「関行男」の版間の差分

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[[Image:USS White Plains attack by Tokkotai unit 25.10.1945 kk1a.jpg|thumb|270px|護衛空母[[ホワイト・プレインズ (護衛空母)|ホワイト・プレインズ]]に迫る敷島隊の零戦。]]
護衛空母[[ホワイト・プレインズ (護衛空母)|ホワイト・プレインズ]]に向かって急降下していた零戦1機がホワイト・プレインズの対空機銃が命中し損傷したため、目標をセント・ローに変更し<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=154}}</ref>、セント・ローの艦尾1,000mに迫ると、そこから高度30mまで下げてまるで着艦でもするような態勢で急接近してきた。セント・ローの乗組員たちは搭載していた[[エリコンFF 20 mm 機関砲|Mk.IV]]20mm機関砲と[[ボフォース 40mm機関砲]]で応戦したが、零戦はそのまま発見1分後に<ref>[[#ウォーナー上]]p.199</ref>、飛行甲板中央に命中した。零戦が命中した瞬間に航空燃料が爆発して、猛烈な火炎が飛行甲板を覆い、搭載していた250kg爆弾は飛行甲板を貫通して格納庫で爆発した。その爆発で格納庫内の高オクタンの航空燃料が誘爆し、連鎖的に
爆弾や弾薬が次々と誘爆した<ref>{{Harvnb|冨永|安延|1972|p=22}}</ref>。あまりの爆発の激しさに、付近を航行していた重巡洋艦[[ミネアポリス (重巡洋艦)|ミネアポリス]]の乗組員が海中に吹き飛ばされたほどであった。手が付けられないと判断したフランシス・J・マッケンナ艦長は特攻機が命中したわずか2~3分後の10時56分に総員退艦を命じ、その後も何度も大爆発を繰り返して30分後に沈没した<ref>[[#金子]]pp.124-125</ref>。一瞬にして114名が戦死もしくは行方不明になり、救助された784名の半数が負傷したり火傷を負っていたが、そのうち30名が後日死亡した<ref>[[#ウォーナー上]]p.202</ref>。このセント・ローを仕留めた零戦が関の搭乗機だという説が広く認知されている<ref>{{Harvnb|冨永|安延|1972|p=23}}</ref>、このセント・ローに突入した零戦の製造プレートは沈没直前に回収されており、製造番号2968、製品番号9306の表示が刻印してあるが、これが関機のものであったかは不明である<ref>{{Cite web|url=https://www.dondennisfamily.com/USS_St_Lo/media_gallery/picpages/RobertsCert.html|title=Kamikaze manufacture plate removed from the tail assembly of the aircraft that fatally wounded the USS St. Lo.Recovered by Earl Roberts on October 25, 19|language=英語 |accessdate=2020-01-18}}</ref>。他にも護衛空母[[キトカン・ベイ (護衛空母)|キトカン・ベイ]]に1機が突入し、艦橋を掠めて飛行甲板外の通路に命中したが<ref>[[#金子]]p.122</ref>、爆弾が艦を貫通して海上で爆発したため大きな被害は与えることができなかった。このキトカン・ベイに突入したのが関の搭乗機であるという主張もある<ref>[[#金子]]p.122,124,126</ref>。しか、いずれにても、敷島隊のどの機がどの空母に突入したかを特定するのは困難である<ref>[[#金子]]p.126</ref>。さらに、ホワイト・プレインズ直上で特攻機が爆発して同艦に火災を生じさせた<ref>[[#ウォーナー上]]p.203</ref>
また、ホワイト・プレインズ直上で特攻機が爆発して同艦に火災を生じさせた<ref>[[#ウォーナー上]]p.203</ref>。
 
この様子は直援機の「ラバウルの魔王」とも呼ばれたエース・パイロットの[[西沢広義]]上飛曹によって確認された。西沢は関らの突入を見届けたのち、12時20分ごろにセブ島に帰還した。西沢は[[第251海軍航空隊]]時代に[[ラバウル]]で一緒に戦ったこともある中島の元に駆け足でやってくると、緊張した面持ちで「関が率いる敷島隊5機が10時40分にレイテ島[[タクロバン]]85度90浬の地点で敵空母の1群を発見し、特別攻撃に成功した」こと「指揮官の関機の[[バンク]]に続いて全機が突入し、関機は首尾よく目指す空母に命中、炎上して逃げ惑う空母に列機がさらに命中し、1,000mにもなる火炎と黒煙を噴き上げて同艦は沈没。他の1機は別の空母に命中して大火災を生じさせて、さらに他の1機は[[軽巡洋艦]]に命中してこれを瞬時に沈没せしめた」と報告した。この報告を聞いた中島と搭乗員らは喜んだが、中島は関の成功を祝すると共に、「命中の寸前に特攻隊員が反射的に目を閉じてしまい失敗するのではないか?」という懸念も払拭され、さらに喜んでいる<ref>{{Harvnb|猪口|中島|1951|loc=電子版, 位置No.1335}}</ref>。

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