「九四式三十七粍砲」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
m
変なパイプをはずす。名の由来に言及
(リンク修正。辞書的解説に導くリンクをはずす。別称についての記述を冒頭部に集約)
m (変なパイプをはずす。名の由来に言及)
 
|}
 
'''九四式三十七粍砲'''(きゅうよんしきさんじゅうななみりほう)は、[[1934年|昭和9年]]に[[大日本帝国陸軍]]が開発・採用した[[対戦車砲]]である。日本軍では対戦車砲のことを[[速射砲]]と呼んでいたため、'''九四式三十七粍速射砲'''と呼ばれることもあるが、制式名称に「速射砲」の語はない。1934年(昭和9年)は[[皇紀]]2594年にあたるため、九四式と名付けられた
 
開発当初から発達しつつある[[装甲戦闘車両]]への対処に主眼が置かれており、帝国陸軍初の本格的な対戦車砲として[[日中戦争]]([[支那事変]])・[[ノモンハン事件]]・[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])で使用された。
 
== 運用 ==
九四式三十七粍砲は[[歩兵連隊#日本陸軍|歩兵連隊]]の'''速射砲中隊'''に4門ずつ配備された。速射砲中隊の編制は4個分隊('''戦砲隊'''と称した)から成り、本砲1門で1個分隊を編成することになる。分隊は分隊長・砲手・砲手予備・装填手・伝令・弾薬手(5名)および排莢できなかった際に洗桿(砲腔を洗浄するための棒)で薬莢を抜き出す係の合計11名から成る。放列を敷く場合、分隊間の距離は約100mで、分隊の後方300mに小隊本部(2個分隊を管轄)、さらにその300m後方に中隊本部が設置される。中隊本部と小隊本部は有線電話で結ばれるが、小隊本部と各分隊との間は伝令を走らせて連絡を取ることになる。この布陣はあくまで一般的なものであり、地形や状況によってその都度指揮官が判断することになる。
 
本砲の駄載には'''十五年式駄馬具'''を使用するした。本砲を駄載する場合の区分は次のようなものであった。第1号馬は砲身1(76kg)・担棍1(4kg)・轅棹4(7.5kg)。合わせて駄馬具37.33kg・架匡托架3.17kg・馬糧2.6kgがあり、1号馬全体で130.6kgを運搬する。第2号馬は砲架1(95.4kg)のみ、合わせて駄馬具37.33kg・架匡托架3.17kg・馬糧2.6kgがあり、2号馬全体で136.5kgを運搬する。第3号馬は揺架1(23.2kg)・車輪2(右31.6kg、左36.2kg)。合わせて駄馬具37.33kg・架匡托架7.07kg・馬糧2.6kgがあり、3号馬全体で138.0kgを運搬する。第4号馬は砲脚2(右26.8kg、左21.4kg)・属品箱2(24kg)、防盾1(16kg)。合わせて駄馬具37.33kg・架匡托架11.67kg・馬糧2.6kgがあり、4号馬全体で139.8kgを運搬する。弾薬馬は弾薬箱4(84kg)・両頭槌2(7.6kg)。合わせて駄馬具31.775kg・架匡托架5.725kg・馬糧2.6kgがあり、弾薬馬全体で131.7kgを運搬する。以上が標準的な駄載区分であった<ref>「九四式37粍砲用15年式駄馬具制式制定の件 」。</ref>。また駄載用の弾薬箱として30発を収容可能な木製弾薬箱も制式化された。本弾薬箱は空重量13kg、全備重量49kgで茶褐色に塗装されていた<ref>「積載用弾薬箱九四式37粍砲外1点駄載用弾薬箱仮制式制定の件」。</ref>。
 
上述の様に本砲は、歩兵と行動を共に出来ることを条件に一種の歩兵砲としての考え方で配備された。<BR>
27,574

回編集

案内メニュー