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2020年1月29日 (水) 13:38時点における版
エウリック Euric | |
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西ゴート王 | |
マドリードにあるエウリックの像 | |
在位 | 466年 - 484年 |
出生 |
440年頃 |
死去 |
484年12月28日 |
配偶者 | ラグナヒルド |
子女 | アラリック2世 |
家名 | バルト家 |
父親 | テオドリック1世 |
エウリック(Euric、440年頃 - 484年12月28日)は、西ゴート王国の国王(在位:466年 - 484年)。
生涯と治世
兄で前国王のテオドリック2世が死去したことで、466年に西ゴート王となった。その治世下において、ゲルマン法が成文化された(「エウリック法典」)。これは、ゲルマン人によって建てられた国家において、最初に定められた法典とされる。484年に死去。息子のアラリック2世が王位を継承した。
参考文献
- 立石博高編 『新版世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』 山川出版社、2000年
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