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* [[岩田準一]] - 竹久夢二の弟子。乱歩の風俗研究における同好の友だったとされている。乱歩が鳥羽造船所に勤めていた時代に親交を深めた。
* [[岩田準一]] - 竹久夢二の弟子。乱歩の風俗研究における同好の友だったとされている。乱歩が鳥羽造船所に勤めていた時代に親交を深めた。
* [[江戸川乱歩賞]]
* [[江戸川乱歩賞]]
* [[鈴鹿ポイントゲッターズ|FC鈴鹿ランポーレ]] - [[鈴鹿市]]を本拠地とするサッカークラブ。前身は[[名張市]]を本拠地にした[[三重FCランポーレ]]。同市出身の乱歩の名前にちなんで命名。
* [[鈴鹿ポイントゲッターズ|FC鈴鹿ランポーレ]] - [[鈴鹿市]]を本拠地とするサッカークラブ。前身は[[名張市]]を本拠地にした三重FCランポーレ。同市出身の乱歩の名前にちなんで命名。
* [[ランポーレ三重]] - [[名張市]]を本拠地とするバスケットボールクラブ。
* [[乱歩 (小惑星)]]
* [[乱歩 (小惑星)]]
* [[ワセダミステリクラブ]] - 乱歩が初代顧問を務めた。
* [[ワセダミステリクラブ]] - 乱歩が初代顧問を務めた。

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江戸川 乱歩えどがわ らんぽ
1954年
誕生 平井 太郎ひらい たろう
1894年10月21日
日本の旗 日本 三重県名賀郡名張町(現・名張市
死没 (1965-07-28) 1965年7月28日(70歳没)
日本の旗 日本 東京都豊島区池袋
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学大学部政治経済学科卒業
活動期間 1923年 - 1965年
主題 推理小説
代表作D坂の殺人事件』(1925年)
陰獣』(1928年)
孤島の鬼』(1930年)
黒蜥蜴』(1934年)
怪人二十面相』(1936年)
幻影城』(1951年、評論)
探偵小説四十年』(1961年、自伝)
デビュー作二銭銅貨』(1923年)
子供 平井隆太郎
親族 平井蒼太 (次弟)
平井憲太郎(孫)
松村喜雄(従妹の息子)
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ファイル:江戶川亂步.jpg
江戸川乱歩の銅像

(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、1894年明治27年)10月21日 - 1965年昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。

本名は(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長位階正五位勲等勲三等

ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来する[1][※ 1]

経歴

1894年(明治27年)三重県名賀郡名張町(現・名張市)に名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれる(本籍地津市)。平井家は武士家柄で、祖先は伊豆伊東の郷士だった。のちに伊勢津藩の藤堂家に仕え、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げた。

2歳の頃父の転勤に伴い鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)、翌年名古屋市に移る(以降、大人になっても点々と引越しを繰り返し、生涯引っ越した数は46件にも及ぶ)。小学生のころに母に読み聞かされた菊池幽芳訳『秘中の秘』が、探偵小説に接した最初であった。中学校では、押川春浪黒岩涙香小説を耽読した。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業後、早稲田大学政治経済学科に進学。卒業後は貿易会社社員、古本屋支那そば屋など多くの仕事を経る。

1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部(現シンフォニア テクノロジー)に就職。庶務課に配属されたが、技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に回された[3]。無断欠勤などもあったが許されていたという。「日和」では編集のみならずイラストも描いている[4]。この会社は1年4ヶ月で退職するが、この時期の体験が屋根裏の散歩者パノラマ島奇談の参考になったという[3]

1919年、読み聞かせ会で知り合った坂手島の小学校教師である村山隆子と結婚する[4]

1923年大正12年)、森下雨村小酒井不木に激賞され、『新青年』に掲載された『二銭銅貨』でデビューする。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志す一方で『心理試験』『赤い部屋』といった変格とみなせるような作品も書き、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。『人間椅子』や『鏡地獄』に代表されるようなフェティシズムや怪奇小説の部類も初期から執筆しており、岩田準一とともに研究していた衆道少年愛少女愛、男装・女装、人形愛、草双紙サディズムやグロテスク、残虐趣味などの要素を含んだ通俗探偵小説も、昭和初期から一般大衆に歓迎された。

当初は小説家として生計を立てるか悩んだと述べており、処女作『二銭銅貨』以降は、あくまで兼業の趣味の範疇として散発的に短編小説を執筆するに留まっていた。1925年に森下の企画で『新青年』に6ヶ月連続短編掲載するにあたってその2作目の『心理試験』が好評で踏ん切りがついたと述べている。ここで会社を辞めて小説家一本にしたが、探偵小説家としては早くも行き詰まり、連続掲載の6作目に当たる『幽霊』は自ら愚作と評し、小説家になったことを後悔したという。しかし、森下の紹介で『写真報知』や『苦楽』にも掲載を持てることとなり、探偵小説専門誌である『新青年』には載せられないような通俗的な作品の執筆で生計が安定した。

乱歩は海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』、『三角館の恐怖』、『幽鬼の塔』などを残している。また、少年向けとして、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する『怪人二十面相』などがある。このほか、探偵小説に関する評論(『幻影城』など)を残している。

戦後も乱歩は主に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わった。また、日本探偵作家クラブの創立と財団法人化に尽力した。同クラブに寄付した私財100万円の使途として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。

晩年の乱歩は高血圧動脈硬化副鼻腔炎(蓄膿症)を患い、さらにパーキンソン病を患ったが[5]、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行った。

平井家の墓
平井家の墓の右脇に江戸川乱歩の墓標がある

1965年(昭和40年)7月28日、乱歩はクモ膜下出血のため東京都豊島区池袋の自宅で70歳で没した[6]。戒名・智勝院幻城乱歩居士。31日、正五位勲三等瑞宝章を追贈される。8月1日、推理作家協会葬が行われた。

業績

小説家として

創作活動初期は、『D坂の殺人事件』、『心理試験』など、いわゆる本格派と呼ばれる短編作品を執筆し、日本人の創作による探偵小説(推理小説の意。1955年(昭和30年)頃まではこの呼称が一般的であった)の基礎を築いた。トリックや題材に欧米の諸作からの影響を感じさせるが、単なる模倣でなく乱歩の独創性が活かされている。

乱歩は探偵小説の王道というべき本格派を志向していたが、それらの作品は大衆からあまり支持されなかった。大衆は幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものと称される作品を好んだ。『赤い部屋』『人間椅子』『鏡地獄』などが代表的な変格ものといえる。

1926年(大正15年)12月より1927年(昭和2年)2月までの約3か月間、朝日新聞に『一寸法師』を連載する。病欠の山本有三の代役だった。作品は評判がよく、映画化された。しかし乱歩は小説の出来に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪したという(以後、戦前の乱歩は「休筆中に放浪」というパターンが多くなる)。

1928年(昭和3年)8月、14か月の休筆のあと、乱歩は自己の総決算的中篇『陰獣』を発表する。これは変態性欲を題材にした作品で、不健康とみなされた一方、横溝正史(当時の探偵小説の雑誌『新青年』の編集者)により「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛された。戦前の本格探偵小説の新時代を築いたといえる。『新青年』は「陰獣」を前後2回に渡り掲載したが、雑誌は増刷するほどで、当時の世評の高さがうかがえる。

通俗長編「蜘蛛男」を、かねてより執筆依頼のあった『講談倶楽部』に連載する。この作品は自身の趣向であった「エロ・グロ・猟奇・残虐趣味」を前面に押し出したものだった。作品は大好評で、これを契機として乱歩は続けざまにヒット作を連発させる。単行本は数十版を重ねた。これは探偵小説をポピュラーな地位に押し上げたといえる(通俗長編について乱歩は、黒岩涙香モーリス・ルブラン、ポーなどから着想をえたと言っており、事実、そのような作品が多い)。

乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、時代的背景が影響していたといえる。金融恐慌の影響で、世間にはいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」といわれる退廃的気風が満ちていたのだ[7]。これらの通俗長編は、初期作品に比べると破綻があり(乱歩自身認めている)、これがミステリの低俗化を招いたとする批判がある。評論家の権田萬治は、著書『日本探偵作家論』において、乱歩の長編は翻案など一部を除きほとんどがプロットに破綻をきたしていると述べ、作品としての完成度を批判している。一方、乱歩と長年親交のあった評論家中島河太郎は、1974年刊の『小学館万有百科事典』(ジャンルジャポニカ)において、低俗性を認める一方で、市場拡大の貢献を言及している。

1931年(昭和6年)5月、乱歩初の『江戸川乱歩全集』全13巻が平凡社より刊行開始された。総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていた平凡社を建て直すきっかけになったという。

乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったという。多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すこととなった。また、長編を作り上げるにあたり、程度の低いものを書いているという意識に苛まれていた。これも休筆の要因といえる。

とりわけ、探偵小説の本舞台である『新青年』に本格ものを書こうとして行き詰まった経緯がある。「悪霊」は1934年(昭和9年)1月号までに3回中断し、探偵文壇の不評をこうむった。これ以外に、木々高太郎小栗虫太郎らの台頭により、乱歩は自分の時代が過ぎ去ったと感じ始める。

1935年(昭和10年)頃より、乱歩は評論家として広く活躍し始める。評論集『鬼の言葉』は、その最初の成果である。その一方で、1936年(昭和11年)初めての少年ものを執筆する。のちにシリーズ化される「怪人二十面相」を雑誌『少年倶楽部』に連載したのだ。この作品は少年読者の圧倒的支持を受け、乱歩のもとに多数のファンレターが来たという。以後、乱歩は創作レパートリーに少年ものを定期的に加えるようになった。

日本が戦争体制を強化していくにしたがい芸術への検閲が強まっていったが、1937年(昭和12年)頃より、その度合いは強くなった。探偵小説は内務省図書検閲室によって検閲され、表現の自由を制限された。一説では、内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたという。

1939年(昭和14年)以降は検閲が激化し、無茶な削除訂正が頻発し、『芋虫』が発禁になっている。

1941年(昭和16年)に入ってからは原稿依頼が途絶え、旧著がほぼ絶版になった。

太平洋戦争に突入すると、探偵小説は少年ものですら執筆不可能となり、乱歩は小松竜之介の名で子供向きの作品(科学読み物「知恵の一太郎」など)や内務省の検閲対象とならない海軍省の会報に論評を載せるなどしていた[8]

太平洋戦争中、抹殺されていた探偵文壇は、戦後、GHQの占領政策終了のもと復興し始める。

戦後は、創作以外に活動の幅を広げ、評論や講演を行う。また、1946年からはじめた愛好家の集まり「土曜会」を発展させ、1947年に探偵作家クラブ(後の日本推理作家協会)の結成を行う。1949年(昭和24年)1月号より「青銅の魔人」(雑誌『少年』に連載)で少年ものを再開する。

評論の分野では、1947年(昭和22年)に『随筆探偵小説』を上梓。1951年(昭和26年)には『幻影城』、1954年(昭和29年)に『続・幻影城』、1958年(昭和33年)に『海外探偵小説作家と作品』が上梓される。これらの評論集は、乱歩の優れた批評眼と洞察力がうかがえる探偵小説論・探偵作家論といえる。

戦後においても、大衆は乱歩の「本格もの」よりも「変格もの」を支持した。乱歩が本意としていた本格ものはあまり反響がなかった。同時期に多数発表された長編探偵小説の中で、戦後継続して再刊されたのは乱歩の作品だけである(空前のリバイバルとなった横溝正史ですら、戦前長編は数作を除けば一時的に再刊されただけ)。また、ミステリの枠に留まらず、怪奇・幻想文学において存在意義がある。猟奇・異常性愛を描いた作品は後年の官能小説に多大な影響を残した。

また、戦後に再開した少年探偵団シリーズは子どもたちから絶大な支持を受け、昭和30年代ごろから映像化された。戦後は雑誌『少年』の発行元だった光文社から『少年探偵江戸川乱歩全集』として全23巻が刊行された。乱歩最晩年の昭和39年頃から光文社は絶版となり、版権はポプラ社へ移動する。ポプラ社では、『少年探偵江戸川乱歩全集』として乱歩が児童向けとして書いた作品を全26巻で刊行した。さらに乱歩の大人向けの作品を代作者が児童向けに書き直したものを20巻刊行し、全46巻の大全集となった。シリーズのほとんどで敵役となっている怪人二十面相は、推理小説の架空キャラクターとしては、シャーロック・ホームズアルセーヌ・ルパン明智小五郎金田一耕助らと並んで、広く親しまれている。なお、戦後に発表されたものについては、戦前に大人向けに書いた推理小説・怪奇小説を代作者が子供向きに翻案した結果、明智小五郎など登場人物の性格が、乱歩自身の設定と異なっていることがあった。

プロデューサーとして

戦後は、新人発掘にも熱心で、高木彬光筒井康隆大薮春彦星新一など、乱歩に才能を見出された作家は少なくない。『宝石』編集長時代には、多くの一般作家に推理小説発表の場を与えている。代表的な作家に、歌舞伎評論家の戸板康二がいる。また、小林信彦を宝石社にスカウトし、『ヒッチコック・マガジン』の編集長に推薦している。

日本国外の推理作家との交流にも積極的で、エラリー・クイーンと文通してアメリカ探偵作家クラブ (MWA) の会員にもなったほか、フランスのイゴール・B・マスロフスキー、オランダのロバート・ファン・ヒューリックW・G・キエルドルフ (nl) 、ソビエト連邦のロマン・キム (ru) 、韓国の金来成らと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介した。

晩年には、空想科学小説に興味を持ち、筒井康隆、矢野徹など、黎明期の日本のSF関係者を援助し、商業出版に尽力した。1959年のインタビューでは、「推理物は一作目にいいものが多く、クリスティを例外に、一般的に年を取るにつれ筆が鈍る。自分にはすでに創意がない。60歳の誕生日会のとき再び筆を取ると宣言したが、書いてみたら納得がいかなかった。代わりに今後は探偵小説史のようなものをまとめたい」と語ったが、その夢は実現されなかった[9]

「全集」は没後刊行が一般的な時代、生前・没後に各4度[※ 2] にわたり「全集」刊行した作家は分野を問わず他には存在しない。

内外から尊敬を込め大乱歩とも呼ばれた。師事した山田風太郎は、『風眼抄』で「『大乱歩』という言葉もある。ほかにも一世を風靡した作家や、大衆から敬意を表された作家や、芸術的にもっと高いものを書いた作家は多いのに、大の字を冠してこれほどおかしくない人も珍らしい。」と書いている[10]

栄典

家族

1919年、鳥羽造船所を退職したのち、東京で三人書房を営んでいた時代に、現鳥羽市坂手島の学校教師である村山隆子(隆<りう=りゅう>。1982年9月2日、脳血栓のため死去。享年85)と結婚。一人息子の平井隆太郎心理学者立教大学名誉教授。「少年探偵」シリーズの著作権継承者でもある。孫の平井憲太郎は鉄道研究家で『とれいん』の編集者。

作品一覧

  • 著作権はすでに消滅し、パブリックドメインとなっている。江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、かつ作品集の類も戦前から現在まで何度も刊行されている。文庫で多数の作品を収録しているものとして、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)、春陽文庫「江戸川乱歩文庫」(改訂版)、ポプラ社文庫(児童向け)などがある。没後半世紀を経て著作権が失効したことを受け、角川文庫(改訂版)、岩波文庫文春文庫でも刊行されている。

探偵小説

明智小五郎もの(長編)

  • 一寸法師』(『朝日新聞』1926年12月〜1927年2月)
  • 蜘蛛男』(『講談倶楽部』1929年8月〜1930年6月)
  • 『猟奇の果』(『文芸倶楽部』1930年1月〜12月)
  • 魔術師』(『講談倶楽部』1930年7月〜1931年5月)
  • 黄金仮面』(『キング』1930年9月〜1931年10月)
  • 吸血鬼』(『報知新聞』1930年9月〜1931年3月)
  • 黒蜥蜴』(『日の出』1934年1月〜11月)
  • 『人間豹』(『講談倶楽部』1934年1月〜1935年5月)
  • 『悪魔の紋章』(『日の出』1937年9月〜38年10月)
  • 『暗黒星』(『講談倶楽部』1939年1月〜12月)
  • 『地獄の道化師』(『富士』1939年1月〜12月)
  • 『化人幻戯』(『別冊宝石』〜『宝石』1954年11月〜55年10月) - 乱歩晩年の「本格」ものに挑戦した作品[12] と言われる。
  • 影男』(『面白倶楽部』1955年1月〜12月)

明智小五郎もの(中短編)

その他の探偵・ノンシリーズ

  • 二銭銅貨』(『新青年』1923年4月)
  • 一枚の切符』(『新青年』1923年7月)
  • 恐ろしき錯誤』(『新青年』1923年11月)
  • 二癈人』(『新青年』1924年6月)
  • 『双生児』(『新青年』1924年10月)
  • 赤い部屋』(『新青年』1925年4月)
  • 『日記帳』(『写真報知』1925年4月)
  • 算盤が恋を語る話』(『写真報知』1925年4月)
  • 盗難』(『写真報知』1925年5月)
  • 白昼夢』(『新青年』1925年7月)
  • 『指環』(『新青年』1925年7月)
  • 『夢遊病者の死』(『苦楽』1925年7月)
  • 『百面相役者』(『写真報知』1925年7月)
  • 『一人二役』(『新小説』1925年9月)
  • 『疑惑』(『写真報知』1925年9月)
  • 人間椅子』(『苦楽』1925年10月)
  • 『接吻』(『映画と探偵』1925年12月)
  • 闇に蠢く』(『苦楽』1926年1月〜11月で連載中絶)1927年に完結
  • 『湖畔亭事件』(『サンデー毎日』1926年1月〜5月)
  • 『空気男』(原題:二人の探偵小説家)(『写真報知』1926年1月〜2月で連載中絶) (未完)
  • 踊る一寸法師」(『新青年』1926年1月)
  • 『毒草』(『探偵文芸』1926年1月)
  • 『覆面の舞踏者』(『婦人之国』1926年1月〜2月)
  • 『灰神楽』(『大衆文芸』1926年3月)
  • 『火星の運河』(『新青年』1926年4月)
  • モノグラム』(『新小説』1926年7月)
  • お勢登場』(『大衆文芸』1926年7月)
  • 人でなしの恋』(『サンデー毎日』1926年10月)
  • パノラマ島奇談』(別表記:パノラマ島綺譚)(『新青年』1926年10月〜1927年4月)
  • 鏡地獄』(『大衆文芸』1926年10月)
  • 『木馬は廻る』(『探偵趣味』1926年10月)
  • 陰獣』(『新青年』1928年8月〜10月)
  • 芋虫』(原題:悪夢)(『新青年』1929年1月)
  • 孤島の鬼』(『朝日』1929年1月〜1930年2月)
  • 押絵と旅する男』(『新青年』1929年6月)
  • 』(『改造』1929年9月〜10月)
  • 盲獣』(『朝日』1931年2月〜1932年3月)
  • 目羅博士』(原題:目羅博士の不思議な犯罪)(『文芸倶楽部』1931年4月)
  • 地獄風景』(『平凡社版江戸川乱歩全集』1931年5月〜1932年4月) 全集付録冊子への連載
  • 恐怖王』(『講談倶楽部』1931年6月〜1932年5月)
  • 』(『キング』1931年11月〜1932年2月)
  • 火縄銃』(『平凡社版江戸川乱歩全集』1932年4月) 学生時代(1916年以前)の習作
  • 悪霊』(『新青年』1933年11月〜1934年1月で連載中絶) (未完)[※ 3]
  • 妖虫』(『キング』1933年12月〜1934年10月)
  • 石榴』(『中央公論』1934年9月)
  • 『大暗室』(『キング』1936年12月〜39年6月)
  • 『偉大なる夢』(『日の出』1943年11月〜44年12月)米国相手の戦意高揚小説
  • 『断崖』(『報知新聞』1950年3月)
  • 『悪霊物語』(『講談倶楽部』1954年8月〜)
  • 『防空壕』(『文芸』1955年7月)
  • 『十字路』(講談社、1955年11月、書き下ろし) 渡辺剣次による第一稿をリライト。トリック、プロットも渡辺剣次の案出。
  • 堀越捜査一課長殿』(『オール讀物』1956年4月)
  • 『妻に失恋した男』(『産経時事』1957年10月〜11月)
  • 『ぺてん師と空気男』(桃源社、1959年11月、書き下ろし)
  • 『指』(『ヒッチコック・マガジン』1960年1月)
  • 『薔薇夫人』(未収録作品)

翻案・リライト小説

連作・合作小説

  • 『五階の窓』(『新青年』1926年5月) リレー連作小説の第1回目を担当
  • 『空中紳士』(原題:飛機睥睨)(『新青年』1928年2月〜9月) 乱歩を含む5人の作家による合作
  • 『江川蘭子』(『新青年』1930年9月) リレー連作小説の第1回目を担当
  • 『殺人迷路』(『探偵倶楽部』1932年10月) 全集の付録冊子に連載されたリレー連作小説の第5回目を担当
  • 『黒い虹』(『婦人公論』1934年1月) リレー連作小説の第1回目を担当
  • 『畸形の天女』(『宝石』1953年10月)
  • 『女妖』(『探偵実話』1954年1月)
  • 『大江戸怪物団』(『面白倶楽部』1955年7月)

児童向け作品

少年探偵団・怪人二十面相もの

一部明智小五郎や二十面相が登場しない作品もある。

  • 怪人二十面相』(『少年倶楽部』1936年1月〜12月)
  • 少年探偵団』(『少年倶楽部』1937年1月〜12月)
  • 妖怪博士』(『少年倶楽部』1938年1月〜12月)
  • 大金塊』(『少年倶楽部』1939年1月〜1940年2月)
  • 青銅の魔人』(『少年』1949年1月〜12月)
  • 虎の牙』(『少年』1950年1月〜12月)、※ポプラ社版では「地底の魔術王」
  • 透明怪人』(『少年』1951年1月〜12月)
  • 怪奇四十面相』(『少年』1952年1月〜12月)
  • 宇宙怪人』(『少年』1953年1月〜12月)
  • 鉄塔の怪人』(『少年』1954年1月〜12月)、※ポプラ社版では「鉄塔王国の恐怖」
  • 灰色の巨人』(『少年クラブ』1955年1月〜12月)
  • 海底の魔術師』(『少年』1955年1月〜12月)
  • 黄金の虎』(「探偵少年」改題 『読売新聞』1955年1月〜12月)
  • 『天空の魔人』(『少年クラブ増刊』1956年1月15日)
  • 『黄金豹』(『少年クラブ』1956年1月〜12月)
  • 魔法博士』(『少年』1956年1月〜12月)
  • サーカスの怪人』(『少年クラブ』1957年1月〜12月)
  • 『妖人ゴング』(『少年』1957年1月〜12月)、※ポプラ社版では「魔人ゴング」
  • 『魔法人形』(『少女クラブ』1957年1月〜12月)、※ポプラ社版では「悪魔人形」
  • まほうやしき』(『たのしい三年生』1957年1月〜3月)
  • 赤いカブトムシ』(『たのしい三年生』1957年4月〜1958年3月)
  • 『奇面城の秘密』(『少年クラブ』1958年1月〜12月)
  • 夜光人間』(『少年』1958年1月〜12月)
  • 『塔上の奇術師』(『少女クラブ』1958年1月〜12月)
  • 『鉄人Q』(『小学四年生』1958年4月〜1959年3月、『小学五年生』1959年4月〜1960年3月)
  • 『ふしぎな人』(「ふしぎな人」、『たのしい二年生』1958年8月〜1959年3月、続けて「名たんていと二十めんそう」、『たのしい三年生』1959年4月〜12月)
  • 仮面の恐怖王』(『少年』1959年1月〜12月)
  • かいじん二十めんそう』(『たのしい二年生』1959年10月〜1960年3月)
  • かいじん二十めんそう』(『たのしい一年生』1959年11月〜1960年3月、続けて『たのしい二年生』1960年4月〜12月)
  • 電人M』(『少年』1960年1月〜12月)
  • おれは二十面相だ』(『小学六年生』1960年4月〜1961年3月)、※ポプラ社版では「二十面相の呪い」
  • 『怪人と少年探偵』(『こども家の光』1960年9月〜1961年9月)
  • 『妖星人R』(『少年』1961年1月〜12月)、※ポプラ社版では「空飛ぶ二十面相」
  • 『超人ニコラ』(『少年』1962年1月〜12月)、※ポプラ社版では「黄金の怪獣」
児童向け作品(ノンシリーズ )
  • 『新宝島』(『少年倶楽部』1940年4月〜1941年3月)
  • 『智恵の一太郎』(『少年倶楽部』1942年1月〜43年4月)[13]

随筆・評論

  • 『悪人志願』博文館(1929年)
  • 『鬼の言葉』春秋社(1936年)
  • 『幻影の城主』かもめ書房(1947年)
  • 『随筆探偵小説』清流社(1947年)
  • 『幻影城』岩谷書店(1951年)、評論集
  • 『続・幻影城』早川書房(1954年)、評論集。類別トリック集成を含む。
  • 『探偵小説三十年』岩谷書店(1954年)
  • 『探偵小説の「謎」』社会思想研究会出版部 現代教養文庫(1956年)
  • 『海外探偵小説作家と作品』早川書房(1957年)評論集
  • 『わが夢と真実』東京創元社(1957年)。それまでの随筆のうち、乱歩自身にかかわるものを収録したもの。
  • 『乱歩随筆』青蛙房(1960年)
  • 探偵小説四十年』桃源社(1961年)。自伝的回想録で、乱歩の目を通し描かれた初期日本探偵文壇史とでも称すべきもので、貴重な文献資料でもある。
  • 『彼・幻影の城』東都書房(1963年)

翻案作品

映画

多数あり。「明智小五郎」も参照のこと。以下はその一部である。

テレビドラマ

漫画

乱歩作品の漫画化は、藤子不二雄による子供向けの『少年探偵団』ものが1959年(昭和34年)に発表されている。初の成人向け作品の漫画化としては、昭和45年に少年誌『週刊少年キング』が「江戸川乱歩恐怖シリーズ」と銘打ち、エロ・グロ物を含む乱歩作品を横山光輝桑田次郎古賀新一石川球太の四者に競作させている。

テレビアニメ

派生作品

乱歩が登場するフィクション

  • 『目羅博士』など、一部の作品は「私が聞いたり見たりした話を元に書いた」という体裁を取っており[※ 4]、聞き手として乱歩が出てくる。
  • 陰獣』:乱歩作。自身をパロディした作家「大江春泥」が登場。春泥の本名「平田一郎」も乱歩の本名「平井太郎」をもじっている。
  • 横溝正史 『呪いの塔』。上記『陰獣』をさらに捻った推理パロディ長編。意外性を狙っているため、乱歩に相当する人物は、親友の横溝以外には困難だったであろう遠慮会釈のない造形となっている。
  • 斎藤栄 『乱歩幻想譜』1974年。乱歩を主人公にして、作品世界と関連した事件に次々と遭遇する連作短編。
  • 加納一朗 『浅草ロック殺人事件』1985年 - 乱歩をモデルとした探偵作家「香川幻夢」が登場。
  • 久世光彦 『一九三四年冬-乱歩』創元推理文庫、2013年(新版) - 山本周五郎賞受賞。
  • 映画『RAMPO」1994年 - 乱歩役は竹中直人
  • 映画『まぼろし探偵 地底人襲来』1960年 - 乱歩のパロディである作家「江戸山散歩」がキャラクターとして登場。
  • 映画『シルバー假面』2006年 - 作家になる前の「平井太郎」として登場。
  • 映画『ゴーストライターホテル』2012年 - 著名な作家たちが執筆のために宿泊したというホテル「本天堂」に現れる作家の霊のひとつとして。乱歩役はカンニング竹山
  • 舞台『サンタクロースが歌ってくれた』(演劇集団キャラメルボックス) - 作家になる前の「平井太郎」として劇中映画「ハイカラ探偵物語」に芥川龍之介と共に黒蜥蜴を追い詰める探偵役として登場し、スクリーンから飛び出した黒蜥蜴を追って芥川と共にスクリーンから飛び出す。太郎役は上川隆也岡田達也(2010年10日限定公演のみ)。
  • テレビアニメ『啄木鳥探偵處』2020年 - 作家になる前の「平井太郎」として登場。

その他

  • 没時まで住んでいた豊島区の邸宅は立教大学と隣接しており、子息である平井隆太郎が立教大学教員だったこともあり、現在は同大学が「旧江戸川乱歩邸」(正式名称「江戸川乱歩記念大衆文化研究センター」)として保存している。一般公開に関しては2017年ごろまでは年に数日~一週間程度「特別公開」という形で実施していたが、以後~現在は毎週水・金曜日に無料で見学出来る。これ以外にも時おり特別公開日を設ける場合あり。詳細は立教大学サイトの「旧江戸川乱歩邸」ページおよび「旧江戸川乱歩邸(大衆文化研究センター)」Twitter公式アカウントにて(#外部リンク参照)。
  • ファンにサインを求められると必ず色紙に「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」と書き添えた。
  • 昭和55年(1980年)1月になって、大正13年(1924年)9月から東京へ転居する大正15年(1926年)1月まで2階を書斎にしていた、当時「守口町外島694番地」であった大阪府守口市八島町の家が今も残っていることが判明した。この家は一時期一般開放されていたが、平成22年(2010年)に解体された。「江戸川乱歩寓居の跡」と書かれた看板が掲げられていた[※ 5]
  • 稚児趣味があり、若い歌舞伎役者を可愛がり、ただのファンを超えた関係があった[14]
  • 2015年、未発表手記が発見された。日付は1936年で原稿用紙38枚[15]

脚注

注釈

  1. ^ 2001年に発見された『二銭銅貨』の草稿には、「江戸川藍峯」(えどがわ らんぽう)と署名されていた。[2]
  2. ^ 『全集』は刊行順に、生前刊は平凡社全13巻(戦前)、春陽堂全16巻、光文社全23巻、桃源社全18巻(近年沖積舎で復刻)。没後刊は講談社で全15巻(新版 全25巻)、他に「文庫版全集」が、昭和末期に講談社文庫全66巻、平成(21世紀に入り)に光文社文庫全30巻が刊行。
  3. ^ 途中で話が続けられなくなり中断した。乱歩本人が掲載誌にお詫びとして読者へ謝罪し、中断を発表している。
  4. ^ これは古典推理小説ではよくあることで、同時期の横溝正史作品などにもよく見られる。
  5. ^ 『心理試験』や『人間椅子』『屋根裏の散歩者』などの初期の作品を含む21作品がこの家で執筆されており、そのほとんどが大正14年(1925年)に創作された。明智小五郎が初登場する『D坂の殺人事件』もこの家で創作された。また乱歩はこの家に住んでいた当時、床の間の天井板を外して踏み台に載り、首だけを出して屋根裏を覗いてみて、その捨てがたい眺めに陶然とした。その経験を元に『屋根裏の散歩者』が書かれた。

出典

  1. ^ 江戸川乱歩 (上) [なにわ人物伝 -光彩を放つ-]”. 大阪日日新聞. 2011年12月28日閲覧。
  2. ^ Yomiuri On-Line/社会 - 乱歩の名作「二銭銅貨」、最初期の草稿見つかる”. 読売新聞社. 2001年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月10日閲覧。
  3. ^ a b 江戸川乱歩とシンフォニア(その1)”. シンフォニアテクノロジー. 2020年5月9日閲覧。
  4. ^ a b 江戸川乱歩とシンフォニア(その2)”. シンフォニアテクノロジー. 2020年5月9日閲覧。
  5. ^ 江戸川乱歩 (下) [なにわ人物伝 -光彩を放つ-]”. 大阪日日新聞. 2011年12月28日閲覧。
  6. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)54頁
  7. ^ エロ・グロ・ナンセンス”. コトバンク. 2020年5月9日閲覧。
  8. ^ 言論統制下も執筆続ける 乱歩ら、海軍関連の会報で日本経済新聞
  9. ^ 1959年7月31日の対談「文壇よもやま話」カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」(3)[リンク切れ]
  10. ^ 山田風太郎『風眼抄』p.152(六興出版、1979年)
  11. ^ 江戸川乱歩の世界
  12. ^ 中島河太郎 『江戸川乱歩 評論と研究』(講談社)など
  13. ^ 発表当時は「小松龍之介」名義
  14. ^ 「江戸川乱歩」(3)カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス[リンク切れ]
  15. ^ 読売新聞 2015年10月17日 1面掲載。

参考文献

※代表的な書目の一部で、品切・絶版も含んでいる。

  • 入門書・図版本・小著
    • 鈴木貞美編 『江戸川乱歩』 新潮社<新潮日本文学アルバム41>、1993年
    • 太陽編集部編 『江戸川乱歩』 平凡社<コロナ・ブックス46>、 1998年
    • 『怪人江戸川乱歩のコレクション』 新潮社<とんぼの本>、2017年。平井憲太郎(孫)ほか4名
    • 『KAWADE夢ムック 江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団』 河出書房新社、2003年
    • 堀江あき子編 『江戸川乱歩と少年探偵団』 河出書房新社<らんぷの本>、2003年
    • 小林信彦 『回想の江戸川乱歩』 メタローグ 1994年。のち文春文庫光文社文庫で再刊
  • 伝記研究
    • 中島河太郎 『江戸川乱歩 評論と研究』 講談社 1980年 - 乱歩研究の代表作
    • 中島河太郎責任編集 平井隆太郎ほか 『江戸川乱歩ワンダーランド』 沖積舎 2003年
    • 平井隆太郎 『うつし世の乱歩 父江戸川乱歩の憶い出』 河出書房新社 2006年
    • 平井隆太郎 『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』 東京創元社 2008年 - 自作の年代記『貼雑年譜』(講談社、新版2004年ほか)を読み込んだ評伝。
    • 新保博久 山前譲編 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』 河出書房新社 1996年
    • 平井隆太郎・新保博久編 『江戸川乱歩アルバム』 河出書房新社 1994年
  • 作品研究
    • 『別冊文藝 江戸川乱歩』 河出書房新社 2003年
    • 『新文芸読本 江戸川乱歩』 河出書房新社 1992年
    • 『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』 藤井淑禎編、「国文学解釈と鑑賞」別冊:至文堂 2003年
    • 幻想文学42号 RAMPOMANIA』(幻想文学出版局、1994年)
    • 『江戸川乱歩徹底追跡』(志村有弘編、勉誠出版、2009年)
  • 書誌研究
    • 平井隆太郎監修・中相作編『江戸川乱歩著書目録』【江戸川乱歩リファレンスブック3】、名張市立図書館、2003年3月 [1](1は『乱歩文献データブック』、2は『江戸川乱歩執筆年譜』)。
    • 新保博久 山前譲編 『幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』 東京書籍 CD-ROM1枚付 2002年
    • 平山雄一、新保・山前編 『江戸川乱歩小説キーワード辞典』 東京書籍 CD-ROM1枚付 2007年

関連項目

外部リンク