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6代ハントリー伯{{仮リンク|ジョージ・ゴードン (初代ハントリー侯爵)|label=ジョージ・ゴードン|en|George Gordon, 1st Marquess of Huntly}}<small>(1562–1636)</small>は[[カトリック教会|カトリック]]教徒で、[[1589年]]に[[スペイン]]王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]と密約を交わした容疑にかけられたが、スコットランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]の配慮により寛大な措置で済んだだけでなく、[[1592年]]にはジェームズ6世の命令で、国王襲撃事件を起こした[[ボスウェル伯]]{{仮リンク|フランシス・ステュアート (第5代ボスウェル伯爵)|en|Francis Stewart, 5th Earl of Bothwell|label=フランシス・ステュアート}}の共犯とされた第2代[[マリ伯爵]]{{仮リンク|ジェームズ・ステュアート (第2代マリ伯爵)|en|James Stewart, 2nd Earl of Moray|label=ジェームズ・ステュアート}}を殺害した後は王に匿われるなど厚遇された<ref>トランター、P250 - P254、小林、P230、P233、P263。</ref>。[[1599年]][[4月17日]]にスコットランド貴族爵位「'''ハントリー侯爵'''(Marquess of Huntly)」「'''インジー伯爵'''(Earl of Enzie)」「'''バデノックのゴードン卿'''(Lord Gordon of Badenoch)」に叙せられた
6代ハントリー伯{{仮リンク|ジョージ・ゴードン (初代ハントリー侯爵)|label=ジョージ・ゴードン|en|George Gordon, 1st Marquess of Huntly}}<small>(1562–1636)</small>は[[カトリック教会|カトリック]]教徒で、[[1589年]]に[[スペイン]]王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]と密約を交わした容疑にかけられたが、スコットランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]の配慮により寛大な措置で済んだだけでなく、[[1592年]]にはジェームズ6世の命令で、国王襲撃事件を起こした[[ボスウェル伯]]{{仮リンク|フランシス・ステュアート (第5代ボスウェル伯爵)|en|Francis Stewart, 5th Earl of Bothwell|label=フランシス・ステュアート}}の共犯とされた第2代[[マリ伯爵]]{{仮リンク|ジェームズ・ステュアート (第2代マリ伯爵)|en|James Stewart, 2nd Earl of Moray|label=ジェームズ・ステュアート}}を殺害した後は王に匿われるなど厚遇された<ref>トランター、P250 - P254、小林、P230、P233、P263。</ref>。[[1599年]][[4月17日]]にスコットランド貴族爵位「'''ハントリー侯爵'''(Marquess of Huntly)」「'''インジー伯爵'''(Earl of Enzie)」「'''バデノックのゴードン卿'''(Lord Gordon of Badenoch)」に叙せられた
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2代ハントリー侯{{仮リンク|ジョージ・ゴードン (第2代ハントリー侯爵)|label=ジョージ・ゴードン|en|George Gordon, 2nd Marquess of Huntly}}<small>(1592–1649)</small>は[[イングランド王国|イングランド]]王兼スコットランド王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]に仕え、宗教問題で王と対立したスコットランド[[国民盟約]]と戦ったが、[[1639年]]の[[主教戦争]]におけるディー橋の戦いで[[カヴェナンター|盟約派]]の[[モントローズ公爵|モントローズ伯爵]](後にモントローズ侯爵)[[ジェイムズ・グラハム (初代モントローズ侯爵)|ジェイムズ・グラハム]]に敗れ捕虜になった<ref>トランター、P274 - P275。</ref>。
2代ハントリー侯{{仮リンク|ジョージ・ゴードン (第2代ハントリー侯爵)|label=ジョージ・ゴードン|en|George Gordon, 2nd Marquess of Huntly}}<small>(1592–1649)</small>は[[イングランド王国|イングランド]]王兼スコットランド王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]に仕え、宗教問題で王と対立したスコットランド[[国民盟約]]と戦ったが、[[1639年]]の[[主教戦争]]におけるディー橋の戦いで[[カヴェナンター|盟約派]]の[[モントローズ公爵|モントローズ伯爵]](後にモントローズ侯爵)[[ジェイムズ・グラハム (初代モントローズ侯爵)|ジェイムズ・グラハム]]に敗れ捕虜になった<ref>トランター、P274 - P275。</ref>。

2021年4月26日 (月) 08:21時点における版

ハントリー侯爵
創設時期1599年4月17日
創設者ジェームズ6世
貴族スコットランド貴族
初代6代ハントリー伯ジョージ・ゴードン英語版
現所有者13代ハントリー伯グランヴィル・ゴードン英語版
相続人アラステアー・ゴードン英語版
相続資格初代侯の直系の嫡出の男系男子(1st Marquess's heirs male of the body lawfully begotten)
付随称号アボイン伯爵英語版、ストラサヴォン=グレンリベットのゴードン卿、メルドラム男爵
邸宅アボイン城英語版
旧邸宅ハントリー城英語版

ハントリー侯爵英語: Marquess of Huntly)は、スコットランド貴族侯爵位。

1445年創設のハントリー伯爵位を前身とし、1599年に第6代ハントリー伯爵ジョージ・ゴードン英語版が叙されたのに始まる。1684年に4代ハントリー侯爵ジョージ・ゴードンゴードン公爵に叙せられ、一時その従属爵位となったが、ゴードン公爵位は1836年に絶えている。一方ハントリー侯爵位は分流に継承されて現存している。

歴史

現在のハントリー侯爵家の邸宅アボイン城英語版

スコットランドゴードン氏族英語版の長であるアレグザンダー・ゴードン英語版(-1470)は、1445年7月3日スコットランド貴族爵位「ハントリー伯爵(Earl of Huntly)」に叙された[1][2]

2代ハントリー伯ジョージ・ゴードン英語版(-1501年)や、3代ハントリー伯アレグザンダー・ゴードン英語版(-1524)の長男ゴードン卿ジョン・ゴードン英語版(-1517)スコットランド国王ジェームズ4世の娘を妻に迎えている[1]

6代ハントリー伯ジョージ・ゴードン英語版(1562–1636)カトリック教徒で、1589年スペインフェリペ2世と密約を交わした容疑にかけられたが、スコットランド王ジェームズ6世の配慮により寛大な措置で済んだだけでなく、1592年にはジェームズ6世の命令で、国王襲撃事件を起こしたボスウェル伯フランシス・ステュアート英語版の共犯とされた第2代マリ伯爵ジェームズ・ステュアート英語版を殺害した後は王に匿われるなど厚遇された[3]1599年4月17日にスコットランド貴族爵位「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「インジー伯爵(Earl of Enzie)」「バデノックのゴードン卿(Lord Gordon of Badenoch)」に叙せられた [4][5]

2代ハントリー侯ジョージ・ゴードン英語版(1592–1649)イングランド王兼スコットランド王チャールズ1世に仕え、宗教問題で王と対立したスコットランド国民盟約と戦ったが、1639年主教戦争におけるディー橋の戦いで盟約派モントローズ伯爵(後にモントローズ侯爵)ジェイムズ・グラハムに敗れ捕虜になった[6]

1642年から清教徒革命が始まると2代侯は王党派に入り引き続きチャールズ1世に仕えたが、不仲だった長男のジョージ・ゴードン卿が母方の伯父に当たる盟約派のアーガイル侯爵アーチボルド・キャンベルに味方したためゴードン氏族は分裂した[7]。2代侯は次男のアボイン子爵英語版ジェイムズ・ゴードン英語版(1620頃-1649)と共に王党派に留まり、1644年3月にスコットランド北東のアバディーンを乗っ取って国王支持を表明、かつての敵だったモントローズ侯も呼応したが、アーガイル侯ら盟約派に機先を制され2代侯はアバディーンから逃亡した[8]。モントローズ侯がスコットランド内戦英語版でスコットランドを転戦する中2代侯は動かず、代わりにゴードン卿が盟約派から離反して1645年2月2日インヴァロッヒーの戦いに勝利したモントローズ侯率いる王党派の軍に合流したが、7月2日アルフォードの戦い英語版で王党派の勝ち戦の最中に戦死した[9]

ゴードン卿の死後実質的にゴードン氏族を率いた弟のアボイン子爵は兄と異なり、モントローズ侯から離脱した。2代侯もモントローズ侯と協力せず、落ち目になったモントローズ侯は没落していった。1646年になると2代侯はモントローズ侯に代わるスコットランド王党派の中心になろうと画策したり、イングランド内戦第一次イングランド内戦)に敗れ盟約派に監禁されたチャールズ1世の脱走受け入れを計画したがいずれも失敗[10]1649年の2代侯の死後ハントリー侯爵位は三男でゴードン卿とアボイン子爵の弟であるルイス・ゴードン英語版(1626頃–1653)が継承している。

2代侯は特別継承権で彼か彼の父の死後に次男ジェイムズ・ゴードンに継承されるアボイン子爵に叙せられている。その規定通り初代ハントリー侯の死後にジェイムズは第2代アボイン子爵となったが、子供を残さずに父の2代侯に先立って死亡したため同子爵位は2代で廃絶している[11]。兄のジョージ・ゴードン卿も子供無く先立って死んでいたのでハントリー侯爵位はルイス・ゴードンが継承している。また四男チャールズ・ゴードンはスコットランド貴族「アボイン伯爵英語版」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」に叙せられている。後にこのアボイン伯爵家がハントリー侯爵位を継承することになる[4]

4代ハントリー侯ジョージ・ゴードン(1643–1716)は、1684年11月1日にスコットランド貴族爵位「ゴードン公爵(Duke of Gordon)」、「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「ハントリー=インジー伯爵(Earl of Huntly and Enzie)」、「インヴァーネス子爵(Viscount of Inverness)」、「バデノック、ロシャベール、ストラサヴォン、ベルモア、オーチドン、ガースィー及びキンカーディン卿(Lord Badenoch, Lochaber, Strathavon, Balmore, Auchidon, Garthie and Kincardine)」に叙せられた[12][13]。しかしこれらの爵位群は、5代ゴードン公爵ジョージ・ゴードン(1770–1836)が後継者なく死去したことで廃絶している[12](後に女系の子孫であるリッチモンド公爵レノックス家が新規に連合王国貴族としてゴードン公爵位を与えられている)[14]

ハントリー侯爵位のみ2代侯に遡っての分流である第5代アボイン伯爵ジョージ・ゴードン(1761–1853)に継承された。しかしこの際、ハントリー侯爵位と一緒に創設されたはずのインジー伯爵位とバデノックのゴードン卿の爵位の継承は認められなかった。またハントリー伯爵位は女系継承が可能な爵位との反論があり、リッチモンド公爵家が継承者である可能性があるため、やはり継承を認められなかった[4]。しかし彼は先立つ1794年にスコットランド貴族爵位「アボイン伯爵(Earl of Aboyne)」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」を継承しており、また1815年には連合王国貴族爵位「アバディーン州におけるモーヴァンのメルドラム男爵(Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)」に叙されているため、これらがハントリー侯爵位の新たな従属爵位となった[4]

以降今日まで彼の子孫によってそれらの爵位は継承され続けている。2015年現在の当主は13代ハントリー侯グランヴィル・ゴードン英語版(1944-)である[4]

本邸はスコットランドアバディーンシャーにあるアボイン城英語版である[4]。一族のモットーは「計略ではなく勇気を持て (Animo Non Astutia)」[4]

現当主の全保有爵位

現当主13代ハントリー侯グランヴィル・ゴードン英語版は以下の爵位を保有している[15][4]

一覧

ハントリー伯 (1445年)

ハントリー侯 (1599年)

ゴードン公 (1684年)

ハントリー侯 (1599年)

家系図

ゴードン及びゴードン=レノックス家: ハントリー伯爵 ハントリー侯爵 ゴードン公爵(1期) ゴードン公爵(2期)
 
 
スコットランド王
ジェームズ1世
(1394–1437)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1445年ハントリー伯
 
 
 
 
 
 
 
スコットランド王
ジェームズ2世
(1430–1460)
 
 
 
 
 
 
初代ハントリー伯
アレグザンダー・シートン(ゴードン)英語版
(?-1470)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スコットランド王
ジェームズ3世
(1451–1488)
 
アナベラ英語版
(c.1433–1509)
 
2代ハントリー伯
ジョージ・ゴードン英語版
(?-1501)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スコットランド王
ジェームズ4世
(1473–1513)
 
 
 
3代ハントリー伯
アレグザンダー・ゴードン英語版
(?-1524)
 
サザーランド伯(妻の権利)
アダム・ゴードン
(?-1528)
m.10代サザーランド女伯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サザーランド伯ゴードン家へ
キャサリン・ステュワート
(c.1495–1554)
m.3代モートン伯英語版
 
マーガレット・ステュワート
(c.1497–15??)
 
ゴードン卿
ジョン・ゴードン
英語版

(?-1517)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マーガレット・ダグラス
(c.1510–1579)
m. 第2代アラン伯爵
 
 
 
4代ハントリー伯
ジョージ・ゴードン英語版
(1514–1562)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アン・ハミルトン英語版
(c.1535–1574)
 
 
 
5代ハントリー伯
ジョージ・ゴードン英語版
(?-1576)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1599年ハントリー侯
 
 
 
初代ハントリー侯
6代ハントリー伯
ジョージ・ゴードン英語版
(1562–1636)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1632年アボイン子爵英語版
 
 
 
2代ハントリー侯
7代ハントリー伯
初代アボイン子爵
ジョージ・ゴードン英語版
(1592頃–1649)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1660年アボイン伯爵英語版
 
 
 
2代アボイン子爵
ジェームズ・ゴードン英語版
(1620頃–1649)
 
 
3代ハントリー侯
8代ハントリー伯
ルイス・ゴードン英語版
(1626頃–1653)
 
初代アボイン伯
チャールズ・ゴードン
(1638頃–1681)
 
 
 
アボイン子爵廃絶
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1684年ゴードン公(1期)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初代ゴードン公
4代ハントリー侯
9代ハントリー伯
ジョージ・ゴードン
(1643–1716)
 
2代アボイン伯
チャールズ・ゴードン
(c.1670–1702)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ゴードン公
5代ハントリー侯
10代ハントリー伯
アレグザンダー・ゴードン
(1678頃–1728)
 
3代アボイン伯
ジョン・ゴードン
(?-1732)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ゴードン公
6代ハントリー侯
11代ハントリー伯
コズモ・ゴードン
(1720–1752)
 
4代アボイン伯
チャールズ・ゴードン
(1728–1795)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代ゴードン公
7代ハントリー侯
12代ハントリー伯
アレグザンダー・ゴードン英語版
(1743–1827)
 
9代ハントリー侯
5代アボイン伯
ジョージ・ゴードン
(1761–1853)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代リッチモンド公
チャールズ・レノックス
(1764-1819)
 
シャーロット・レノックス英語版
(1768–1842)
 
5代ゴードン公
8代ハントリー侯
13代ハントリー伯
ジョージ・ゴードン
(1770–1836)
 
10代ハントリー侯
6代アボイン伯
チャールズ・ゴードン英語版
(1792–1863)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ゴードン公(1期)廃絶
ハントリー伯停止
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代リッチモンド公
チャールズ・ゴードン=レノックス英語版
(1791–1860)
 
 
 
11代ハントリー侯
7代アボイン伯
チャールズ・ゴードン英語版
(1847–1937)
 
グランヴィル・ゴードン
(1856–1907)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1876年ゴードン公(2期)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代リッチモンド公
初代ゴードン公
チャールズ・ゴードン=レノックス
(1818–1903)
 
 
 
 
 
 
 
グランヴィル・ゴードン
(1883–1930)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代リッチモンド公
2代ゴードン公
チャールズ・ゴードン=レノックス
(1845–1928)
 
 
 
 
 
 
 
12代ハントリー侯
8代アボイン伯
ダグラス・ゴードン
(1908–1987)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8代リッチモンド公
3代ゴードン公
チャールズ・ゴードン=レノックス
(1870–1935)
 
 
 
 
 
 
 
13代ハントリー侯
9代アボイン伯
グランヴィル・ゴードン英語版
(1944-)
 
 
 
 
 
 
 
9代リッチモンド公
4代ゴードン公
フレデリック・ゴードン=レノックス
(1904–1989)
 
 
 
 
 
 
 
10代リッチモンド公
5代ゴードン公
チャールズ・ゴードン=レノックス英語版
(1929-2017)
 
 
 
 
 
 
 
11代リッチモンド公
6代ゴードン公
チャールズ・ゴードン=レノックス英語版
(1955-)

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b Heraldic Media Limited. “Huntly, Earl of (S, c.1445)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Gordon, 1st Earl of Huntly” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。
  3. ^ トランター、P250 - P254、小林、P230、P233、P263。
  4. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Huntly, Marquess of (S, 1599)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2010年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Gordon, 1st Earl of Huntly” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。
  6. ^ トランター、P274 - P275。
  7. ^ ウェッジウッド、P144、P277 - P278。
  8. ^ ウェッジウッド、P284 - P285、P320 - P323。
  9. ^ トランター、P279、ウェッジウッド、P374、P405 - P406、P431 - P432、P496 - P498。
  10. ^ ウェッジウッド、P517、P581 - P582、P629、P634 - P635。
  11. ^ Heraldic Media Limited. “Aboyne, Viscount of (S, 1632 - 1649)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  12. ^ a b Heraldic Media Limited. “Gordon, Duke of (S, 1684 - 1836)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  13. ^ Lundy, Darryl. “George Gordon, 1st Duke of Gordon” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。
  14. ^ Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  15. ^ Lundy, Darryl. “Granville Charles Gomer Gordon, 13th Marquess of Huntly” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。

参考文献

関連項目