彼が去った後もしばらくの間、その一部は私たちの時代まで生き残ったのです。」 [228]

「私たちの救い主」とは、クアドラトゥスとはイエスを意味し、その手紙はおそらく西暦124年以前に書かれています。[229] バウカムは、「私たちの時代」までに、彼が書いたとき(117–124)ではなく、彼の初期の人生を指すかもしれないと述べています。[230] バッカムは、クアドラトゥスに起因する声明の重要性は、イエスとの対話に対する証言の「目撃者」の性質を強調することであると述べています。[228] そのような「目撃証言」は、信仰を与えるために、初期のクリスチャンの著作、特に偽名のクリスチャンの外典、福音書間にたくさんあります。

外典

通常2世紀以降の多くのキリスト教のテクストが新約聖書の外典として存在しており、その中でグノーシス派の福音書が最近学者の間で大きな関心を集めています。[231] 1945年にナグハマディ図書館が発見されたことで、学術的な関心が高まり、現代の学者の多くは、グノーシス派の福音書を研究し、それらについて書いています。[232] しかし、21世紀の学者の間の傾向は、グノーシス派の福音書が初期のキリスト教の信念の進展に光を当てるかもしれないが、彼らがかなり遅れているという点で、イエスの歴史の研究に貢献することはほとんどないことを受け入れることです文章は通常、ことわざ(物語ではなく、仮説のQ文書に似ています)で構成され、その信憑性と著者は疑わしいままであり、それらのさまざまな部分は新約聖書の構成要素に依存しています。[232][233] 歴史的なイエスについての現代の研究の焦点は、グノーシス派の書物から離れ、ユダヤ人、グレコローマン人、および正規のキリスト教の情報源の比較に向けられてきました。[232][233]

一例として、バート・アーマンは、トマス福音書 (ナグ・ハマディ図書館の一部)の不可知論的著作は、歴史的なイエスの研究ではほとんど価値がないと述べています。はりつけ)または信者の肉体的存在であり、肉体的な出来事ではなく、イエスの秘密の教えにのみ興味を持っていました。[233] 同様に、ジョンのApocryphonは (ナグ・ハマディ写本の一部でもある)第二世紀に支配的な態度を研究する上で有用であった、と著者についての質問啓示の書は、それが参照することを考えると黙示録午前1時19分、しかしです主に、イエスの昇天後の教えについてのビジョンであり、彼の人生の物語ではありません。[234] エドワードアーナルなどの一部の学者は、トマスの福音書は、イエスの教えが初期のクリスチャンの間でどのように伝えられたかを理解するのに引き続き有用であり、初期のキリスト教の発展に光を当てると主張します。[235]

外典のテキストでのイエスのことわざとキリスト教の正典の文章には重複があり、正典のテキストにないものはアグラカと呼ばれます。少なくとも225のアグラファがありますが、それらを研究したほとんどの学者は、それらのほとんどの信憑性について否定的な結論を導き、歴史的なイエスの研究にそれらを使用することにはほとんど価値がないと考えています。[236] Robert Van Voorstは、アグラファの大部分は確かに信頼できないと述べています。[236] 学者は、本物のアグラファの数が異なり、200を超えるもののなかで推定されるものは7つから低いものもあれば、18ものものもあり、それらをまったく価値のないものにしています。[236] 外典的なテキストの研究は続いていますが、一般的な学術的見解では、起源が不明確であることが多いため、イエスの歴史の研究にはほとんど何も提供されておらず、ほとんどの場合、価値の低いドキュメントです。[237]

脚注

注釈

  1. ^ 「バビロニア・タルムードの最終版は、七世紀初頭にバビロニアで完成した」[92]
  2. ^ 史的イエスの資料としてのバビロニア・タルムードについては、成立がイエスの時代から数百年後であることなどから資料価値がないとする説と、元になった伝承の中にはおそらくイエスの同時代にさかのぼるものがあると推定する説がある[93]
  3. ^ 当時のユダヤ人がイエスについてほとんど言及していないことは別に驚くべきことではないとRobert Van Voorstは述べている。なぜなら1世紀の間ユダヤ人にとってイエスは重要な問題ではなかったし、70年にエルサレムがローマ軍によって包囲され破壊された(エルサレム攻囲戦)後、ユダヤ人の学者はユダヤ教を守ることに注力していて、キリスト教にあまり関心を持たなかったからである[96]
  4. ^ タンナイーム時代は紀元1世紀から2世紀とされる[97]
  5. ^ 例えば、バビロニア・タルムードの中の"Yeshu ha-Notzri"という呼び方に関しては、"ha-Notzri"は語源からするとイエスを指すナザレ人ではなく、伝説的なナジル人を指しているので、イエスについての言及ではないとRobert Eisenmanは論じている[103]
  6. ^ 「架けられた」:死刑執行を知らしめるために石打ちの刑の後に死体を架けた[108]
  7. ^ 定説では『新約聖書』所収の文書で最古のものはパウロが書いた『テサロニケの信徒への手紙一』である[148][149]。パウロの推定没年は西暦64年から67年頃で[150][151]『マルコによる福音書』の成立が西暦70年より少し前[146]ならば、パウロが実際に書いた手紙はほぼ『マルコによる福音書』より前の文書と推定される。しかし『マルコによる福音書』の書かれたのが西暦50年前後[152]という説に従えば、パウロの『テサロニケの信徒への手紙一』が西暦50年頃あるいは50年から52年までに書かれた[148][149]と推定されているので両文書の成立は同時期と推定される[153]

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参考文献

関連項目