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それから、[[神聖ローマ帝国]]([[オーストリア公国]]・[[オーストリア大公国]])、そして[[オーストリア・ハンガリー帝国]]の皇帝の宮殿、そして{{仮リンク|ウィーンの市壁|de|Wiener Stadtmauern}}の一部として使用された。
1278年から1918年の間はハプスブルク家の居城と権力の中心であり、ホーフブルクで生まれた歴史的人物の中には、[[マリー・アントワネット]]、[[マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア]]らがある。2,600室以上の客室を有すと言われ、20ヘクタールの面積を占める建築の壮大さと大きな庭園が存在する。▼
1938年、新宮殿のテラスで、[[アドルフ・ヒトラー]]が[[アンシュルス|オーストリア併合]]を宣言した。
1945年以降は、[[オーストリア大統領]]公邸、教会、美術館、図書館などが入った複合施設となっている。
今日、広大な複合施設には、オーストリア国立図書館、スペイン乗馬学校、オーストリア大統領の官邸、オーストリア国立の博物館があり、その中には[[ウィーン会議]]で使用された部屋、そして約7世紀の治世の間にハプスブルク家によって蓄積された神聖な宝物や芸術作品のコレクションが納められた。▼
▲1278年から1918年の間はハプスブルク家の居城と権力の中心であり、ホーフブルクで生まれた歴史的人物の中には、[[マリー・アントワネット]]、[[マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア]]らがある。2,600室以上の客室を有すと言われ、20ヘクタールの面積を占める建築の壮大さと大きな庭園が存在する。
▲今日、広大な複合施設には、オーストリア国立図書館、スペイン乗馬学校、オーストリア大統領の官邸、オーストリア国立の博物館があり、その中にはウィーン会議で使用された部屋、そして約7世紀の治世の間にハプスブルク家によって蓄積された神聖な宝物や芸術作品のコレクションが納められた。
== 構造 ==
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