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'''ウスタシャ'''('''Ustaše''')は、[[クロアチア]]に存在した[[ファシズム]]政党・[[民族主義]]団体。[[第二次世界大戦]]中にドイツと同盟を結び、[[大量虐殺]]を行ったことで有名である。
 
[[アンテ・パヴェリッチ]]を指導者とし、[[クロアチア人]]による独立国民国家の樹立を目指した、[[農民]]を主体とする反資本主義を政治綱領に掲げていた。しかし、反資本主義を目指していながらも私有財産制は認められており、[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]の影響を強く受けているのが特徴である。
パヴェリッチは当初イタリアの[[ファシスト党|ファシスト党首]][[ベニート・ムッソリーニ]]から援助を受けていたが、やがて北の[[ナチス・ドイツ]]とも関係を強化し、[[1941年]]のユーゴスラビアに対するナチス侵攻を契機に[[クロアチア独立国]]を設立した。パヴェリッチは独立と同時に[[国家元首]]となり、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]やムッソリーニを真似て単一政党による[[独裁]]国家を樹立する。他の政党はすべて非合法化され、ナチスを真似た[[親衛隊]]も創設した。また、国内に[[強制収容所]]を建設し、セルビア人に加えてユダヤ人やジプシー、さらには同胞のクロアチア人の反対派を大量に逮捕・収監した。
 
特に悪名高い[[ヤセノヴァツ強制収容所|ヤセノヴァッツ収容所]]は「バルカンの[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ]]」と呼ばれている。また、ウスタシャの部隊は地方でセルビア市民を虐殺し、その虐殺現場にカトリック司祭を同行させて自らの行為を正当化した。こうしたウスタシャの行動は、彼らを支援し同じく残虐行為を専門としたナチスの保安警察及び保安諜報部の[[特別行動部隊]]でさえ唖然とドン引きするほどのものあり、「セルビア人迫害の先鋭化が、近い将来、クロアチアを抑制の効かない不穏地域にするおそれがある」(ドイツ外務省情報局、1941年7月2日)と本国に報告されるほどであった<ref>[[カトリック聖職者のウスタシャへの関与]]も参照。</ref>。以後、1945年に至るまでクロアチア国内では凄惨な殺戮劇が繰り広げられた。
 
この期間中に70~100万人ものセルビア人が殺害されたと言われているが、正確な数ははっきりしていない。一方、セルビアも「[[チェトニック]]」と呼ばれる組織がクロアチア人を迫害していた。
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