「岡崎令治」の版間の差分

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[[1960年]]、[[ワシントン大学]]([[セントルイス]])のストロミンジャー、コーンバーグのもとに留学。[[スタンフォード大学]]を経て、[[1963年]]、名古屋大学理学部[[化学]]教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
 
[[1966年]]、[[DNA]]の合成前駆体である短断片([[岡崎フラグメント]])を発見し、Proc. Natl Acad. Sci USA誌、ならびにコールドスプリングハーバーシンポジウムで発表する。[[1967年]]、同分子生物学研究施設教授。[[1972年]]、岡崎フラグメント間をつなぐ[[リボ核酸|RNA]]を見いだし、DNA非連続合成のモデルを完成させた。
 
1975年、広島での[[被爆]]が原因の慢性骨髄性[[白血病]]で米国旅行中に44才で急逝した。その後、夫人の岡崎恒子名古屋大学教授(現・[[藤田保健衛生大学]])により研究は引き継がれた。 分子生物学の教科書なら必ず記載されている岡崎フラグメントの研究は、日本の分子生物学の金字塔であると言われる。「何が「essential」か,そして「essential」なことを解析するためにはどのような決定的実験をやるべきか。」の名言が残されている。
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