「蛇窪信号場」の版間の差分
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|source={{Cite journal|和書|year=2004|month=1|title=特集 短絡線ミステリー7|journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]|issue=513|page=21|publisher=[[交友社]]}} |
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2020年6月20日 (土) 09:30時点における版
蛇窪信号場 | |
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西大井方面から望む(2008年4月) | |
へびくぼ Hebikubo | |
所在地 | 東京都品川区 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | ヘク |
開業年月日 | 1934年(昭和9年)12月1日[1] |
廃止年月日 | 1965年(昭和40年)7月* [1] |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | 東海道本線(品鶴線) |
キロ程 | 3.1 km(品川起点) |
◄目黒川(信) (1.8 km) (3.1 km) 西大井► | |
所属路線 | 山手線(大崎支線) |
キロ程 | 1.7 km(大崎起点) |
◄大崎 (1.7 km) (0.5 km) 西大井► | |
備考 | * 大崎駅への統合に伴う |
蛇窪信号場(へびくぼしんごうじょう)は、かつて東京都品川区にあった、日本国有鉄道東海道本線(品鶴線)と山手貨物線(大崎支線)の信号場である。
現在も設備自体は以前と変わらず存在し利用されているが、大崎駅構内の扱いとなっている。正式な信号場ではないが運転上重要な設備であるため、ダイヤグラム(列車運行図表)や運転士が携帯する行路表には現在でも信号場と同様に記載されている。
構造
品川駅より西大井駅方向に約3.1km(旧目黒川信号場からは1.8km)にある。品鶴線から西大井方を見ると、横須賀線などの列車が走行する品鶴線に、湘南新宿ラインなどの列車が走行する大崎支線が左側から合流する。品鶴線・大崎支線ともに複線であるが、本設備は平面交差で合流しているため、西大井→大崎方向の列車と品川→西大井方向の列車はお互いに運転を支障する(同時通行不可)。平面交差自体を立体化することにより解消することは、近接して大井町線の高架と都道420号のアンダーパス(建設中)があるため困難[2]であり、品鶴線と大崎支線の立体交差付近に品鶴線上り線と大崎駅を結ぶ短絡線を建設する構想が検討されている[3]。
配線図
※ 大崎駅付近の配線略図(注意、巨大画像600px、表示巾800px)を表示するには、右の [表示] をクリックしてください。
周辺
歴史
その他
- 蒸気機関車が使用されていた頃は、付近に転車台が存在しなかったため、東京駅→(東海道本線)→品川駅→(山手線)→大崎駅(折り返し)→(東海道大崎支線)→蛇窪信号場(折り返し)→(東海道品鶴線)→品川駅→(東海道本線)→東京駅という経路で蒸気機関車の向きを変えていた。同じ方法で客車時代の特急「はと」「つばめ」の展望車が常に最後尾に連結される仕組みになっていた。
- 以前は合流地点の南側に渡り線があり、当信号場での折り返し運転が可能であったが、現在は渡り線は撤去されており、折り返し運転はできなくなっている。