「ノート:京阪神緩行線」の版間の差分

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:# 「JR京都線」と「JR神戸線」と「京阪神緩行線」、および「京阪神快速」と「新快速#東海道本線・山陽本線」をそれぞれ統合し、路線記事と列車記事の2本立てにする。(Bsxの案)
:# 「JR京都線」と「JR神戸線」と「京阪神緩行線」、および「京阪神快速」と「新快速#東海道本線・山陽本線」をそれぞれ統合し、路線記事と列車記事の2本立てにする。(Bsxの案)
:# 路線系記事はそのまま(統合するとすれば「琵琶湖線」と「JR京都線」と「JR神戸線」を統合)、「京阪神快速」「京阪神緩行線」も基本的にそのまま残し、記述の重複も容認する。([[利用者:新幹線|新幹線]]さんの案)
:# 路線系記事はそのまま(統合するとすれば「琵琶湖線」と「JR京都線」と「JR神戸線」を統合)、「京阪神快速」「京阪神緩行線」も基本的にそのまま残し、記述の重複も容認する。([[利用者:新幹線|新幹線]]さんの案)
:# 全て現状維持、区切るとすれば1997年のJR東西線開通前後で記述を区切る。([[利用者:彩雲館主人|彩雲館主人]]さんの案)
:# <del>全て現状維持、区切るとすれば1997年のJR東西線開通前後で記述を区切る。</del><ins>記事統合を行わずに、時期(1997年のJR東西線開通前後或いはそれ以外の時期)によって項目の棲み分けを行う</ins>([[利用者:彩雲館主人|彩雲館主人]]さんの案)
:事実誤認があればご指摘いただきたいのですが、基本的にはこれらからどの選択肢がいいのか(或いは新しい選択肢を選ぶべきか)を検討していければとは考えています。--[[利用者:Bsx|Bsx]]([[利用者‐会話:Bsx|会話]]) 2020年4月27日 (月) 14:03 (UTC)
:事実誤認があればご指摘いただきたいのですが、基本的にはこれらからどの選択肢がいいのか(或いは新しい選択肢を選ぶべきか)を検討していければとは考えています。--[[利用者:Bsx|Bsx]]([[利用者‐会話:Bsx|会話]]) 2020年4月27日 (月) 14:03 (UTC) <small>[[利用者:彩雲館主人|彩雲館主人]]さんの 2020年4月27日 (月) 14:58 (UTC) のコメントを踏まえて修正しました。--[[利用者:Bsx|Bsx]]([[利用者‐会話:Bsx|会話]]) 2020年4月27日 (月) 22:24 (UTC)</small>


: {{コメント}} BABY SOUNYANさま、お返事ありがとうございます。お返事を拝読致しましたが、私としては、という考え方が一番近いです。それと、「京阪神緩行線」と「京阪神快速」の双方とも同じ方法で分割すべきではないかという御意見についても、記事の特性上、そうするほうが自然だと思います。
: {{コメント}} BABY SOUNYANさま、お返事ありがとうございます。お返事を拝読致しましたが、私としては、という考え方が一番近いです。それと、「京阪神緩行線」と「京阪神快速」の双方とも同じ方法で分割すべきではないかという御意見についても、記事の特性上、そうするほうが自然だと思います。

2020年4月27日 (月) 22:24時点における版

駅一覧について

この路線の場合、単なる「駅一覧」では意味をなさないかと。というのは、もともと、東海道本線山陽本線の一部であり、すでに作成された琵琶湖線JR京都線JR神戸線をつなぎ合わせただけであると感じたからです。接続路線等は本来個々の駅項目で触れられていますし、仮に駅一覧を作成するのであれば例えば快速線、外側線との接続などの特色を出す必要があるかと。以前東海道・山陽新幹線でも単純な駅一覧の結合を行なって議論となりました。「運行形態での通称」であれば単なる一覧とせず、もう少し検討の余地があるかと思いますね。Sat.K 2006年2月16日 (木) 02:35 (UTC)[返信]

仮称105系について

具体的な内容について記した文献を教えて頂きたいと思います。特にその話が出た時期ですね。

私が知っている大鉄が求めた高速運転用の普通車仕様は4扉縦座席(ロングシート)、250%乗車時で100キロまでの平均加速度1.3km/h/s、均衡速度103キロ、歯車比4.82程度というもの(電車1960年2月号「大阪付近電車輸送の将来」大鉄運転部列車課長木村博氏)ですが、この性能の車両というのは当時は不可能に近いと考えられます。特にこの車両を求めた理由の1つがラッシュ時の快速電車の運転間隔を15分間隔から12分間隔にするにあたり、普通電車も7.5分間隔から6分間隔にする必要が生じ、待避駅から待避駅まで逃げ切るために必要との事でした。当時は快速がモハ80形でしたが、1964年9月から113系が入るに至り、更に高性能な車両でなければ要求を満たせないと考えられます。(空車ならまだしも250%乗車時ですので)

ただ、この形式についてはピクトリアル1964年4月号で久保田氏が大阪緩行用の高加減速車の要求について、快速の増結で対処できる問題であり研究課題として残すとは言うモノの、具体的な改善案が即決で出る当たり、本社では積極的に投入する意思はなかったと考えられます。(1960年当時、増発したいと言ってる快速電車は6両編成であり、これを8両にするだけで15分→12分ヘッドにする以上の輸送力増強が可能であったので)

また、大鉄がこれらの車両を要求した理由が快速電車の運転間隔短縮で、複々線区間の外側線を使えなかった事に起因する事も関連するかと思いますが、外側線については1966年10月に、芦屋と高槻の構内配線改良により列車線から進入が可能になった事から、この改正から列車線に快速が走り始めている。つまり、大鉄が内側線だけで快速・普通を走らせるには普通電車の性能が著しく劣っているので101系全電動車以上の高加減速性能を持った新形電車を要求したのであり、外側線を使えるようになり快速増発をしつつ内側線の普通も増発できる環境が整ったのであれば、特にこのような高価な高性能電車を作る必要は無かったと考えられます。

その後、ラッシュ時の快速はほとんどが外側線に移り、内側線は普通電車が1時間に16本近く走れるようになった事を考えると、1960年代に大鉄が求めていた高性能電車については、外側線に快速が移り始めた頃には要求する必要性は無かったと考えられます。

次に大鉄が求めたと考えられるのは1972年3月改正以後の新快速の15分ヘッド化でしょうか?旧形国電は時速95キロ以上出せませんから、時速100キロまで出せる103系によって日中の普通電車が統一され、その結果特急以上の速度で走る新快速から逃げ切れるダイヤを構築できました。

しかし、103系はもともとそんな高い表定速度で運転する事は想定されていないのは皆さんご存じの通りですので、最初の頃は高速でブレーキを掛けた際にトラブルが発生したりしていたようですが(これは改善され、その段階で明石区では高速運転に耐える車両になったと記事を出している)本来であれば、もう少し高速よりの設定の車両が欲しかったのは事実でしょう。

あと、多くの方が誤解されてるのではと思うのは、この改正で日中103系化したから新快速の15分ヘッド化が可能であったと言う点です。旧形であれば運転できなかったために日中103系化したという事ですが、103系は遅い遅いと言われながらも、低速での加速が良いので、同じ時間を走るのであれば相当遠距離まで103系の方が先行します。(103系6M4T冷房車限流値370A設定と、113系8M7T冷房車限流値350A設定がよーいどんでスタートしておおおよそ100秒後に103系は1700mほど進みますが113系は1500mほどしか進んでいない・・・旧形と比較したらもっと距離は開く)当時の主電動機は低速も高速も引張力を高めれるようなのはありませんから、高速の引張力を高めると低速の引張力が下がります。高速タイプの形式を入れても低速が遅いと駅間の運転時分はそう思ったほど短縮できないと考えられます。

ただし、新快速の15分ヘッド化により103系が限界運転を開始した事により、1960年代の欲求とは別の高速通勤形の要求が出たと私は考えるのですが、この件については明確な文献が今のところ見あたりません。この段階で大鉄が求めたと思われる形式はどの程度の性能だったのでしょうか?

これらを明確にできない以上、今、本文に書かれている105系の記述は少し不適な点があると考えます。--永尾信幸 2007年8月19日 (日) 13:31 (UTC)[返信]

本稿での仮称105系に係る記述については、『大阪の電車』P36の記述をもとにしています。要約すると、当時の国鉄本社や車両設計事務所において京阪神緩行線などの高速通勤線区向けに高速仕様の4扉通勤車を開発中であったことと、103系の投入は万博輸送の間に合わせだった、ということなどが書いてあります。少し簡潔な内容だったので、『鉄道ファン』2005年5月号の特集記事を傍証にして記述しました。ただし、資料の内容から話を膨らませることはできませんので、ややあいまいな記述になりましたが、仮称105系についてはあのような形でまとめております。

もう一点、永尾さんご指摘の105系の具体的な投入時期はいつなのか?という点ですが、資料を整理して検討しますと、まず1960年代中期に高速通勤線区向けの4扉通勤電車の設計案が出る→それを待っていたら増大する通勤需要に対応できないのでとりあえず103系を投入(京阪神緩行線の場合は万博輸送への対応もある)→1970年代前半に、103系では現場サイドで改良を施しても抜本的な改良にならないため(『鉄道ピクトリアル』1995年3月号の曽根悟氏の記事にもそのあたりの問題点が紹介されています)、高速仕様の通勤車の投入を希望する、ということがいえるのではないかと思います。具体的な投入時期を特定するのは困難な面がありますが、1960年代後半から1970年代前半にかけてトーンの強弱はあるにせよ高速通勤線区向けの4扉通勤電車の新製要望はあった、と考えられるかと思います。--彩雲館主人 2007年10月3日 (水) 14:53 (UTC)[返信]

上記でも書きましたが、大鉄局電車課の方が交友社の電車1960年2月号にて「4扉ロングシート車」を要求しているという点を考えると、クロスシートを求める動きは既に1960年代には無かったと言う事が言えます。更に、上記でも書きましたが、この新形通勤電車の要求は、近距離快速(京都-神戸)を増発したいがためであり、そのことは鉄道ピクトリアル1964年4月号にて元大鉄電車課長の寺島氏が「大阪国電の現状とその将来について」の中で下記のように述べています。
  • 新車導入希望
    • 39年度は上記の外、現在快速電車に使用している80形を一部113系に置換える計画があるが、現在相当年数を経過している緩行電車についても、早い機会に新陳代謝を希望している
    • 即ち、京阪神の本線区間は駅間が平均3kmもあり、また同一線路(内側線)上を快速と緩行とが併走しているので、103系のような高加速高減速の、いわゆる通勤型では不十分で、中間の高速性能をも適当に加味した新型を望んでいる。将来沿線の開発に伴い東京周辺のように駅間距離が短縮され、また現在工事中の線路増設が完成して、線路の使用方法が再検討される等客観情勢が変われば、在来型が適合することもあり得よう。
とあります。
それに関連する意見として、同号に仙鉄運転部長・元本社工作局の久保田博氏が「国鉄通勤形電車の最近の動き」にて下記のように記している。
  • その他の話題として、京阪神緩行線用として、快速電車との時分差を努めて短縮して快速電車を増発するため、当初計画の101系の如き高加減速・高速の新形電車の要請がある。考え方としては間違ってないのであろうが、大出力化は当初計画の101系の如く経済性の点で問題があること、京阪神の場合、なお編成増大の可能性が残されていること等の理由で、今後の研究課題として残されている。
とあり、誌面上という事もあり、体よくやんわりと否定してる意見が書かれています。
この久保田氏の記述は、電車1960年2月号で大鉄電車課の木村氏が書かれた要求内容と一致しますので、電車誌での木村氏の主張が当時一般的であった事を物語っています。
また、寺島氏についても駅新設など駅間距離の点をもう一つの条件としてあげつつも「快速電車との競合が避けれるなら在来型(当時は103系しかありません)が適合することもあり得る」と書いています。
これは、上記で私が書いたように大鉄としては内側線だけで快速と緩行を運転させられているため、快速を増発するには緩行の性能アップがどうしても必要であり、その結果として新形通勤電車の要求があったと結論付けれます。
で、大鉄の要求はとにかく増発したいが出来な為に起こった事ですから、外側線を使えるように駅改良を行った1966年10月改正以後は、そのトーンも当然下がってきて当然であったと考えられます。
正直なところ、上記で木村氏が書いてあった状況というのは、1970年代後半にはすでに解消し、ラッシュ時の快速電車はすべて外側線を走行し、内側線は立花駅で平日朝8時台に16本の緩行電車を走らせるまでに増発することができていました。
ちなみに彩雲館主人さんが参考にされたという「大阪の国電」の記事は野村薫氏が書かれていて、肩書きが併記されていないことから国鉄とは無関係の方(趣味者?)の執筆のようで非常に曖昧な言葉で綴られています。
  • 高速仕様の4扉通勤車「105系」を開発中だったと聞く
  • EXPOに対するほんの間に合わせのつもりだったらしい
など、憶測で記事を書いている事が伺えます。
木村氏や寺島氏、久保田氏などが具体的に記述しているのに対して「○○らしい」ではウィキペディア説明するには根拠不足と言えるのではないかと私は思います。
どちらかというと、趣味者が関西国電を語っているような記事に見え、関西国電は「速さ」などが引き合いに出される事が多く、それにクロスシートという点と相まって美点として関西国電趣味者にとっては自慢できる部分だったと思います。
ですので、勢いそういう話題になると力が入るし、そうではない103系などの形式に対しては「拒絶反応」を示す書き方になる傾向があるように思えます。伝記などではおもしろくてそういう記述は好きなのですが、ウィキペディアでそういう「高速指向」などの偏った意見のみを上げるのはどうかと思います。
曽根氏の記述に至っては、もともと103系を山手線用等という誤った認識で世間に広めた人ですので、103系使用方法については山手線や大阪環状線以外の線区では「不適合」と思っていたようで、そのような記述は非常に多い。かなり偏見のある文章と言えますので、そのまま鵜呑みで参考するのはバイアスがかかりすぎていると考えます。
ちなみに、福原俊一氏、前納浩一氏、私にて車両史へんさん会というところから「103系・301系通勤形電車」という本を発刊していますが、その際の編集のコンセプトの1つが103系の誤った概念(103系が山手線用であったこと)を払拭する事という事でした。
その後、福原さんは鉄道ピクトリアル2003年12月増刊号にて久保田博氏へのインタビュー形式という構成で「1960年代前半の国鉄車両計画」という記事を発表していますが、そこで久保田氏は明確に103系が山手線用では無く汎用通勤電車であった事を記しています。
それに対して曽根氏は鉄道ピクトリアル2005年8月号にて「103系はもともとどういう車両だったのか」という記事を掲載しています。
自分は昔、車両設計事務所の若手技師から103系は山手線向けと聞いたのに、当時の車両設計事務所の技師であった久保田氏は福原氏との対談で違うと言ってるが何故だ?という感じです。
当時の参考文献なども掲載されているのですが、電気車の科学や鉄道ピクトリアルの当該号をどう読み間違えたら山手線向けという結論に達するのか私にはわからない。どの記事も「103系が次期汎用通勤電車」とは書かれていても「山手線用通勤電車」なんて事はどこにも書かれていないのですから。
さらに、この話を曽根氏が聞いたと思われる時期は、設計時であったと考えられるので1962年頃と考えられます。曽根氏は1939年生まれですので、その話を聞いたのは22~24歳であったと考えられ、今のように現場から的確なヒアリングができていたかどうかも疑問です。
結局、曽根氏は自分が主張していた103系は山手線用というのが曖昧になってきたために「どんな車両だったのか」なんて自分の主張を棚に上げたような事を掲載する方ですので、とても客観的に資料を精査して記事を書いてきたとは思えません。
鉄道ジャーナル誌で常磐線の103系がスーパーひたち130キロの邪魔になってるなんて書き方までしていましたが、当時のダイヤを見ると、スーパーひたちの上野-取手所要時間は24分、この区間距離は40キロあるので、平均速度は100km/h。上野駅では時速0km/hですし途中制限もあるので、区間内では110km/hくらいは出していたと思われ、国電区間だと速い部類に属すると考えられるのだが、この状況でどこが103系が邪魔なのか・・・・邪魔と言うなら取手以北の415系にも関連する話なんだが、103系は山手線向けという思いこみが強いだけに、高速という話になるときちんと精査せずに条件反射的に「ダメ」と書いている感じを受けます。
つまり、実際にどうなのかを確認して記事にしてるとは言いにくく、先に書いたように曽根氏が103系を語る時は少し否定方向へのバイアスがかかっていると考えるとちょうど良いと考えています。(曽根氏の総ての発言が間違いという訳ではない)
なお103系の不具合については、京阪神緩行だからというわけではなく、空転などは山手線でも多発していたし、それに対しての対処も徐々にされていっています。1972年3月以降の新快速15分ヘッド化によって最高速度が100km/hに引き上げられた後は、過電圧防止装置などの誤動作が相次いで、かなり乗務員にも不評だったと言う記事はありますが、すぐに改善されて明石区の方の電車誌にて掲載しています。
以下103系電車のノートから抜粋
  • 電車1973年7月号に「103系電車ブレーキ時の過電圧防止対策」として明石電車区の方が書かれていますが昭和47年3月改正で新快速の合間を縫って緩行が走るダイヤになった関係で、ブレーキ初速度が上がり発電ブレーキ時の誘起電圧を高くしてしまい頻繁に過電圧継電器が動作するようになったとあります。
  • 同装置が作動すると事故表示灯が点灯するようなので、運転士がブレーキ操作に非常に神経を使うと言う苦情があったとの事で、それ以外にも作動時の衝動が大きいため、乗り心地に影響するとの事です。原因の1つはダイヤ改正によってスピードアップがされた(この時点で他の項で書いた「旧形車よりも速くなってる事」は証明できていますね)事で平均速度が改正前の58.8km/hから61.8km/hと上がった事でブレーキ初速が上がったためのようです。 101系についていた減圧継電器を103系では割愛してるのですがこれは95km/hからの発電ブレーキ使用でも問題ないように設計されている為です。ただ弱め界磁35%の問題でもあったように、設計通りいかないのが世の常ですので、実際に明石区の方で試験を行った結果、90Km/h以上のブレーキ初速の場合は過電圧になったとの事です。
  • そこでその対策を講じたところ、ブレーキ初速90km/h以上でも良好な結果が得られ明石区全編成に対して改造を終えたようで、〆の言葉としては「この研究により103系電車は高速運転に十分対応できるようになった。~(略)~好成績をおさめ乗務員からも大変喜ばれています。」とあります。
つまり、そういう事実はあったが、その都度改善していっている事がはっきりわかる記事があると言う事です。
伝聞などでは悪い事というのは広まったりするのですが、さてそれがすぐに改善されたのか、今もそうなのか、そのチェックをせずに曽根氏のように記事にしてしまうと、今でもそうなのか?と読者に誤知識を与えるように思えます。
例えば電車誌の記事を見る限り明石区にて良好であると書いているのに、曽根氏が鉄道ピクトリアル1995年3月号で書いた内容と比較すると曽根氏はその事実を知らなかったようですね。
私が上記で105系の事実についてききたいと書いたのは、私が調べた限り、国鉄の方が京阪神緩行線用の新形通勤電車に対しての記述をしてるのは、先の木村氏や寺島氏、久保田氏くらいなもので、それはすべて4扉ロングシート車、高加減速・高速タイプの車両です。
それに対して曽根氏などが主張している「クロスシート車」などの仮称105系というのが、国鉄の方の記述として見つける事ができないのです。
記述が見つけられない以上、ウィキペディアでは検証可能性に基づいて、それらについて記載することはできません。
私が上記で仮称105系について問うたのはそういう理由からです。
どこかに、そういう記述があればもっと具体的に当時の状況がわかるのですが・・・・--永尾信幸 2007年10月3日 (水) 18:21 (UTC)[返信]

永尾さん、ていねいな解説ありがとうございます。後にも触れますが72系や103系といった車両は果たした役割に比べると評価が低く(これは趣味的な見地からですが)、なかんずく京阪神緩行線においては51系や70系を置き換える側に回ったことから余計に悪印象に基づいた記述に出くわすことが多いのは事実です。そのために改良の事跡などはどうしても日の目を見ることが少なく、永尾さんも文中で指摘されているように悪評が先行する事態があったのではないかと思います。また、103系については曽根氏のほか川島令三氏など、鉄道(趣味)界におけるオピニオンリーダーの方がネガティブな記述を処々でされておられることから悪評が余計に人口に膾炙した側面はあるかと思います。

次項でも述べますが、京阪神緩行線への高速仕様の通勤電車の投入要望は、永尾さんが指摘されたように、1960年代前半に内側線のみで快速と普通の運転比率を1:1にするために要望されたものでありますが、1960年代中後期に複々線区間の拡大や高槻、芦屋、元町各駅の構内改良、西明石駅の移転改良などの施設改良が逐次実施されたことによってラッシュ時の快速の外側線運行が容易になったことからその要望が徐々にしぼんでいき、昭和47年3月ダイヤ改正で西明石駅の列車線にホームが設置されたことによって緩行と並走する全区間で快速の外側線走行が可能になったことから、朝ラッシュ時は外側線に快速を集中させ、内側線を緩行線専用にすることができる条件が整ったことによって当初の状況が解消されたのではないかと思います。また、新幹線の開業に伴って長距離列車が削減されたことにより、外側線の線路容量に余裕ができて快速の増発が容易になったことも大きな要因ではないかと思います。

仮称105系に関する記述ですが、骨子の部分については私が『大阪の電車』を参考にして書いておりますが、クロスシート云々に関する記述は後に別の方によってなされた加筆であります(さすがに文章にないものを書くわけには参りません)。永尾さんは「趣味的な見地だけで書かれるのはどうか?」と書いておられますが、その部分については私も同感で、趣味的見地だけで記事を書いてしまうと、例えば歴史の分野で『平家物語』や『太閤記』、『三国志演義』といった物語を見て、それだけで関連する記述をまとめるのと同じ問題があるとは思います。ただ、趣味的な見地で書かれた資料も誇張やバイアスがあるにしても、すべてが間違いではなく、執筆する側はそれを見抜いて執筆することが必要ですが、それができていない場合は今回の永尾さんのように専門誌などの情報をきちんと伝えて、修正・補強すればいいのではないでしょうか。

最後になりましたが、当方多忙のためお返事が遅れてしまいました。次項についても速やかにお返事したいとは思いますが、もう少しお時間を頂きたく思います。--彩雲館主人 2007年10月7日 (日) 01:50 (UTC)[返信]

私も阪神間に住んでいる事もあって、阪急などと少し比較したりすることはあるのですが、上品な阪急に対してイメージ的には国鉄車はあまり良くないように感じます。(偏見もあるけど)
私は昭和30年代以前の大鉄の京阪神緩行線への愛着などの部分が今ひとつわかってませんので、比較的検証のしやすい1960年代以降のみ取り上げさせてもらったのですが、まず世間で言われてる「大鉄の求めた高速通勤電車」というのが非常に曖昧なんですね。
大量の趣味誌をきっちりと検証できたわけでは無いのですが、1960年~1965年については、先に上げたように4扉ロングシート、高加速・高速タイプを求めていたと言えます。
しかし、外側線を有効に使えるようになった事から、緩行線の性能アップをする必要が無くなり(イコール大鉄が本社に要求する口実も無くなる)立ち消えになったと言う線が非常に濃いのではないかと考えています。
103系が入った時も、たぶん大鉄としては「心底望んだ形式ではない」とは思っていますが、なかなか公式の書面類ではそういう身勝手な事を書けないと思うので本音が伝わりにくいのは事実ではないかと思います。
私としては、103系の入った当時の大鉄としては、やっぱりもう少し高速性能が欲しいというのはあったと思いますが1965年に103系のギア比を1:5.6にすることやMT54の通勤車への適用なども本社サイドで研究されていたようですが、結局使用電力量が上がるが、それに見合うスピードアップが出来ないようなので立ち消えになっている点も考慮して強く言えなかったのではないかと考えています。
一旦は沈静化した大鉄の新形通勤車への欲求ですが、私としては、その後の新快速15分運転化により103系が想定外の100km/h運転などをやった所から、再び再燃してきたのではないかな?と仮説を立てています。
ただ、再燃後の仕様に関しての資料というのが今ひとつ見あたらないので、今回このような形で皆さんに問うてみました。
今までの大鉄が要求した通勤電車というのは、曽根さん曰く165系の下回りを使ってとか書いてあったりしますし、どうも人から人へ伝え聞く間に糸電話での伝言じゃないですが、かなり人によってバラバラな書き方なので、その辺を突き詰めたいという部分も大きいですが・・・
いずれにしても、京阪神緩行線に103系を投入するという記事には必ずと言って良いほど「大鉄では高速通勤車を要求していたが」のような文言が入るのですが、1960年代に求めていた高速通勤電車と103系投入時とは状況が全く違う点は明確にしておきたいです。
それと、セミクロス車につては昼間サービスとしてあったら良いなぁとは思いますが、そのサービスがどの程度乗客に受け入れられていたかがわかるようなものが欲しいですね。でないとちまたのロング・クロス論争みたいになりますので・・・(ちなみに、地方のクロス車は荷物を横に置くので1人2座席分の法則ってのがあるんで(鉄道ファンだと1人1ボックス4座席の法則)クロスだから着席定員が必ずしも増えるとは限らないんですよね)--永尾信幸 2007年10月7日 (日) 09:13 (UTC)[返信]
参考までに、電車運転理論上の各形式の理論性能を示すと
  • 101系10M 1500V 250%乗車時 限流値480A設定 時速100km/hまで 103秒(平均加速度0.97km/h/s)
  • 103系6M1T 1500V 250%乗車時 限流値370A設定 時速100km/hまで 99秒(平均加速度1.01km/h/s)
  • 113系6M1T 1500V 250%乗車時 限流値350A設定 時速100km/hまで 94秒(平均加速度1.06km/h/s)
となります。
限流値を上げれば全界磁時の加速度は上がりますので、上記で余裕のある113系(115系の限流値は420A)の設定を変えると下記の通りとなります。
  • 113系6M1T 1500V 250%乗車時 限流値420A設定 時速100km/hまで 87秒(平均加速度1.15km/h/s)
大鉄の木村氏が要求した250%乗車時での平均加速度1.3km/h/sにはわずかに及びませんが、113系6M1Tだとほぼ満足できる性能ではないかと思います。
ただ、113系は3扉セミクロスシートなので、求める4扉ロングシートへの小改造は必要だったかもしれません。
上記の試算でわかるように、このような高性能な車両を走らせるためには限流値を上げる必要があります。
限流値を上げるという事は、それだけ編成単位での電力消費量が増しますので、当時の京阪神緩行線にそれに耐えうる設備が整っていたかも問題になるのではないかと思います。
とりあえず参考資料として提示します。--永尾信幸 2007年10月8日 (月) 09:52 (UTC)[返信]
今一度、電車1960年2月号を読んでいて、私は過去に
  • 4扉縦座席(ロングシート)、250%乗車時で100キロまでの平均加速度1.3km/h/s、均衡速度103キロ、歯車比4.82程度
と読み取ったのですが「250%乗車時での平均加速度1.3km/h/s」という表現であり、どこにも時速100kmまでのという文言は無い事に気づきました。
平均加速度を時速何キロまで取るかは、車両によって違ってきて、時速何キロと注釈がある場合はその速度まで、無い場合は全界磁並列最終段の速度までが一般的だと気づきました。
今回は速度の指定が無かった事から、MT46Aで歯車比1:4.82の全界磁並列最終段の速度までと考えると、当時の401系や111系の運転性能に近い事がわかりました。
また、401系や111系の250%乗車時の平坦線の均衡速度も約100km/hを若干超えたあたりのようで、条件的には全て一致します。
ですので、当時大鉄が求めた通勤電車というのは、401系の4ドアロングシート版であったと考えられます。
そのことから、現在本文に記載している内容なども近々訂正させてもらいたいと思っています。
文章をきっちりと把握せずに加筆修正等を行っていて申し訳ありません。--永尾信幸 2008年9月27日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

ラッシュ輸送への対応だけがサービス向上か?

『輸送力増強の影での苦難(1960~1967年)』の後段で、「何とかして「3扉クロスシートの京阪神緩行線」を維持しようとしたことと相まって、ラッシュ時の300%近い乗車効率の改善が遅れサービス低下を招いた」などの、クロスシートサービスの維持がサービス低下という記述がありましたが、この記述はラッシュ時の輸送に偏重しているように思えます。そもそも、ラッシュ時輸送だけに特化するのであれば何も一度転出した70系をかき集める必要はないわけで、当初から72系を投入して51,70系を置きかえればすむ話かと思います。また、「ラッシュに向かない70系」ともありますが、それなら各車に運転台のある51系はどうなるのでしょうか?当時の大鉄局が苦心しながら緩行に3扉クロスシート車を運用し続けたのは、現在の緩行とは異なり、当時の京都~西明石間では快速と緩行という2種別しかなく、快速の停車駅も現在の新快速より少なかったことから緩行にも中長距離客輸送の任があり、そこでは着席サービスが求められたことと、ラッシュ時こそロングシート車主体の7連運用が主体になっていたもののデータイムはクロスシート車組み込みの4連で十分対応できたことが大きいと思います。それとやはりライバル私鉄の存在もあります。広軌ロクサンで知られる山陽700形の1965年ごろの車内写真が『0からの鉄道なんでも記録』の中に掲載されていますが、京阪神緩行線を走る同じ63系あがりの72系に比べると美しく整備されています。同じ車両でも国私鉄の所有車で大きな差があり、ライバル各線の車両に比べると内装に遜色がある72系に比べると、3扉クロスシートの51.70系では他社が容易に追随できないクロスシートによる着席サービスを提供することができ、これらのことから、1960年代後半まで数を減らしつつも51,70系が京阪神緩行線に残り続けた理由ではないでしょうか。

当初の記述では72系の投入が一方的なサービス低下を招いたような記述で、この記述もやや趣味的見地が強く問題があることから、両論を併記する形で修正(脚注の移設も含む)しております。--彩雲館主人 2007年10月3日 (水) 16:12 (UTC)[返信]

上でも書きましたが、大鉄では1959年(昭和34年)後半にラッシュ輸送に4扉ロングシートは必要だと感じています。ですので1960年代の大鉄としては3扉クロスは残したい気持ちはあるが、実際のラッシュ輸送を考えたらその考えを捨てなければならない時期であったと考えられますがどうでしょうか?
改変に当たっては、それらの点を前面に出してしまおうと考えたのですが、私的には今の伝記風の方が楽しく読める点があるので、最小限の部分で3扉クロスがラッシュ輸送に向かない点をあげさせてもらいました。(編集合戦を防ぐ意味もありますが)
私的には着席サービスはありがたい話なのですが、それとラッシュ輸送をどう両立させるかが大鉄として苦心した事ではないかと思います。
少なくとも鉄道ピクトリアルの1964年4月号の塚本駅での4扉車のラッシュ時の写真を見る限りでは、積み残しまではいかないまでも、発車間際に入り口近辺で乗車出来ない方が多数いる状況を示しています。
そんな中で、1964年からは113系が入っていますので、京都・高槻-大阪-芦屋・三ノ宮・神戸などの都市間輸送に関しては、少しグレードアップしたとも言えますが、逆に80形の方が良かったと言う方もおられるでしょうから、この判断は難しいところです。
ただ、京阪神緩行用としては、大鉄が求めていた通勤電車(4扉ロング、高加速・高減速・高速)がすぐに導入するのが難しかった(というより求めているのが201系に近い性能なので、当時の技術ではM比率を上げるしか対処方法はないので、架線電圧問題も含めて実現性は低かったと考えられる)ので、古い72形などの4扉ロングシート車を大量に受け入れていく事になるんだろうと思いますが、ロングシート車がサービス低下になるというのが今ひとつわかりません。
1両あたりの着席数は確かに少ないかもしれませんが、そんなに乗客が少ないのであればロングシートでもかなりの方が着席できたのではないかと思いますし4連の3扉セミクロスと7連の4扉ロングだと7連の4扉ロングの方が着席数は多いし。。。
整備については、どことどこが違いがあるのかという点が気になります。単に私鉄の電車がキレイに見えるから国鉄の電車が整備されていないとは言い切れないからです。特に内装に遜色があると書かれていますが内装とは何を示しますか?
ただ、どの線区でもそうですが、ラッシュ輸送との両立を考えた時に、輸送人員の多いラッシュ輸送に重きを置く事は間違っておらず、その点でロングシート化が遅れたのはサービス低下であったのもまた事実であったと言えます。
つまり、日中の緩行電車をロングにしても、快速電車はセミクロス・クロスなのですから、言われる着席サービスはできていたと言えます。
そうなると、サービス低下の部分は快速電車の関係の無い駅間の利用客ということになります。その利用客数は何人ほどでしょう?
それに対して緩行電車がセミクロスのせいで300%近いラッシュに耐える利用客総数は何人でしょうか?
そう考えると優先順位はラッシュ時の輸送になるのは明白で、それをわかっていながら、セミクロスシート車を早期にロングシート車に置きかえなかったのはラッシュ輸送が後回しになったという点で全体の利用者から見てサービス低下であったとも言えます。
いずれにしても、大鉄自体が4扉ロングシート車を1959年(昭和34年)には欲しがっていた事実があった点は十分に配慮して記事構成をする必要があります。
先にも書きましたが「速い・快適」などは人を魅了する言葉としてよく使われますし、それは私とて同じく好きな言葉です。
ただ、その思いだけで記事にしてはいけないと思います。
103系の比較のところでも、モハ72形等の4M3T編成でどの程度高速性能があったかという点も、たぶんかなり美点的に広まっているのではないかと思います。
例えば高速運転できてもブレーキが効かなければ運転時間は伸びるのに、旧形車のブレーキの効きが悪い点についてはほとんど触れられていないのですね。(モハ72形など旧形車の最高速度が95km/hまでなのも、300%乗車時だと600m以内に止まるのが難しい点があったと思われます)
ま、この辺は余談でしたが、大鉄の方針が明確にわかるような記述が出てきたら、もっと正確な記事にできるかと思いますが、今のところそういう記述は少ないですね。
大鉄の方が執筆した記事が参考としてあるなら教えて頂きたいと思います。少なくともそういう直接関わっている方の記事でないとバイアスがかかりすぎる嫌いがあるので・・・
あと、気になりましたのが、私は本文を修正するのに、まずノートに意見を書いて約一ヶ月様子を見てから改変しました。
すぐに改変すると編集合戦などの可能性があるからですが、今回、彩雲館主人さんはノートにも書いてくれていますが、すぐに改変されたようですが、少なくとも何日かは返事を待ってからされる方が良いかと思います。
そうすれば、上でも書いたように曽根氏の記述自体にバイアスが入っている点や、大阪の国電の曖昧な表現、電車誌における大鉄の方の意見などを参考に出来たように思えます。--永尾信幸 2007年10月3日 (水) 19:27 (UTC)[返信]

1950年代後半の京阪神緩行線の使用車両ですが、『関西国電50年』や『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』に掲載されている車両配置表を見る限りでは、当時の明石電車区は51,70系オンリーの構成ですが、高槻電車区には、51,70系(及びクハ55)のほかに分区前の宮原電車区時代からの流れで西成線用も含めて72系が配属されており、『関西の鉄道』15号にP44に記載されている1955年4月の編成図から、緩行においても基本、付属編成に充当されていたことが見て取れます(この時点ではまだ高槻電車区の開設前ですが、宮原→高槻の配置車両は大きく変わっていないので、1950年代後半ではそれほど大きな差異はないと思います)。

このようにクロスシート主体で運転されていた京阪神緩行線のロングシート化は、インターアーバンから通勤線区への変貌によるものであったことからやむをえない面があったとはいえ、もともとが京阪神緩行線での使用を念頭において製造された51系や70系を横須賀線の輸送力増強や地方線区の電化開業用に転出させられたうえに、輸送力増強の名目で受け入れたのが玉石混淆の72系であったことから、どうしてもファンの方を中心に、「恨」(日本語の「うらみ」のニュアンスより、仏教用語や朝鮮文化における「ハン」のニュアンスのほうが近いですね)のイメージで語られることが多いのではないかと思います。

実際のところは、1950年代後半に入るとラッシュ時の混雑が激化していたことから、遅かれ早かれ京阪神緩行線に4扉ロングシート車を本格的に導入せざるを得なかったでしょう。『昭和の鉄道情景1』に掲載されている1964年当時の摂津富田駅のラッシュ時の写真では、クモハ73001先頭の7連から大量の通勤客が吐き出されており、この状況では3扉セミクロスシート車だけで対応するのは確かに困難であったかと思います。また、「3扉セミクロスシートの京阪神緩行線」のイメージが広まる裏で、大鉄局が早い時期からラッシュ対策に4扉ロングシート車の導入を要望していたという事実は、見落とされるか無視されるかのどちらかで、語られることが少なかったのではないかと思います。なお、誤解のないように申し上げておきますが、私はラッシュ時にもクロスシートサービスを提供することがサービス向上で、ロングシート車の導入がサービス低下であるとは考えておりません。ラッシュ時においては殺人的な混雑や積み残しといったほうがむしろ問題であり、その場合は立席スペースが確保できて詰め込みの効くロングシートのほうが適していることは論を待ちません。

ただ、問題は永尾さんも指摘しておられるように、当時の大鉄局はラッシュ時の大量輸送とデータイムの輸送をどう両立させるか、といったことに苦心していたのではないかと思います。現在残されている写真を見る限りでは、1960年代初頭まで基本編成に残っていた3連の4連化を実施し、同時にラッシュ時の編成を5,6連から6,7連化することで輸送力増強を行っていたことが伺えます。ただ、前回も書きましたが、現在の緩行と当時の緩行では担わされていた役割が現在とかなり異なっていたこともあり、現在の緩行と同じ役割を担わせるためには、輸送力の増強も含めて条件を整備する必要があったかと思います。

1968年10月ダイヤ改正までは、データイム快速20分(神戸以西40分ヘッド)、緩行10分ヘッド(京都~高槻間20分ヘッド)、ラッシュ時は快速15分、緩行7.5分ヘッド(京都~高槻間15分ヘッド)が基準ダイヤで、ラッシュ時にはその間に吹田~尼崎(甲子園口)、住吉~鷹取(後に西明石)の小運転が入った形で運転されていました(住吉~西明石間の小運転は1967年に高槻まで延長)。当時の緩行運転区間における快速の停車駅は、京都を出ると高槻、新大阪(1964年10月の駅開業時から)大阪、芦屋、三ノ宮、元町、神戸、兵庫、須磨、明石で、外側線走行のものは芦屋の代わりに西ノ宮停車となっているほか、ラッシュ時に鷹取に停車するものも1~2本ほどありました。また、西明石に快速が停まるようになったのは1961年の西明石駅移設後のことであり、神戸市内を除くと現在の新快速より少ない停車駅数です。この関西急電由来の快速のほかに長距離客車鈍行や客車列車を置き換えた中長距離電車(姫路、米原以遠に直通するもの)も不等時隔ながら運転されており、これらの列車も緩行運転区間では快速の役割を果たしていたといえます(客車列車は京阪間、阪神間ノンストップで元町も通過していますが)。快速と普通の運転比率が1:2であれば退避等の関係で阪神間、京阪間において後続の快速から逃げ切れる緩行もあるわけで、そういったことから緩行もある程度の都市間連絡の役割を担わされていたといえます。また、神戸以西においては快速の運転本数が大きく減ることから、都市間輸送における緩行のウエイトは他区間に比べると更に高かったといえます。更に、4連の3扉セミクロスシート車より7連のロングシート車のほうが確かに着席数は多いですが、1965年ごろの写真を見ているとデータイムは4連で運行されていることが多いです。当時の京阪神緩行線ではデータイム10分ヘッドであったことから、輸送力過剰となる7連で運行する必然性は少ないといえます。そうなると4連の4扉ロングシート車では着席数が減少してしまい、着席サービスが維持できないのは言うまでもありません。このような状況では、いきなり通勤輸送に特化してロングシート化してしまうと、併走する私鉄に対する競争力が相対的に低下してしまうことから、40系や72系の転入で輸送力の増強を図る一方で極力51系や70系を温存しようとした意図が伺えるかと思います。

こうしたことから、緩行のロングシート化は全体的な輸送力増強の一環として、構内配線の改良や複々線化の進展など施設面の改良と表裏一体となって実施されたといえます。1965年の兵庫~西明石間の複々線化や、1966年の京都~向日町間の貨客分離に伴う旅客線の複々線化及び梅小路操車場への平面交差解消によって緩行、快速の増発が容易になったことをはじめ、同年の芦屋、高槻両駅の構内配線の改良や元町駅のホーム改造工事(外側線相対式ホーム上下1面1線、内側線島式ホーム1面2線を現在の上下線島式ホーム2面2線に改良)によってラッシュ時における外側線での快速運転が可能になったことが緩行、快速の増強に大きく役立ったといえます(高槻、芦屋両駅での構内配線の改良は緩急結合運転の強化に役立つほか、元町駅のホーム改造の効果は高槻、芦屋両駅の構内改良に比べると見過ごされるきらいはありますが、同駅山側には兵庫県庁や兵庫県警本部といった行政機関があり、浜側は金融・ビジネス街の入口であったことから、ラッシュ時の快速停車は必要不可欠な条件であったといえます)。これらの改良工事が完成した後の1968年10月の「ヨンサントウ」ダイヤ改正で、快速の折り返し駅を神戸駅から西明石駅に変更して全ての快速の運転区間をを緩行と同一にできました(快速の全列車西明石以西始発終着化は、神戸高速鉄道の開業も大きいですが)。こうして、快速と緩行の運転比率を1:1にすることができ、併せて快速と緩行の役割分担を明確化することができたことによって緩行の7連化(本数が減った分、輸送力を確保する必要があるため)とロングシート化を推進することができるようになったといえます。緩行の側でも、7連化の障害になる少運転折り返し駅のうち、吹田駅の引き上げ線を延長して7連対応にしたことも見逃せません。

永尾さんは先の文中で「日中の緩行電車をロングにしても、快速電車はセミクロス・クロスなのですから、言われる着席サービスはできていたと言えます。そうなると、サービス低下の部分は快速電車の関係の無い駅間の利用客ということになります。その利用客数は何人ほどでしょう?それに対して緩行電車がセミクロスのせいで300%近いラッシュに耐える利用客総数は何人でしょうか?」という指摘をされておられますが、これらの部分については上述のような条件整備をしたことによって緩行と快速の役割分担が明確化されたことから、緩行の全面的なロングシート化に踏み切ることができたのではないかと思います(この大鉄局のやり方は横須賀線をはじめとした首都圏各線区のロングシート化に比べると手数を踏んでいますが、これに関する優劣は条件がかなり異なるために一概にどちらが上とは言い切れません)。

今後このあたりの記述を修正するについては、これらの議論も踏まえた形で行いたいと思います(事後通告より事前に議論したうえで書き直すほうがいいのはいうまでもありません)。

あと、「内装」に関する話ですが、主観的であいまいな部分があるのは事実です。それを少し整理してから「ノート」に持ち込もうと思います。--彩雲館主人 2007年10月19日 (金) 10:16 (UTC)[返信]

呼び方について

京阪神緩行線などの呼び方が一般的じゃないため、そう呼ばれてると言うような部分に「要出典」を付けようとしましたが、逆に「鉄道趣味誌において用いられる」と範囲を限定する事で、検証可能性を満たすようにしてみました。良く「本線緩行」などと言う言葉で表現する方を見受けられるのですが、だいたい「緩行」なんて使い方をしてる人はほとんど知らないですね。使ってるのは鉄道ファンだけというか。どう表現するかと言うと「国鉄に乗って行こか」みたいな感じが多いですね。東海道線などもあまり言わないです。要は阪神で行こうかとか、阪急で行こうかと同じ感覚で、普通に乗るか急行(快速)に乗るかなんてのは改札入った後の話なんで、あまり乗る前から気にして言わないです。

そんなことで、本線緩行などと呼ばれるという部分に要出典を付けようかと思ったのですが、鉄道趣味誌では良く使われてる表現である事から、趣味誌においてと範囲を狭めた感じで独自検証部分を省いた形にしたつもりです。一応、改変の説明をしておきます。--永尾信幸 2010年9月2日 (木) 08:07 (UTC)[返信]

国鉄部内で使用していると言う加筆がありましたので、要出典とさせてもらいました。このあたり検証可能性と独自研究との兼ね合いで難しい話になってきますが、京阪神緩行線と、なぜ京阪神を付けなければならないかと言うと、京阪神以外の方が呼ぶために普通に緩行線だと紛らわしいからです。大阪の人間が「京阪神緩行」なんて呼び方をするでしょうか?参考文献にピクトリアル1964年4月号が上げられていますが、ここには元大鉄電車課の方の記事も掲載されています。京阪神緩行なんて言葉はありません。快速・緩行という言葉は出てきますが、それで十分だからです。ちなみに国鉄が発行していた「数字で見た国鉄」ではラッシュ時の混雑率などを毎年掲載していましたが、東海道線(大阪付近)(緩行)という表現です。
私としては、京阪神緩行という言葉自体は良く知られているし、使ってる方も多いと思ってますので、この用語自体に不備があるだのどうだのと言うわけでは無いのですが、使われてる範囲が非常に狭いという部分はきちんと説明できなきゃならんのではないかと言う事です。
つまり、ある意味「鉄道趣味者・専門家POV」とも取れるわけですが、これをあたかも一般的に流通してるような言葉であると閲覧者に誤解を与えてはいけないのでは無いかと、まぁそう感じたので小うるさく要出典だの出して見ました。昭和53年10月の大鉄の運用表が手元にあるのですが、まぁ独自研究ですけどその中の103系の運用表のタイトルは「高槻電車区緩行電車運用」だの「明石電車区緩行電車運用」であって「京阪神緩行電車運用」なんて言葉は使ってないのです。国鉄本社や大鉄以外の方が、地区と路線をはっきりさせるために地域を示す京阪神と種別を示す緩行をくっつけた造語だと思うんですけどね。だから、国鉄がこの路線を呼ぶ際に記載が無いわけで。
そんなことで、私の方でも数点の資料は調べてみましたが、京阪神緩行と言うような言葉を見付けられませんでしたので、要出典とさせていただきました。探した資料の中には大鉄電車課が発行した関西国電略年史も含みます。--永尾信幸 2010年9月5日 (日) 08:19 (UTC)[返信]
お世話さまです、情報提供とご説明ありがとうございました。私としてもとくにこれ以上の案もありませんので、そのまま削除しておきました。よろしくお願いします。--Hanabi123 2010年9月7日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
対応ありがとうございました。大鉄局発行の「国鉄線電車時刻表」の巻末に主要駅のポケット時刻表のような時刻表が掲載されているのですが、ここでの呼び方は単に「各停」です。この時刻表には民鉄の同じような時刻表も掲載されているのですが、民鉄の方は「普通」となっています。ちなみに、この時刻表は今の交通新聞社の携帯全国時刻表をアレンジしてJRに納入してるのと似たようなのと思うのですが、この大鉄発行の時刻表は日本交通公社の「京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表」と同じレイアウト・様式になっていますので、作成・搬入は交通公社がしていたと思われます。ま、そんなことで呼び方というのは結構難しい部分があって、鉄道ファンが「こう思う」的に加筆されるケースも多いわけで、鉄道ファンの感覚とウィキペディアの検証可能性という感覚の難しさと言うか。今回も、久保田氏の発言による出典を明記していただいていますので、検証可能性自体は満たされてます(例えば久保田氏の記述を出典として明記し「国鉄部内者もそう呼ぶ場合がある」などに変えれば何ら問題無いと思う)から「何を要出典なんて貼ってるんだよ」と言われるかもしれないとは思ってます。
が、昨今の編集合戦を見ると「僕知らないから要出典」という記述があまりにも多いような気がするんで、出典があっても議論の余地のある点を示したかったという部分もあります。
実際に「京阪神緩行」ってのは違和感があるのも事実なんですけどね。東海道線とすると東京圏と勘違いすると思われる人もいると思いますが、実際の使い方は「東海道・山陽線」なんですよ。この分岐は神戸駅ですからその部分を走ってるというのは大阪の東海道線だと言う風にわかるわけで「東海道・山陽線」だけで大阪地区とわかるのに、わざわざ「京阪神」と呼ぶ必要性が無いと言うか。
そういう意味では、すごい造語、ごく一部の方が使っていた用語ではないかと言う危険性もあるとも思ってます。--永尾信幸 2010年9月9日 (木) 00:46 (UTC)[返信]

取り扱う時期について

議論1

この記事は国鉄時代の京都〜西明石間の緩行線について書かれたものですよね?であるにも関わらず、JR京都線JR神戸線が路線案内として使用され始めた1988年以降から現在までのことまで書かれており、内容がJR京都線・JR神戸線と重複している箇所もあります。

私個人としましては「京阪神緩行線」と「JR京都線」「JR神戸線」の記事としての関係は、「長野新幹線」と「北陸新幹線」、「北近畿タンゴ鉄道宮津線」と「京都丹後鉄道宮舞線」「京都丹後鉄道宮豊線」の関係と同じものだと考えております。ですので、1988年3月13日以前の同区間のことは「京阪神緩行線」、以後の同区間のことは「JR京都線」と「JR神戸線」にそれぞれ記載すべきだと思いますが、いかがお考えでしょうか?1週間待って反対するコメントがなければ分割提案を出します。--BABY SOUNYAN会話2020年4月15日 (水) 08:25 (UTC)[返信]

まず、関連記事の状況は以下の通りです。

路線系
列車系

私も現状はわかりにくいと感じていますし、時期で分けることは選択肢の一つになり得ると思いますが、議論にあたり以下の点に留意すべきかと思います。

  • 各種別の扱いを統一すること(快速が種別記事で普通が路線記事というような不整合を避ける)
  • 通常区間別に分割した記事では愛称設定時期にかかわらずその路線の過去全期間を扱っており、他記事に波及するような合意内容であればプロジェクトに持ち込む必要があること

--210.48.133.123 2020年4月17日 (金) 03:30 (UTC)[返信]

ここからは私の意見です。このように記載が散逸している状況は、そもそも大阪駅をまたいで運行される列車が大多数であるのに路線愛称記事が大阪駅で分割されていることにあると思います。もしJR京都線・JR神戸線という記事があったのであれば、現状JR神戸線JR京都線新快速#東海道本線・山陽本線京阪神快速京阪神緩行線にある記述は全て集約できるでしょう。巨大記事になるように思われるかもしれませんが、単純合計でも34万バイト台であり、重複を排除したり、東西線方面・福知山線方面・京都以東・姫路以西の記述をそれぞれの記事に転記したりすれば、横須賀・総武快速線の前例に照らして決して1記事で処理できない量ではありません。記事名の一般性も踏まえるならば、細切れにするのではなく全統合とするのが最善であると考えます。--210.48.133.123 2020年4月17日 (金) 03:30 (UTC)[返信]

全統合した際に記事が巨大になるという問題に対しては、歴史節を独立させるなどでも対応可能だと思います。--ふみきり会話2020年4月17日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

全統合というのも一つの方法ではあると思いますが、JR神戸線・JR京都線はそれぞれ複数の系統が経由している路線であり、横須賀・総武快速線のように1つの系統としてまとめるというのは難しいと思います。

ただ、JR神戸線・JR京都線各駅停車を1つの記事にまとめるという方法はあります。最初は「京阪神緩行線」からそれぞれの路線に転記すれば良いと考えていましたが、逆にJR神戸線・JR京都線の各駅停車に関する記述を「京阪神緩行線」に統合、というのが最善でしょう。この場合、福知山線・JR東西線・片町線直通列車関連も含め、「中央・総武緩行線」が参考になりそうです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月17日 (金) 12:06 (UTC)[返信]

繰り返しますが、一部の種別についてのみ現状を変更することは不適当です。やるなら全種別について同等の扱いとしてください。また個人的意見ですが、JR京都・神戸線の快速系と普通を別系統とする扱いは一応検証可能性を満たすものの公式ではないという見解です。現状を変更するのであれば路線系への集約とすることが妥当でしょう。--210.48.133.123 2020年4月19日 (日) 23:35 (UTC)[返信]

京阪神緩行線という名称はニュースサイト等でも使用されており、全ての列車が電車線を走行している上、車両も国鉄時代から専用車両が投入されているため、京阪神地区の東海道・山陽本線の列車の中でも定義がはっきりしている系統です。それに対し快速系は、列車線を走行する新快速という独立した系統と電車線を走行する快速があり、ある程度両者で共通運用が組まれていることから、緩行線に比べて定義がはっきりしていません。

「一部の種別についてのみ現状を変更することは不適当です。やるなら全種別について同等の扱いとしてください。」とのことですが、Fライナーなど路線の一部の種別のみ別記事にしている例はあります。210.48.133.123さんの言い分だと「Fライナー」の記事を作るのなら「各停」「急行」などを作れということになりますね。どうして定義がはっきりしている系統をまとめるのに、他の種別もまとめなければならないのでしょうか?--BABY SOUNYAN会話2020年4月20日 (月) 03:48 (UTC)[返信]

第三者がいくら使おうが公式表記でない以上は第一の選択肢にはなりません。正式名称を優先するのはWikipediaにおける一般的なルールです。--210.48.133.123 2020年4月20日 (月) 04:02 (UTC)[返信]

Wikipediaにおける記事名の付け方の基準で、「信頼できる情報源(主に第三者より出版されたもの)において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」というのがあるのですが・・・ BABY SOUNYAN会話)-- 2020年4月20日 (月) 05:17 (UTC)[返信]

Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはは理念であり、その手段として最初に挙げられているのが「正式名称」です。超解釈はおやめください。--210.48.133.123 2020年4月20日 (月) 05:24 (UTC)[返信]

そこには「記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ、議論して決めてください。」と書かれているので、超解釈ではないです。言葉を選んだ方が良いですよ。--BABY SOUNYAN会話2020年4月20日 (月) 06:12 (UTC)[返信]

「信頼できる情報源の慣例」についても多分ご存知のはずですよね?--BABY SOUNYAN会話2020年4月20日 (月) 06:15 (UTC)[返信]

これ以上別方面の話に飛躍されても困るので、話を戻します。

京阪神緩行線」という名称は様々な二次資料において使用されており、京阪神地区の東海道・山陽本線の通勤列車で運行される普通列車の系統を表すのに最も著名であると考えられます。そして、路線ごとではなく系統としてを1つの記事でまとめることは内容の分散・重複を防ぐこととなり、読者にとって読みやすいものとなります。それについていかがお考えでしょうか?--BABY SOUNYAN会話2020年4月20日 (月) 06:24 (UTC)[返信]

コメント たまたまこの議論を拝見して、実質的にBABY SOUNYAN氏と210.48.133.123氏の1対1の議論になって収拾がつきそうになさそうなので、ちょっとコメントします。
BABY SOUNYAN氏は「『京阪神緩行線』という名称は国鉄時代のものだから、国鉄時代とJR時代で記述を分けるべき」とのご意見、210.48.133.123氏は「JR京都線とJR神戸線の記事を統合して、そこに全てひとまとめにすべき」とのご意見であると拝見し、お互いの意見に反論し合って議論がごちゃごちゃになっているのではと考えます。
で、ここで考えたいのが
  1. いわゆる『京阪神緩行線』ならびに『京阪神快速』(新快速も含めて)は、JR前後で運転系統が大きく変わったのか?
  2. 『京阪神緩行線』ならびに『京阪神快速』という記事名は現状(の運行形態)に即して適切なのか?
という点です。
1.について考えてみると、快速・新快速は運行範囲が敦賀まで広がった程度、普通(各駅停車)はJR東西線・JR宝塚線直通が生まれた程度で、運行形態がJR前後で大きく変わったとは言いがたいと思いますし、民営化前後で記事を分離するのもいかがかと思います。その上で2.について考えてみると、少なくとも現状の運行形態を指して『京阪神緩行線』『京阪神快速』という表現が適切とは言いがたいとも考えます。
で、記述の散逸が好ましくないことも、記述の整理が必要なのも判るのですが、さすがにこれらを全部ひとまとめにするのもかなり強引では無かろうかと思いますので、(限りなく思いつきですが)考えられる案としては、
  • a)「JR京都線」「JR神戸線」「京阪神緩行線」を統合(「JR京都線・JR神戸線」のような記事名)、「京阪神快速」と「新快速#東海道本線・山陽本線」を統合し「新快速 (東海道・山陽線)」のような記事名とする。
  • b)「JR京都線」「JR神戸線」を残した上で「京阪神緩行線」を「JR京都線・JR神戸線普通」のような記事名に改題、快速・新快速についてはa案と同じ
あたりかなと思っていますが、いかがでしょうか。--Bsx会話2020年4月20日 (月) 10:08 (UTC)[返信]
コメント 補足 当方の提示した記事再編イメージとしては「列車線と電車線の記事は分離したままにする」ことを念頭に置いていることを示しておきます(ざっくり言えば東海道線 (JR東日本)京浜東北線のようなイメージ)。両者の運行範囲が違いすぎること(列車線の方が圧倒的に広範囲)がその根拠となります。--Bsx会話2020年4月20日 (月) 10:29 (UTC)[返信]

すみません。少し熱くなってしまいました。

私の意見としては、車両や運行区間などにおいて定義がはっきりしている「JR京都線・JR神戸線の普通列車(旧・京阪神緩行線)」の記事を独立させる方法を考えております(新快速から東海道・山陽本線の新快速を独立させることは特に考えていませんでした)。Bsxさんの考えも踏まえ、私はBsxさんのb案を推したいと思います。JR京都線・JR神戸線を統合するという案は、中央・総武緩行線のような両路線でほとんど一体の運行を行っている路線なのであれば推していましたが、西明石以西の普通列車や草津線直通列車(JR神戸線には直通しない)が存在するため、1つの記事にするには違和感があります。それと、大多数の列車がJR神戸線・JR京都線から直通している琵琶湖線を含んでいないということもひとまとめにすることに反対している理由ですね(含んだら含んだで問題が出そうですが)。--BABY SOUNYAN会話2020年4月20日 (月) 12:40 (UTC)[返信]

補足ですが、新快速以外の快速列車については、現状維持の考えです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月20日 (月) 12:42 (UTC)[返信]

私は最初に示したとおり、普通だけを切り取って再編するという行為を否定するものです。全統合以外でも、例えばBsxさんのB案であれば快速系と普通が同等の扱いになるので問題はないように思います(快速系の記事名には「快速」を含む必要があると思いますが)。--210.48.133.123 2020年4月21日 (火) 01:58 (UTC)[返信]

もう1点。琵琶湖線のうち大部分が直通である米原~京都については、現状ラインカラー以外は湖西線の近江今津~京都(山科ではなく)と同等の扱いとなっており、一方のみを再編に含めるのは適当でないため除外したものです。大阪からの直通を基準にするなら敦賀~上郡・播州赤穂、列車番号を基準にするのなら米原・近江今津~姫路(網干発着列車は網干)という単位になり、列車運行に関する記述を長浜で分断することには意味も根拠もありません。--210.48.133.123 2020年4月21日 (火) 02:36 (UTC)[返信]
一応書いておきますが、現状琵琶湖線に記載されている「運行形態」節には、しらさぎとSL北びわこ号を除けば、米原以北のみ琵琶湖線を経由する列車は記載されておりません(米原発長浜行きも含む)。
湖西線に関しては、京都発着の普通列車(車両も異なる)が数多く設定されているため、米原以西の普通列車はほとんどがJR神戸線・JR京都線からの直通列車である琵琶湖線とは全く扱いが異なっていると思いますが。--BABY SOUNYAN会話2020年4月21日 (火) 04:39 (UTC)[返信]

Bsxさんのb案でJR京都線JR神戸線を残すとなっていますが、運行形態についての記述を「JR京都線・JR神戸線普通」と「新快速 (東海道・山陽線)」との間でどのようにすみ分けるつもりでしょうか。--ふみきり会話2020年4月21日 (火) 07:28 (UTC)[返信]

コメント BABY SOUNYAN氏と210.48.133.123氏の考え方の大まかな方向性が一致してきたことに安堵しています。その上で、まず「京阪神快速」と「新快速#東海道本線・山陽本線」の統合を提案した理由ですが、これはシンプルで
  • 京阪神快速#歴史」で語られていることの大半において新快速の存在が不可欠であること
  • 快速と新快速で運行範囲・使用車両がほぼ重複すること
が挙げられます。すなわちWikipedia:ページの分割と統合#統合の検討における「1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合」に該当するであろう、というものです。
その上で、ふみきり氏のお尋ねにお答えしておくと、
  • JR京都線・JR神戸線普通:京都 - 西明石間で電車線を走行する通勤形電車(207系・321系)による普通電車
  • 新快速 (東海道・山陽線):京都 - 西明石間で列車線を走行する近郊形電車(223系など)による快速・新快速電車
で十分棲み分けが可能だろうと思っています(現行の記事形態とそんなに大きく変わるものではありません)。ちなみに、日中運行される「京都 - 高槻間各駅停車の快速」については後者の方で扱うことを想定しています。
なお、列車線の記事名ですが、よく考えてみればJR西日本が運行している新快速はこの系統しかありませんので「新快速 (JR西日本)」とするとよりシンプルかなとは思います。快速の文字を入れたいところですが、なかなかしっくりくるアイディアがありません。--Bsx会話2020年4月21日 (火) 10:30 (UTC)[返信]
  返信 質問の仕方がよくありませんでした。JR京都線JR神戸線の記事を残す意味についてお聞きしたかったのです。もしも、両記事の内容が駅一覧だけになるようでしたら、東海道本線及び山陽本線に統合すべきだと考えております。--ふみきり会話2020年4月21日 (火) 12:16 (UTC)[返信]
基本的には「運行形態」の「新快速」「快速」「普通」ならびに「使用車両」の記述以外(概要とか沿線概況とか今後の新駅計画とか)はほぼそのまま残るだろうと思っていますので、あまり問題視していません。--Bsx会話2020年4月21日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
話に横槍する形ですみません。「新快速」に特筆性があるのは分かりますが、「快速」については路線記事から分割させられるほど特筆性があるのでしょうか?路線記事から「新快速 (東海道・山陽本線)」に転記する理由がただ「運行範囲・使用車両がほぼ重複すること」だけであれば、理由が些か弱いのではないでしょうか?例えば東急東横線の場合、Fライナーと運行範囲・使用車両がほぼ重複するからといって、運行形態が微妙に異なる(Fライナーではない)特急や通勤特急、急行を「Fライナー」の記事に転記しますか?
そう考えると、JR京都線・JR神戸線における快速列車は、西明石以西と高槻又は京都以東は普通列車であるなど、運行形態において「新快速」と大いに異なる列車であると思います(一緒なのは車両くらい?)。ですので、快速と新快速は別々に考えるべきです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月21日 (火) 14:26 (UTC)[返信]
このあたりは前のコメントで申し上げたとおりで、いわゆる『京阪神快速』の系譜を語る際に新快速の存在を抜きに語れないというものです。「運行範囲・使用車両がほぼ重複すること」はそれに付随する副次的な理由です。先にも申していますが、「京都 - 西明石間で列車線を走行する近郊形電車(223系など)による電車」という観点で言えば速達系(新快速)と非速達系(快速)の記述を是が非でも分離しておかなければならないという理由は乏しいと思います。
余談になりますが、Fライナーの例を示していらっしゃいますが、本来Fライナーは「5社直通運転の最速達系統」というだけであって、本来的にはその他の5社直通系統の記述を飛ばしてFライナーのみを抜き書きするのは個人的には疑問に思っているところです(じゃあどういう形が望ましいのかとなるとそれはそれでいろんな問題がありますし、この場で語るべきことではないのでこれ以上深入りしませんが)。--Bsx会話2020年4月21日 (火) 21:53 (UTC)[返信]
コメント 補足 「快速が路線記事から分割させられるほど特筆性があるか」という疑問に関して言えば、むしろ「路線記事で扱われる主たる運行系統が快速のみ」であることの方が不自然であると考えますし、「緩行線が路線記事から分割させられるほど特筆性があるか」という疑問点にもつながろうかとも思います。「京阪神緩行線」ならびに「京阪神快速」の記述(特に歴史の節)を読み込んでいけば、運行開始の経緯などを踏まえても、どちらかだけを路線記事に残すということに無理があるのがおわかりになるのでは無いでしょうか。--Bsx会話2020年4月21日 (火) 22:15 (UTC)[返信]
「京阪神緩行線」と「京阪神快速」について以前からある程度は全て目を通していますが、確かに歴史的に新快速が登場する以前の旧快速列車(関西急電)が必要なのは分かりますが、だからと言って新快速の登場以降の快速列車(特に分割民営化後)を入れる必要性は分かりかねます(そもそも「京阪神快速」に現在の快速列車の運行形態を入れていること自体不自然な気もしますが)。(現在の)快速列車の運行形態については路線記事でそれぞれ解説し、歴史については新快速ならびに旧快速列車と関係ある部分だけ「新快速 (東海道・山陽線)」で触れておくということは出来ませんか?
「「京都 - 西明石間で列車線を走行する近郊形電車(223系など)による電車」という観点で言えば〜」とおっしゃられていますが、先にも申し上げましたがそれでは理由が些か弱いです。それに使用車両の観点で見るより、運行形態の観点で見るべきです。これについても先に申し上げたが、JR神戸線・JR京都線の快速列車は運行形態において「新快速」と大いに異なる列車です(運行区間も異なります)。使用車両が同じだからという理由で、運行形態の異なる列車を同じ記事で解説するべきではないという例を、Fライナーで挙げましたが例えが悪かったみたいですね。「使用車両の観点から快速・新快速を同じ記事で解説すべき」というのは「使用車両がみんなE353系だから「あずさ」「かいじ」「富士回遊」「はちおうじ・おうめ」を一緒の記事で解説すべき」と言っているのと同じです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月22日 (水) 00:35 (UTC)[返信]

何度も申し上げますが、特定の種別のみ独立記事を設けて歪な記事構成にしようとすることをやめない限り何一つ合意は成立しませんよ。記事というのは記述すべき事項を適切に分担するために存在するのであって、記事を立てられるものだけ立てて内容をそれに合わせるという発想自体に問題があります。--210.48.133.123 2020年4月22日 (水) 01:12 (UTC)[返信]

なぜここまで「快速列車はそれぞれの路線記事で解説すべき」と言っているのか、先に説明した部分も含めきちんと説明しておきます。簡単に説明すると

  1. 列車線ではなく電車線を走行したり、西明石以西、高槻又は京都以東は普通列車として運転するなど運行形態が新快速とは異なる。また運行区間についても、新快速は通らない草津線に直通したり、逆に多くの新快速が直通している湖西線・赤穂線・北陸本線にはほとんど直通しない(直通しても普通列車としてだが)などといった点で異なる。
  2. そもそも特記事項がほとんどない。
  3. 快速運転区間が全区間電車特定区間であり、プロジェクト:鉄道の「列車記事に関するガイドライン」における「いわゆる電車特定区間や1線区でのみの運行であり、特記すべき運用などが行われない場合は定期列車でも織り込む。」という基準に当たる。

の3つの理由となります。 BABY SOUNYAN会話2020年4月22日 (水) 01:13 (UTC)[返信]

(210.48.133.123さんへ)「特定の種別のみ独立記事を設ける」ことに難色を示されているようですが、プロジェクト:鉄道の「列車記事に関するガイドライン」に「JRの快速列車以下の場合、大都市近郊区間内や1路線のみで完結するなどで作成を行うに足りない場合、路線項目で代替をしている場合もある。」とあるように、列車については「列車に特記事項があるから路線記事から分割する」ものではなく、「列車に特記事項が無いから路線記事で解説する」というスタンスです。ですので、「記事を立てられるものだけ立てて内容をそれに合わせる」ことが本来の方法です。--BABY SOUNYAN会話2020年4月22日 (水) 01:28 (UTC)[返信]
列車記事のガイドラインを適用できるのかも議論が必要です。同じ区間でも「らくラクはりま」なら列車記事として扱うことに議論の余地はありませんが、新快速と快速については記事の位置づけを明確にしておく必要があります。特定の運行系統を路線記事から分離するのはよくあることで(関東でいえば湘南新宿ラインなど)、この場合特に取り決めはありませんが路線記事のガイドラインを参考にすることが慣例化しています。--ふみきり会話2020年4月22日 (水) 03:10 (UTC)[返信]
「JR京都線・JR神戸線普通」に関しては路線か列車か議論の余地がありそうですが、「新快速」「快速」に関しては列車記事の扱いではないでしょうか。--BABY SOUNYAN会話2020年4月22日 (水) 04:12 (UTC)[返信]
コメント 昨日のコメントからいろいろと話が動いているようですが、まずBABY SOUNYANさんの 2020年4月22日 (水) 00:35 (UTC) の指摘にお答えしておくと、私は当初から「運行形態の観点」を欠かしているつもりはありません。「京都 - 西明石間で列車線を走行する近郊形電車(223系など)による電車」という説明も「近郊形電車による」よりは「京都 - 西明石間で列車線を走行する」という点を主眼に置いているつもりです。「快速と新快速では運行区間が(大いに)異なる」とのご説明ですが、当方が把握する限り「新快速が運行されて快速が運行されない区間」は当方が把握している限り敦賀駅 - 長浜駅間と湖西線ぐらいしかないはずで、大半の区間で運行区間が重複しています。[返信]
その上でBABY SOUNYAN さんの 2020年4月22日 (水) 01:13 (UTC) で挙げられた「快速列車はそれぞれの路線記事で解説すべき」との理由に対して指摘すると、
  1. 「西明石以西、高槻又は京都以東は普通列車として運転する」云々→当初より示しているとおり、この記事整理は「京都 - 西明石間で電車線or列車線を走行する」観点で整理を行おうとしているものであり、一つの記事の中で「京都 - 西明石間で列車線を走行する列車」の速達系統と非速達系統という整理が十分可能であると考える。
  2. 「そもそも特記事項がほとんどない」→もし本当に「特記事項がない」のであれば「京阪神快速」という単独記事が立項できるはずがない。
  3. 「PJ:RAILのガイドラインに抵触する」→(そもそもプロジェクト:鉄道#現行運行列車についてのガイドラインが確定していないという問題はありますが)快速系統は少なくとも運行区間が複数の線区にまたがる運行形態で多岐にわたっており、その観点を快速系統に適用するならば、むしろ快速系統以上に「京都 - 西明石間の電車線列車(緩行線)」にこそ当てはまると言わざるを得ない。
というあたりになります。
で、一つ思ったのですが、BABY SOUNYAN さんは、2020年4月20日 (月) 12:40 (UTC) の御意見を拝見するに中央・総武緩行線の記事を範にとって緩行線記事の記事整理を試みようとされておられるのではないか、と推測しています(違っていたらご指摘ください)。中央・総武緩行線においては(特に中央線において)中央線快速という記事が存在していて、確かに中央線快速がある種の路線記事代替になっているという側面がありますが、実質的に路線記事代替となっているのは主に(複々線区間が終了した)三鷹駅より東側で、記事の実態としては「『中央・総武緩行線』も『中央線快速』も路線記事を包含している」と考えられるところです。これに倣った記事の整理方法を考えるとなると、JR京都線・JR神戸線の輸送形態を考えれば、本来は路線記事で解説すべきは列車線の記事よりもむしろ電車線(緩行線)の記事の方なのではないか、とも考えられないでしょうか。
実は当方が 2020年4月20日 (月) 10:08 (UTC) に示した整理案の「a案」はこのことを念頭に置いたものでして、「路線記事と電車線(緩行線)運行形態を兼ねた記事」としての「JR京都線・JR神戸線」を作り、複数の線区にまたがる運行形態として快速系の記事を整理する、ということを考えていたものです。ただ、実際問題として事業者がわざわざ「JR京都線」「JR神戸線」として愛称を分け、さらに「琵琶湖線」の独立記事が存在することを念頭に副案として「b案」を示したものです。これをさらにクリアしようとすると(210.48.133.123さんの言う)「JR京都線」「JR神戸線」「琵琶湖線」を統合して運行系の記事も含めて全て一つにまとめる、という方法論がありうるのですが、これでは記事が肥大化しすぎるのでは、というのは私が当初に示したとおりです。
まとめると「快速列車はそれぞれの路線記事で解説すべき」というのはある意味JR西日本の京阪神間の輸送形態を無視した本末転倒な主張と言わざるを得ませんし、(2020年4月21日 (火) 10:30 (UTC) で申し上げたことの繰り返しになりますが、)すなわちWikipedia:ページの分割と統合#統合の検討における「1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合」に該当するであろうと考える次第です。--Bsx会話2020年4月22日 (水) 10:03 (UTC)[返信]
コメント 補足 再びの「限りなく思いつき」で恐縮ですが、ここまでの皆さんの御意見を踏まえ、2020年4月20日 (月) 10:29 (UTC) の2案に対し、もう1案を提示しておきます。
  • c)「JR京都線」「JR神戸線」「琵琶湖線」を統合し、「京阪神快速」から一部転記(「東海道・山陽線 (京阪神地区)」のような記事名か)、「京阪神快速」の残った部分と「新快速#東海道本線・山陽本線」を統合、「京阪神緩行線」を「JR京都線・JR神戸線普通」のような記事名に改題
ただし、これに関しては、分割統合が複雑になるため、個人的にはあまりお勧めしない案であることは明言しておきます。--Bsx会話2020年4月22日 (水) 10:14 (UTC)[返信]
理由に対する指摘を見るにどうも言いたいことが伝わりきれていないので補足します。指摘に対する指摘となりすみません。
  1. 「この記事整理は「京都 - 西明石間で電車線or列車線を走行する」観点で整理を行おうとしているものであり〜」→何度も繰り返し言っている通り、快速列車は電車線走行です。
  2. 「もし本当に「特記事項がない」のであれば「京阪神快速」という単独記事が立項できるはずがない。」→内容の大半は新快速と新快速が誕生する前の快速列車のことであり、新快速誕生後の快速列車に特記事項があるかは証明できない。繰り返しになりますが、(現在の)快速列車の運行形態については路線記事でそれぞれ解説し、歴史については新快速ならびに旧快速列車と関係ある部分だけ「新快速 (東海道・山陽線)」で触れておくということは出来ませんか?
  3. 「快速系統は少なくとも運行区間が複数の線区にまたがる運行形態で多岐にわたっており、その観点を快速系統に適用するならば、むしろ快速系統以上に「京都 - 西明石間の電車線列車(緩行線)」にこそ当てはまると言わざるを得ない。」→快速列車は電車特定区間である京都〜西明石間のみの運転であり末端区間は普通列車であるため、運行形態が多岐にわたるかは不明。「京都 - 西明石間の電車線列車(緩行線)」については国鉄時代より専用車両を投入、独自の運転が行なわれており、系統としての特筆性は充分にあると思います。
快速列車の運行形態が結果的に細分化されることについては、JR京都線・JR神戸線については(大阪発着列車以外の)直通列車は仕方ないですが、他の路線についてはそもそも普通列車であり、問題はないと考えます。--BABY SOUNYAN会話2020年4月22日 (水) 11:46 (UTC)[返信]
「今の」快速が電車線を走行していることは承知していますが、その論法で言えば、当初から現在に至るまで電車線だけを走行する緩行線の記述のみを別記事に分離できるとは考え難いところであり、現行の系統を主眼に置くならば、普通(京阪神緩行線)と快速(京阪神快速)を路線記事に一体的に記述すべき、という結論にならないでしょうか。--Bsx会話2020年4月22日 (水) 12:02 (UTC)[返信]
  • 私は「京阪神緩行線」を「路線記事」と思っておりました。歴史的経緯(電車線と列車線)から路線記事と運行系統記事が一緒になり、その記述について異論が出なかっただけだと理解しております。問題はその枠組みの状態のままJR化後の状態を記述したため、運行系統・列車の記事が冗長かつ細切れ記事になりがちになったため起きた問題だと思います。JR西日本は方向別複々線でかつ、列車運行を自社でほとんどをコントロールできる状態であることに目をつけ機動的な輸送を京阪神で実現しようとしたのが現代の「京阪神緩行線」です(だから尼崎駅も大改造を行った)。このことは複々線のほとんどが線路別複々線である首都圏の鉄道事情を念頭に置いて編集されると誤解を生じさせかねない危険をはらんでいます。例としてJR化後223系投入前夜の朝の通勤列車では、京阪神の快速は列車線を走行することで113系115系の悪い高速特性にもかかわらず輸送力を稼いでいた歴史があります。現代の運行形態になったのは223系321系により国鉄形電車を一掃したあとのことであり、JR発足前後のことをまとめて記すことは、かなり無理なことをしていると思います。分割を系統中心にするのは歴史を無視した分割であり、私はむしろ国鉄時代にフォーカスを絞り、そこに現代の運行を添える記述のほうが「京阪神緩行線」としての記述が光ってくると思います。なお3ドア車両・4ドア車両による分割についても、4ドア車両が京阪神緩行線より足を伸ばす時期がかなりあったため反対を表明しておきます。今でこそ内外分離した運行ですが、JR化後もかなり分離不完全な運行だったと私は記憶しているのですがまちがいでしょうか?--Licsak会話2020年4月22日 (水) 12:54 (UTC)[返信]
    • 「JR発足前後のことをまとめて記すことは、かなり無理なことをしている」とのご説明ですが、緩行線・快速系とも大まかな運転系統はJR発足前後でほぼ一貫していますし、少なくとも113系が高速化改造されるのは国鉄分割民営化からしばらく経過した1991年以降のことであり、輸送形態の変遷についてどこかのタイミングで記述を分断できるものではないと考えています。国鉄時代のウエイトを高めにした記述は現行でもそうなっており、むしろ、ある人から見ると国鉄POVではないかとの懸念すらはらんでいると思います(だからこその今回の議論提起なのだろうと思っていますが)。ただ、「京阪神緩行線」を「路線記事」とみなす観点は私もLicsakさんに近いものを感じており、その意味で「JR京都線」「JR神戸線」との統合はありではないか、とは感じています。--Bsx会話2020年4月22日 (水) 23:18 (UTC)[返信]
      • 「3ドア車両・4ドア車両による分割についても、4ドア車両が京阪神緩行線より足を伸ばす時期がかなりあったため反対」とのことですが、私の記憶が間違いなければ、快速が西明石以西の普通列車も担当するようになって以降、京都 - 西明石間外の区間を走行する列車はごく少数なはずですから、それを反対理由として出すのはちょっと違うのではないかと思います。
      • 私も「京阪神緩行線」を路線記事だと思っていますが、その定義は「京都 - 西明石間の電車線を走行する4ドア車両の普通列車」であり、路線区間の一部を切り取って設定された「JR京都線」「JR神戸線」の定義とは異なるものだと捉えています。ですので、「京阪神緩行線」の取り扱う時期が有耶無耶になっていることに対する解決案として、「JR京都線」と「JR神戸線」を統合するという方法には反対です。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 02:07 (UTC)[返信]
      • あくまでも私は現状の記事の棲み分けを維持しつつ記事間の転記を行いたい所存です。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 02:13 (UTC)[返信]
        • Licsakさんは1985年から1991年頃までの緩行線加古川駅延長を念頭に置いてらっしゃるのではないでしょうか。日中も毎時1本が運行されていましたから、「ごく少数」とは言いがたいのではないかと考えますが。(「JR京都線」「JR神戸線」と統合できればこの辺がクリアになる可能性が高いと思っています)--Bsx会話2020年4月23日 (木) 03:33 (UTC)[返信]

新快速が内側線を走行していた時代には草津 - 京都と使用方法に違いがないわけですから、京都を境界とするのは線路ではなく運行系統に基づくものであり、線路を基準に西明石で切るのなら草津まで扱わねばなりません。BABY SOUNYANさんは次々に「じゃあ~」「じゃあ~」と反論するための理屈を積み重ねるのではなく、一度落ち着いて自身の考えをゼロベースで述べてください。--210.48.133.123 2020年4月23日 (木) 04:11 (UTC)[返信]

(Bsxさんへ)その6年間は存じ上げております。「快速が西明石以西の普通列車も担当するようになって以降」と入れたのはそのためです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 06:14 (UTC)[返信]

(210.48.133.123さんへ)それもそうですね。指摘に対して答え続けていても仕方ないので、自分の考えを示しておきます。各々の理由は先に述べた通りです。

京阪神緩行線(路線記事)
JR京都線」「JR神戸線」より4ドア車両で運行される普通列車(JR京都線の福知山線直通列車とJR神戸線のJR東西線・片町線普通列車も含む)の運行形態についての記述を「京阪神緩行線」に転記。同時に「京阪神緩行線」を「JR京都線・JR神戸線普通」に改名。
尚、路線区間は「京都駅 - 西明石駅間」と定義することに変更はなし。
京阪神快速(列車記事)
新快速」よりJR西日本で運行される新快速についての記述を「京阪神快速」に転記。同時に「京阪神快速」を「新快速 (JR西日本)」に改名。
「京阪神快速」における快速列車の概要・運行形態を「JR京都線」「JR神戸線」それぞれに転記。

それと、「京阪神快速」が改名される場合に限りますが、「京阪神快速」というリダイレクトが適切なものか審議する必要があります。 BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 06:34 (UTC)[返信]

再編後の「JR京都線・JR神戸線普通」は路線記事ですか?列車記事ですか?「JR京都線」「JR神戸線」は「東海道本線」の子記事として位置付けられており、仮に「JR京都線・JR神戸線普通」を路線記事にしてしまうと、同じ区間に路線記事が並立する状態となります。「JR京都線」「JR神戸線」を快速列車の受け皿として使うつもりのようですが、「JR京都線・JR神戸線快速」としなくてよいのでしょうか。現時点で「京阪神緩行線」は路線記事の体をなしていません。「JR京都線・JR神戸線普通」を路線記事とするのなら、「JR京都線」「JR神戸線」から駅一覧などの転記が必要です。--ふみきり会話2020年4月23日 (木) 07:20 (UTC)[返信]
再編後の「JR京都線・JR神戸線普通」も変わらず路線記事のままにしたいと考えております。「同じ区間に路線記事が並立する状態となります。」とのことですが、現時点でも東海道線 (JR東日本)京浜東北線など同じ区間内に路線記事が並立している例はあります。また「駅一覧」については転記ではなく、新規に執筆することとなります。
快速列車については、先に述べた理由により、単独で記事を作るに値しないと考えております。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 09:53 (UTC)[返信]
東海道線 (JR東日本)京浜東北線は運行系統の記事ということになっており、各記事で内容が被らないように調整がされています。この場合、停車駅が異なるためそれぞれの記事で駅一覧が存在していますが、「JR神戸線」「JR京都線」と「JR京都線・JR神戸線普通」の場合は停車駅も一致しています。駅一覧をはじめ内容が完全に被ることは許されないはずです。--ふみきり会話2020年4月24日 (金) 00:01 (UTC)[返信]

議論2

コメント ここまでの議論の中身(皆様の御意見)を踏まえ、BABY SOUNYANさんの 2020年4月23日 (木) 06:34 (UTC) の御提案に対する「対案」を示しておきます。過去示した3案のどれとも異なりるのですが、敢えて申し上げればa案とc案の折衷案になろうかと思います。[返信]

京阪神緩行線(路線記事)
JR京都線」「JR神戸線」を統合した上で一部京阪神快速からの転記も含め、「JR京都線・JR神戸線」に改題し、「京都駅 - 西明石駅 - 姫路駅間の電車運転の変遷を中心とした路線記事」としての位置づけを明確にする。
京阪神快速(列車記事)
「新快速#東海道本線・山陽本線」を統合し、「新快速 (JR西日本)」或いは相応の記事名に改名の上で、関西急電からの変遷を中心とした「京都駅 - 西明石駅間で快速運転を行う系統」の総括記事とする。

BABY SOUNYANさんの提案との最大の違いは「路線記事を統合するか否か」です。繰り返し申しておりますが、快速に関する記述を(分割された)路線記事に残すことは緩行線記事とのバランスも含め適切ではないと考えます。他線区の例を示しておられますが、「快速はぶつ切りでもいいが緩行線は一体的に記すべし」というのは他線区の整理手法と逆ではないかと感じるところです。--Bsx会話2020年4月23日 (木) 10:04 (UTC)[返信]

一応言っておきますが、「快速はぶつ切りでもいいが緩行線は一体的に記すべし」というのは国鉄時代より新快速・緩行線には専用車両が投入されている(117系や103系など)が、(新快速誕生以降の)快速列車には特に投入されていないなど、(転記対象の)快速列車は歴史的に見ても特記事項が無いことから起因するものです。あくまで他線区を出しているのは編集上の参考になればと挙げているだけです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 10:16 (UTC)[返信]
それは両記事の「歴史」節の読み込みが足りないなぁ、と思っています。1934年に吹田 - 須磨間で電車運転が始まったとき、関西急電と緩行電車は基本的に同じ42系電車を使っています。程なくして関西急電には52系、緩行電車には51系が投入されることになるわけで、歴史的に見てどちらかにだけ特記事項があるというものではないと考えます。--Bsx会話2020年4月23日 (木) 10:26 (UTC)[返信]
快速の運行形態がぶつ切りになるのが気になるのであれば、折衷案として「JR京都線JR神戸線(可能であれば琵琶湖線も)を統合しつつも、普通列車・新快速に関してはJR京都線・JR神戸線普通新快速 (JR西日本)として独立させる。」というのはいかがでしょうか。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 10:27 (UTC)[返信]
緩行線の加古川行きが1時間ヘッドであった6年間を挙げられた時も思いましたが、90年近く歴史がある中でほんの一部の時期を切り出して何十年も歴史のある事項(専用車両なり運行区間なり)を否定しようとするのはなんだかなぁと個人的に思います。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 10:32 (UTC)[返信]
短時間でのコメントの応酬もほかの編集者さんにご迷惑だろうなぁとは思っていますが一応。「専用車両なり運行区間なり」というのを殊更に強調していらっしゃいますけど、東京圏・近畿圏(場合によっては中京圏の中央線も)では「近距離の各駅停車に通勤形、中距離の快速系統に近郊形」というのは割とよく見られた形態で、「各駅停車に特筆性はあるが快速に特筆性はない」と断じるようなものではないと考えています。近畿圏に絞っても阪和線や関西線(大和路線)と運行形態・車両運用の面でそう大きく違いがあるとは思っていません(電車線と列車線をフル活用したという歴史的経緯はありますが)。--Bsx会話2020年4月23日 (木) 10:44 (UTC)[返信]
とりあえずこちらからのコメントはひとまず最後とします。「JR京都線・JR神戸線普通」に関しては国鉄時代に「京阪神緩行線」という独自名を名付けられたり、福知山線・JR東西線・片町線に直通して快速列車などとは異なるネットワークを展開するなどBsxさんの挙げられている基本線内完結の阪和線や関西線の普通とは大分異なると思いますが。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 11:04 (UTC)[返信]
簡単に。そもそも、「京阪神緩行線という名称は路線名としては存在せず、運転系統として鉄道趣味誌などで用いられた通称である」と本文に書かれているのをご存じないんですかね?他線区直通もJR化以降の展開であって、どちらかといえば路線記事に記すべき内容と勘案しますが。--Bsx会話2020年4月23日 (木) 23:16 (UTC)[返信]

なんかまーた反論のぶつけ合いのような状況になっていますが、一応。「京阪神緩行線という名称がどこで使用されているか」「直通列車をどう扱うか」についてはBsxさんが議論に参加された時点ですでに申し上げております。 BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 23:44 (UTC)[返信]

あと反論ばかりで反応がないですが、昨日示した「JR京都線JR神戸線(可能であれば琵琶湖線も)を統合しつつも、普通列車・新快速に関してはJR京都線・JR神戸線普通新快速 (JR西日本)として独立させる。」という折衷案について意見が聞きたいです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月23日 (木) 23:47 (UTC)[返信]

内容に関しては一通りの意見が出たと思いますが、BABY SOUNYANさんはこの状態で合意が成立すると思いますか?少なくとも、全面的に賛成する方はいないようです。快速に関する記述をどうしても放置しなければあなたの目的は達成されませんか?一番反対の多い部分をそのままに他を変えても議論は進展しません。--210.48.133.123 2020年4月23日 (木) 23:53 (UTC)[返信]

だからこその折衷案だと思うのですが・・・。この折衷案であれば快速列車の運行形態が細分化されることもない上に、ふみきりさんが指摘された「駅一覧の被り」も解消出来ます。--BABY SOUNYAN会話2020年4月24日 (金) 00:13 (UTC)[返信]

他の参加者が最も問題視する「快速だけ別」が解消されておらず、全く折衷案になっていません。今までのあなたの主張を繰り返しているだけです。--210.48.133.123 2020年4月24日 (金) 00:36 (UTC)[返信]

BABY SOUNYANさん) 当初からの議論を改めて見返して、いわゆる「折衷案」なるものも拝見しましたが(当方が 2020年4月22日 (水) 10:14 (UTC) に示した「c案」とどの辺が違うのかをお示しいただけるといいのですが)、BABY SOUNYAN さんの御意見を改めて拝見するに、当初より今に至るまで「いわゆる『京阪神緩行線』(の、特に現在視点に関する記述)について運行系統記事として独立させたい」という意図があまりにも先行しすぎているように思います。言い換えれば、京阪神間のJR記事の構成の見直しという大局的な観点よりも「こういう記事(4ドア車両で運行される普通列車の記事)を作りたい」という BABY SOUNYAN さんの「個人的な思い」の方が強く出てしまっているような感覚が否めません。[返信]
で、今一度お尋ねしたいのですが、京阪神間(JR京都線・JR神戸線)のJR路線の記事構成について、どのような形が望ましいとお考えか、改めて整理して示していただけますか。
先に当方の考え方を示しておくと
  • 路線記事(普通電車系の記述を含む)である「JR京都線・JR神戸線」と、列車記事である「快速系の記事」の2本立て
  • 路線記事である「JR京都線」「JR神戸線」と、列車記事である「普通電車系の記事」と、列車記事である「快速系の記事」の3本立て
のいずれかだと思っており、どちらかといえば前者の方に考え方が傾いています。--Bsx会話2020年4月24日 (金) 01:45 (UTC)[返信]

何度も言ってますが、「快速」と「新快速」は別々の列車です。そして、「(4ドア車両による)普通」と「新快速」だけ独立させようとしているのは両方とも専用車両が投入されており、独自の運行形態を持つことからです。

これらの2点については2020年4月22日 (水) 01:13 (UTC)と2020年4月22日 (水) 11:46 (UTC)のコメントで話していますし、「快速」を路線記事で記載することの妥当性も述べております。

逆に聞きますが、「4ドア車両で運行される普通列車」を独立させたくない妥当な根拠はあるのですか?今までの反論を見るに、90年近く歴史がある中でほんの一部の時期を切り取って反論材料にしたり、阪和線や大和路線の普通など的外れな例を出してくるなど、それこそ「分割させたくない」という個人的な思いが強く出ているのではないでしょうか?--BABY SOUNYAN会話2020年4月24日 (金) 02:27 (UTC)[返信]

それが出来ないのなら折衷案で合意できない理由は無いはずですが。--BABY SOUNYAN会話2020年4月24日 (金) 02:31 (UTC)[返信]

先ほどのお願いは、これだけ議論が長引いているので、議論に収拾をつけるためにも、過去の御発言を今一度BABY SOUNYANさん御自身で整理なさった上で、BABY SOUNYAN さんの考える京阪神間(JR京都線・JR神戸線)のJR路線の記事構成案について改めて提示してもらえませんか、とお願いしているのですが。
ちなみに、「4ドア車両で運行される普通列車」を独立させたくない妥当な根拠とおっしゃられますが、言い直せば「4ドア車両で運行される普通列車」をなんとしてでも独立させねばならない理由に乏しい(説得力に欠ける)というのが当方の見立てですし、新快速に関しては現在は(快速限定運用の221系を除けば)快速と概ね共通運用がなされていると認識しています。--Bsx会話2020年4月24日 (金) 03:09 (UTC)[返信]

今までに出された「JR京都線・JR神戸線普通」と「新快速」を独立、「快速」を路線記事に記載することに対する今まで皆さんの反論に対し、今一度答えておきます。

  1. 「快速列車のみ路線記事に残すのは不適当、記事を立てられるものだけ立てて内容をそれに合わせるという発想自体に問題がある」→普通(4ドア車両)と新快速は専用車両・独自の運行形態という特記事項があり、独立記事としてまとめることの出来る特筆性がある。快速列車を路線記事に記載するのはプロジェクト:鉄道のガイドラインによるもの。
  2. 「「京都 - 西明石間で列車線を走行する近郊形電車(223系など)による電車」という観点で言えば速達系(新快速)と非速達系(快速)の記述を是が非でも分離しておかなければならないという理由は乏しい」→新快速と快速は運行形態で大きく異なる列車であり、同じ記事に記載するのは不適当。そもそも、「使用車両の観点で見ること」自体不適当。
  3. 「「路線記事で扱われる主たる運行系統が快速のみ」であることの方が不自然」→4ドア車両の普通列車と新快速を分割するだけで、西明石以西と高槻以東の普通列車は残る。折衷案(琵琶湖線統合も含む)であれば普通列車の記述もかなり多くなる。
  4. 「緩行線が路線記事から分割させられるほど特筆性があるか」→1で述べた通り、普通の中でも緩行線には充分な特筆性がある。
  5. 「この記事整理は「京都 - 西明石間で電車線or列車線を走行する」観点で整理を行おうとしているものであり、一つの記事の中で「京都 - 西明石間で列車線を走行する列車」の速達系統と非速達系統という整理が十分可能であると考える。」→Licsakさんが述べられている通り、京阪神の東海道・山陽線は方向別複々線であり、「緩行線をまとめたら、合わせて快速線をまとめることが出来る」というわけではない。
  6. 「もし本当に「特記事項がない」のであれば「京阪神快速」という単独記事が立項できるはずがない。」→新快速誕生以前の快速列車(関西急電など)に特記事項があるのは分かるが、それが「今の快速列車が特記事項がある」ということには繋がらない。
  7. 「快速系統は少なくとも運行区間が複数の線区にまたがる運行形態で多岐にわたっている」→快速列車が快速として運転する区間は京都 - 西明石間と全区間電車特定区間であり、それ以外の区間は普通列車であるため、やはりプロジェクト:鉄道#現行運行列車についてにおける基準に当てはまるだろう。
  8. 「「快速列車はそれぞれの路線記事で解説すべき」というのはある意味JR西日本の京阪神間の輸送形態を無視した本末転倒な主張と言わざるを得ません」→折衷案を用い、JR京都線・JR神戸線を統合すれば問題は無いだろう。
  9. 「現行の系統を主眼に置くならば、普通(京阪神緩行線)と快速(京阪神快速)を路線記事に一体的に記述すべき」→現行の系統(と言っても90年近く前からだが)を主眼に置くからこそ、京阪神緩行線と新快速の特筆性が生まれてくるのでは?
  10. 「3ドア車両・4ドア車両による分割についても、4ドア車両が京阪神緩行線より足を伸ばす時期がかなりあったため反対」→京阪神緩行線の加古川発着列車が1時間ヘッドであった時期は6年間のみであり、その他の時期は1日1往復などほとんどの列車が線内完結であったため、反対理由として弱い。
  11. 「新快速が内側線を走行していた時代には草津 - 京都と使用方法に違いがないわけですから、京都を境界とするのは線路ではなく運行系統に基づくものであり、線路を基準に西明石で切るのなら草津まで扱わねばなりません。」→そもそも最初から運行系統に基づいて話しています。快速列車と新快速列車が違う理由に電車線・列車線を挙げたのは、その点から見ても運行形態が明らかに異なるからです。
  12. 「1934年に吹田 - 須磨間で電車運転が始まったとき、関西急電と緩行電車は基本的に同じ42系電車を使っています。程なくして関西急電には52系、緩行電車には51系が投入されることになるわけで、歴史的に見てどちらかにだけ特記事項があるというものではないと考えます。」→それは最初の数年であり、何十年も続く専用車両の歴史を覆す理由としては弱い。
  13. 「東京圏・近畿圏(場合によっては中京圏の中央線も)では「近距離の各駅停車に通勤形、中距離の快速系統に近郊形」というのは割とよく見られた形態で、「各駅停車に特筆性はあるが快速に特筆性はない」と断じるようなものではないと考えています。近畿圏に絞っても阪和線や関西線(大和路線)と運行形態・車両運用の面でそう大きく違いがあるとは思っていません」→国鉄時代に(雑誌等で)「京阪神緩行線」という独自名を名付けられたり、福知山線・JR東西線・片町線に直通して独自のネットワークを展開するなど、他の各駅停車とは異なる。

いたちごっこにならないよう、これら以外の妥当な理由を出して欲しいです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月24日 (金) 03:20 (UTC)[返信]

結局、「「4ドア車両で運行される普通列車」をなんとしてでも独立させねばならない理由に乏しい(説得力に欠ける)」ということは、ただただ反論するだけで妥当な根拠が無いということですよ。--BABY SOUNYAN会話2020年4月24日 (金) 03:29 (UTC)[返信]

提案内容に対する説明責任は提案者であるBABY SOUNYANさんの側にあることは理解してください。論破したつもりになっているようですが、相手を黙らせてもそれは合意ではありません。--ふみきり会話2020年4月24日 (金) 04:25 (UTC)[返信]
BABY SOUNYANさん) 私はここでディベートをするつもりはないので、先ほどから「あなたの(4ドア車両で運行される普通列車の記事を是非にでも独立して作るべき、という)考えを整理して示してください」ということをお願いしています。FAQの羅列は結構ですし、おっしゃりたいことが全くまとまっていません。--Bsx会話2020年4月24日 (金) 06:30 (UTC)[返信]

了解しました。JR京都線・JR神戸線の4ドア車両(通勤電車)で運行される列車については以下の点で独立させるべきと考えております。

  • 車両について、最初の数年を除き国鉄時代より現在まで90年近く専用車両が投入されている。
  • 快速や新快速は直通しないJR宝塚線やJR東西線直通列車が数多く設定されているなど独自の運行形態を持っている。
  • 上2つの理由や、京都 - 西明石間が複々線化されて以降、基本的な運行区間は変わっていないといった理由で、同区間の快速などよりも定義がはっきりしている系統である。
  • 様々な二次資料において、「京阪神緩行線」という独自の名称が名付けられており、近郊電車で運転される普通列車とは区別されている。
  • 上の理由から、路線記事にまとめて記載するより、独立させて記載した方が読者にとって読みやすいものとなる。

「提案内容に対する説明責任」は遵守しているつもりです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月24日 (金) 07:06 (UTC)[返信]

質問 もう一つ、私がかねてよりお伺いしている、「BABY SOUNYAN さんの考える京阪神間(JR京都線・JR神戸線)のJR路線の記事構成案について改めて提示してもらえませんか」という問いに対しては返答無しということでよろしいのでしょうか。--Bsx会話2020年4月24日 (金) 07:29 (UTC)[返信]
あ、すみません。京阪神緩行線・京阪神快速の提案も含め、改めて提示しておきます。
京阪神緩行線(路線記事→列車記事)
JR京都線」「JR神戸線」より4ドア車両で運行される普通列車(JR京都線の福知山線直通列車とJR神戸線のJR東西線・片町線普通列車も含む)の運行形態についての記述を「京阪神緩行線」に転記。同時に「京阪神緩行線」を「JR京都線・JR神戸線普通」に改名。
尚、基本的に説明する区間は「京都駅 - 西明石駅間」と定義することに変更はなし。
京阪神快速(列車記事)
新快速」よりJR西日本で運行される新快速についての記述を「京阪神快速」に転記。同時に「京阪神快速」を「新快速 (JR西日本)」に改名。
「京阪神快速」における快速列車の概要・運行形態を「JR京都線」「JR神戸線」それぞれに転記。
琵琶湖線JR京都線JR神戸線(路線記事)
上記の転記作業を終えた後、琵琶湖線」における米原駅 - 長浜駅間の運行形態を「北陸本線」に転記。
その後、「琵琶湖線」「JR京都線」「JR神戸線」を新規記事「東海道・山陽線 (京阪神地区)」に統合(名前についても要議論)。
琵琶湖線から北陸本線に転記を行っているのは、元々米原駅 - 長浜駅間については「北陸本線」に記載されているものであり、内容重複を回避するためです(現時点でも重複している内容は少ないですが)。 BABY SOUNYAN会話) 2020年4月24日 (金) 09:11 (UTC)一部変更--BABY SOUNYAN会話2020年4月25日 (土) 10:31 (UTC)[返信]
質問ありがとうございます。議論がかなり長期化&肥大化しているので節を分けさせていただきました。
その上でBABY SOUNYAN さんにいくつか確認したいことがあります。
  1. 御提案の中で、最終的に「JR京都線・JR神戸線普通」は列車記事ですか、路線記事ですか?
  2. 仮に「JR京都線・JR神戸線普通」が列車記事であるならば、その記事形態は「プロジェクト:鉄道#現行運行列車について」における基準(いわゆる電車特定区間や1線区でのみの運行であり、特記すべき運用などが行われない場合は定期列車でも織り込む)に抵触しないでしょうか。
  3. 仮に「JR京都線・JR神戸線普通」が路線記事であるならば、路線記事である「東海道・山陽線 (京阪神地区)」との棲み分けをどのようにお考えですか?仮に「京都 - 西明石間とそれ以外」で棲み分けをお考えだとするならば、それはJR西日本の公式な区分けと異なるものにならないでしょうか?
これらについて見解をお示しいただければと思います。--Bsx会話2020年4月24日 (金) 23:05 (UTC)[返信]
以前は「路線記事のまま」と言いましたが、公式で分けている資料が無い中、路線記事として維持させるのは難しいと考え、「新快速」と同様、最終的に列車記事の扱いとします。が、現行の内容に大きな変化は加えず、基本的に説明する区間も京都 - 西明石間の基本系統のままとします。福知山線・JR東西線・片町線直通列車についても、直通先での詳細な運行形態はそれぞれの記事参照とします。「列車記事の扱いとなると、プロジェクト:鉄道#現行運行列車についての基準に抵触するのではないか。」とのことですが、独立させる理由にも挙げましたが、90年近くにもなる、専用車両投入や近郊列車から独立した運行形態の歴史、二次資料における「京阪神緩行線」という独自の名称の使用があるため、抵触しないというのが私の見解です。--BABY SOUNYAN会話2020年4月25日 (土) 10:31 (UTC)[返信]
コメント 議論を読んでいませんが私の見解を述べさせていただきます。
これら「私鉄的切り口」の記事と「JR的切り口」の記事を統合しようとすること自体無理があるのではないでしょうか。京阪神緩行線に特筆性がなければ競合私鉄と同様にJR京都線JR神戸線を中心にまとめられますが、京阪神緩行線に特筆性がある以上、両切り口からの記事を並立させるほかないのではないでしょうか。大きな重複が発生するのもやむを得ないと思います。--新幹線会話2020年4月25日 (土) 11:06 (UTC)[返信]
つまり新幹線さんのお考えは、「JR京都線・JR神戸線といった路線記事と京阪神快速・京阪神緩行線といった系統の記事を並立させるべき」とのことでしょうか?この「並立」については、転記作業は行わず「現状のまま並立させる」という方法や私の案のような「系統についてはそれぞれ独立して説明する」という方法がありますが、「並立」について新幹線さんがどういった構想を持っているのか聞きたいです。--BABY SOUNYAN会話2020年4月26日 (日) 03:21 (UTC)[返信]
コメント 2006年にこのページが立ち上がってから数年間、私はこのページの編集に携わっていたことがあります。昨今このページでされておられる議論を拝見していると、それぞれの主張に正しいところがあるので、議論が袋小路に入っている印象を受けます。
私の見解ですが、先の新幹線さまとほぼ同じで、路線記事「JR神戸線JR京都線琵琶湖線」と運転系統記事「京阪神緩行線京阪神快速」の並立でやむを得ないのではないかと思います。ことさらに「やれ路線記事だ」「いや列車種別だ」などと議論されているのを見ると、沿線住民の一人としては、「何を言っているのやら」と首をかしげざるを得なくなります。ただ、JR化後の記述については、BABY SOUNYANさまの御指摘にもありますように工夫が必要ではないかと思います。その時期についてはJR化直後からではなく、現在に至るアーバンネットワークが確立し、京阪神緩行線の運行形態が大きく変わった1997年のJR東西線開通で区切ったほうが分かりやすいかと思います。
2015年にも「京阪神緩行線」と「京阪神快速」の統合提案がありましたが、根拠が稚拙だったために却下となりました。その経過についてはノート:京阪神快速をご覧いただくとして、当時のプロジェクト:鉄道Portal:鉄道/コメント依頼でも議論を依頼したところであります。その時の反対理由をまとめたものを再度以下に記します。
「京阪神快速」と「京阪神緩行線」の双方の記事とも、名称は列車種別と線区名称の双方を具備している。また、双方の記事とも特筆性を有し、現状において別々の記事足りうる内容を有する(後略)
この一文をお読みいただければ御理解いただけるかと思いますが、Licsakさまがコメントで記しておられた、「京阪神緩行線を路線記事と思っていた」というのはむべなるかなと思います(コメントのほかの部分も正鵠を得ているかと思います)。
今回の議論に参加された方で、ノート:京阪神快速に目を通された方はいらっしゃいますでしょうか?こちらには、なぜ「京阪神快速」のページが「新快速」から分離したのか一連の経過も記されています。一つのページができるまでにはそれなりの経過があるということを御理解いただけますと幸いです。--彩雲館主人会話) 2020年4月26日 (日) 11:23 (UTC)追記--彩雲館主人会話) 2020年4月26日 (日) 11:28 (UTC)追記2--彩雲館主人会話2020年4月26日 (日) 11:39 (UTC)[返信]
京阪神快速京阪神緩行線という考え方は上野東京ライン京浜東北線の関係と同じように「快速線と緩行線が同等のウェイトを占めている」こと前提の考え方です。一方でJR京都線JR神戸線という考え方は暗に新快速が看板列車で快速や普通は補完列車であるというニュアンスが含まれています(京阪本線に対して京阪特急の記事が存在する理由と同じ。言い方を変えれば昨日述べた通り「JR的視点と私鉄的視点」)。BABY SOUNYANさんは繰り返し「新快速と普通には特筆性があるが快速には特筆性がない」と述べておられるようですが、これはJR的視点と私鉄的視点という2つの考え方を混同させているのではないでしょうか。
私は私鉄的観点から見れば「新快速は特筆性あり、快速・普通は特筆性なし」、JR的観点から見れば「快速線(=新快速・快速)と緩行線(普通)の両者に特筆性あり」となると思います。つまり緩行線は路線記事(系統記事)としては特筆性があるものの、列車記事としては特筆性はないと考えています。ゆえにJR京都線・JR神戸線普通のような記事名にして運行形態の記述を路線記事から完全に分離・集約することには強く反対します。京阪神緩行線は「京阪神緩行線」として残さざるを得ないので、対応する京阪神快速もそのままにせざるを得ないでしょう。--新幹線会話2020年4月26日 (日) 13:00 (UTC)[返信]
御二方ともありがとうございます。御二方のお考えとしては、当初の案であった「1988年3月13日以前の同区間(京都 - 西明石間の緩行線)のことは「京阪神緩行線」、以後の同区間のことは「JR京都線」と「JR神戸線」にそれぞれ記載する」案と似た「記事統合はせず、時期によって棲み分けを行う」という方法でしょうか。個人的には現状の記事の棲み分けが大方維持出来るので、この方法でも構いません。ただ、この方法で「京阪神緩行線」を分割するのなら、可能であれば「京阪神快速」についても同じ方法で分割するべきだと思います。
具体的には、「新快速が終日運行となった1989年以前については「京阪神快速」に、以後については「新快速」「JR京都線」「JR神戸線」のそれぞれに記載する」というものです。前にも書きましたが、京阪神地区の速達列車を説明している記事に、非速達系統である現行の快速列車の運行形態を入れる必要があるのか甚だ疑問です。--BABY SOUNYAN会話2020年4月26日 (日) 16:37 (UTC)[返信]
コメント 新たな方の御意見が出てきたので少し様子見をしていました。それぞれ新たな切り口があるものだと思っておりましたが、彩雲館主人さんの御意見を拝見して過去の議論を見てみたのですが、ノート:新快速#京阪神の歴史の分割提案を見る限り、「新快速」から「京阪神快速」に分割される課程が何となくなし崩し的だなと感じたのが率直な感想です。本来的には(当時の)新快速から東海道・山陽線系統が丸ごと分割できていればもう少しスッキリしたのかなという印象を持ちましたが…。あと、2015年に大規模な統合提案が行われ、結局成立せずに終わったのも確認しました(ノート:京阪神快速#統合提案)。
で、話を少しでも前に進めるために、ここまで出てきた意見についてまとめます。そもそも「京阪神緩行線」「京阪神快速」という記事名が適切なのかどうかという観点はあるのですが、これを念頭に議論を行うと余計な混乱を招きかねないので、記事名の検討は後回しにして、全般的な記事の形態について案を整理してみます。
  1. 「琵琶湖線」と「JR京都線」と「JR神戸線」を統合し「京阪神快速」の快速列車に関する記述を転記、「京阪神快速」の残った部分と「新快速#東海道本線・山陽本線」を統合し新快速を主眼とした記事に改め、「京阪神緩行線」は現状の運行形態に即した記事として存立させる。(BABY SOUNYANさんの案)
  2. 「JR京都線」「JR神戸線」「京阪神緩行線」「京阪神快速」「新快速#東海道本線・山陽本線」全てを一本の記事に統合する。(210.48.133.123さんの案)
  3. 「JR京都線」と「JR神戸線」と「京阪神緩行線」、および「京阪神快速」と「新快速#東海道本線・山陽本線」をそれぞれ統合し、路線記事と列車記事の2本立てにする。(Bsxの案)
  4. 路線系記事はそのまま(統合するとすれば「琵琶湖線」と「JR京都線」と「JR神戸線」を統合)、「京阪神快速」「京阪神緩行線」も基本的にそのまま残し、記述の重複も容認する。(新幹線さんの案)
  5. 全て現状維持、区切るとすれば1997年のJR東西線開通前後で記述を区切る。記事統合を行わずに、時期(1997年のJR東西線開通前後或いはそれ以外の時期)によって項目の棲み分けを行う彩雲館主人さんの案)
事実誤認があればご指摘いただきたいのですが、基本的にはこれらからどの選択肢がいいのか(或いは新しい選択肢を選ぶべきか)を検討していければとは考えています。--Bsx会話) 2020年4月27日 (月) 14:03 (UTC) 彩雲館主人さんの 2020年4月27日 (月) 14:58 (UTC) のコメントを踏まえて修正しました。--Bsx会話2020年4月27日 (月) 22:24 (UTC)[返信]
コメント BABY SOUNYANさま、お返事ありがとうございます。お返事を拝読致しましたが、私としては、という考え方が一番近いです。それと、「京阪神緩行線」と「京阪神快速」の双方とも同じ方法で分割すべきではないかという御意見についても、記事の特性上、そうするほうが自然だと思います。
「京阪神快速」の分割時期ですが、BABY SOUNYANさま御提案の1989年も一案かと思いますが、3月のダイヤ改正で長年続いていた岡山駅直通の快速が姫路駅で完全に分割され、9月の北陸本線長浜駅までの直流化で快速の運転区間が長浜駅まで延長された1991年で分割するのもまた一案かと思います。理由としては、快速が長年にわたり担ってきた中距離列車代替の役目と速達列車としての役割(当該快速は大阪駅西明石駅間は外側線(列車線)を走行していました)が薄れた象徴でもあり、新快速の補完に回ったことを如実に示したといえるからであります。ただ、この時点でもまだ国鉄時代を引きずっており、京阪神緩行線と合わせて1997年にする案でもいいかと思います。
「京阪神緩行線」・「京阪神快速」の記事については、Licsakさまのコメントにもあったように、歴史記述を主体とした記事にするというのも一案ではないでしょうか。この場合、分割部分以降現在に至るまでは全く省略はできませんが、ある程度簡略化する必要があると思います。
ただ、これらの意見は私見でありますので、新幹線さまはじめこれまで意見を出された方々などの御意見を踏まえて議論を重ねてよりよい記事にしていきたいと思います。
ここで投稿しようとしたところ、Bsxさまの投稿と重なってしまいました。Bsxさま。意見の取りまとめありがとうございます。私の意見ですが、「全て現状維持」というと少し誤解があるかと思います。私の意見としては上記の通り「記事統合を行わずに、時期によって棲み分けを行う」が近いので、新幹線さまとBABY SOUNYANさまの折衷案に近いかと思います。Bsxさまの取りまとめによって論点が整理されたかと思いますので、また意見を述べることがあるかと思います。ただ、時節柄すぐにお返事ができないときがあるので御容赦ください。--彩雲館主人会話2020年4月27日 (月) 14:58 (UTC)[返信]