「中村雅俊」の版間の差分

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1951年(昭和26年)、[[宮城県]][[牡鹿郡]][[女川町]]出身。
母親は漁師町で酒場を経営。二人の姉がおり、ホステスが住み込みで働いていたことから、幼い頃から女性に囲まれた生活をしていた。中村は「母親が忙しかったから、毎日テーブルに食事代として200円が置かれていたんです。食事代を100円に抑えて、残りの100円を貯金して[[クリフ・リチャード]]といった[[洋楽]]や[[ザ・スパイダース]]、[[ザ・タイガース]]など当時、流行していたGS([[グループサウンズ]])のレコードを買っていましたね」と当時を振り返っている<ref>[http://www.jprime.jp/articles/-/10592 中村雅俊「“裏切り者雅俊”と報じたスポーツ紙は今でも持っています(笑)」] 週刊女性PRIME.主婦と生活社 2017/9/12(週刊女性2017年9月26日号、2017年10月4日閲覧)</ref>。
[[女川第一中学校]]卒業後、[[宮城県石巻高等学校]]に進学。高校では[[バスケットボール]]部に所属。[[外交官]]を夢見て[[東京外国語大学]]への進学を希望するも、[[東北大学]]を希望する母親と対立。結局、東京外国語大学を受験するも不合格で、一浪して[[慶應義塾大学]]に進学。[[地方紙]]に載ったことで母に受け入れられたと話している。
大学時代は[[ESS]]に所属しており、[[四大学英語劇大会]]に参加していた。[[1973年]][[文学座]]附属演劇研究所に入所し、大学卒業と同時に文学座に入団。文学座の先輩である[[松田優作]]の紹介で[[岡田晋吉]]の目に留まり、翌年、[[日本テレビ系列]]で放送された青春ドラマ『[[われら青春!]]』の主役に抜擢され人気を獲得し、自らが歌う挿入歌『[[ふれあい (曲)|ふれあい]]』が100万枚を超えるセールスを記録した。実は松田が中村を紹介したのは、[[村野武範]]が松田を岡田に紹介した時同様に、麻雀に負けた時の約束だった<ref>岡田晋吉『太陽にほえろ!伝説 失踪15年私が愛した七曲署 増補決定版』P68~69第四章「風のように走り抜けた男・ジーパン」マージャンが射止めた主役 日本テレビ放送網、2003年</ref>。
 

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