「オリエンテーション (教育)」の版間の差分

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'''[[オリエンテーション]]'''は、一般的にある組織へ新たに加わる者がその場における活動にすみやかに適応できるように、受け入れる側が指導することを意味するが<ref>{{kotobank|オリエンテーション|大辞林 第三版}}</ref><ref>{{kotobank|オリエンテーション|精選版 日本国語大辞典}}</ref>、[[学校教育]]、特に[[大学]]などの[[高等教育]]においては、新入生を対象に、[[授業]]の開始に先んじる時期に、履修登録に関する手続きや、[[課外活動]]などについて[[生徒指導|学生指導]]の一環としておこなわれる一連の行事<ref>{{kotobank|オリエンテーション|日本大百科全書(ニッポニカ)}}</ref>。
 
 
== 学生オリエンテーションの歴史 ==
=== アメリカ合衆国 ===
現代社会において、学生オリエンテーションのプログラムは、学生たちの[[中等教育]]後への移行を指導し、支援することを目的としている。それぞれの教育機関は様々なやり方で新入生の歓迎、移行、支援をおこなって新たな教育の経験へと学生たちが入っていけるようにしている。あらゆる機関は、何らかの学生オリエンテーションを古くからやっていたようにも思われるが、オリエンテーションという仕組みを開発したのは[[ボストン大学]]で、[[1888年]]のことであった<ref name=":0">{{Cite web|url=https://files.eric.ed.gov/fulltext/ED558878.pdf|format=PDF|title=Designing Successful Transitions: A Guide to Orienting Students to College|last=Ward-Roof|first=Jeanine|date=|website=|url-status=live|archive-url=|archive-date=|accessdate=2020-04-03|page=3}}</ref>。オリエンテーションは、[[学問]]の世界における学生の役割について、当の学生たちにしっかり認識させようと、教授陣が生み出したものであった。教授陣が学生オリエンテーションの中心だったのは、[[1920年]]頃までのことであった<ref name=":0" />。1920年以降は、こうしたオリエンテーションのあり方に大きな変化が起こった。教育機関の事務職員がオリエンテーションの発展に大きく関わるようになっていったのである。カナダでは、大きな変化はずっと後の[[1960年代]]から[[1970年代]]に生じ、学生の自治組織がオリエンテーションの様々な取り組みを展開し、作り出すようになった<ref name=":1">{{Cite book|last=Mason|first=Roberta|title=Achieving Student Success: Effective Student Services in Canadian Higher Education|publisher=McGill University Press|year=2010|isbn=9 780773 536227|location=|pages=66–76}}</ref>。特に、1960年代から1970年代にかけては、[[部局長 (教育組織の役職)|部局長]]たちが、「親代わり」を意味する[[イン・ロコ・パレンティス]] (''[[:en:In loco parenthis|in loco parentis]]'') として、高等教育機関の基礎となるオリエンテーション、移行、在籍に関わる様々なプログラムの中心にいた<ref name=":1" />。[[1948年]]には、学生オリエンテーションについて議論する初めての機会が設けられ、役職者、事務職員、学長たちが集まった。この集会から、全国オリエンテーション指導者連合 (National Orientation Directors Association, NODA) が結成された。
 
=== カナダ ===
カナダでは、大きな変化はずっと後の[[1960年代]]から[[1970年代]]に生じ、学生の自治組織がオリエンテーションの様々な取り組みを展開し、作り出すようになった。[[1980年代]]には、この大きな変化が続き、学生たちが展開する実践にともなうリスクを除去するために、オリエンテーション行事が学生生活を監督する部局の専門職員の役割が重要になった。合衆国と同じように、オリエンテーション行事は高等教育機関において移行と在籍に焦点を当てて利用された。カナダでは、オリエンテーション行事に関する情報、研究、データは、[[カナダ大学学生サービス協会]] ([[:en:Canadian Association of College and University Student Services|Canadian Association of College and University Student Services, CACUSS]]) などの組織を通じて共有されている<ref name=":1" />。
 
=== 日本 ===
大学が新入生を集めて、教育内容の説明や履修指導をおこない、またクラブ活動などの紹介をすることをオリエンテーションを呼ぶ習慣は<ref name="y19680417">{{Cite news|newspaper=読売新聞・朝刊|date=1968-04-17|title=[お茶の間歳時記]オリエンテーション|page=11}} - ヨミダス歴史館にて閲覧</ref>、[[1950年代]]末から[[1950年代]]にかけて確立した。[[目加田誠]]は、[[1961年]]の新聞への寄稿の中で「オリエンテーションという近ごろ流行のことば」と述べているが<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞・東京朝刊|date=1981年4月7日|page=10|title=きのう きょう オリエンテーション}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>、[[1960年代]]末にはこの呼称はすっかり一般化していた<ref name="y19680417" />。
 
大学キャンパス内の説明会や学生サークルの勧誘などにとどまらず、新入生を学外へ連れ出す企画も早くからあり、[[中央大学]]では、1960年代はじめには、オリエンテーションの一環として、新入生と上級生がハイキングに出かけるという取り組みをおこなっていた<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞・東京夕刊|date=1962年4月16日|page=3|title=オリエンテーション さまざまな活動}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。また、1960年代には、教員や上級生も参加しての合宿形式による'''オリエンテーション合宿'''も広まった<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞・朝刊|date=1968-05-02|title=“オリエンテーション合宿”大流行 武蔵工大の新入生歓迎セミナーに参加|page=7}} - ヨミダス歴史館にて閲覧</ref>。やがて、[[1970年代]]半ばには、内容が肥大化していくオリエンテーションを、学生に対する「過保護」と批判するような論調も出るようになった<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞・夕刊|date=1975-04-10|title=[サイドライト]オリエンテーション|page=1}} - ヨミダス歴史館にて閲覧</ref>。また、オリエンテーション期間中やオリエンテーション合宿における飲酒や、それに起因する事故もしばしば生じるようになり、[[1984年]]にはオリエンテーション合宿に上級生として参加していた[[東京大学]]の2年生5人が溺死する事故も起きた<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞・東京朝刊|date=1984年4月16日|page=1|title=東大生5人が水死・不明 山中湖 飲酒…ボート転覆 新入生歓迎合宿の夜 定員3に6人乗り込む 東大生5人、山中湖で水死}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
 
== 学生オリエンテーションの目的 ==

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