「成恭夏皇后」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目: 6行目:
| 画像サイズ =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 画像説明 =
| 在位 = [[1163年]][[11月16日]] - [[1167年]][[7月20日]]
| 在位 = [[1163年]][[11月16日]]<ref>『宋史』巻33, 孝宗紀 隆興元年十月丙子条による。</ref> - [[1167年]][[7月20日]]
| 戴冠日 =
| 戴冠日 =
| 別称号 =
| 別称号 =

2019年11月26日 (火) 09:00時点における版

夏皇后
南宋の皇后
在位 1163年11月16日[1] - 1167年7月20日

全名 夏雲姑
別称 成恭皇后
出生 紹興6年(1136年
死去 乾道3年6月25日
1167年7月20日
配偶者 孝宗
父親 夏協
夏執中
テンプレートを表示

夏皇后(かこうごう、1136年 - 1167年)は、南宋孝宗の皇后。雲姑(うんこ)[2]成恭皇后(せいきょうこうごう)とされた。

生涯

袁州宜春の人。夏協の娘。出身は低いが非常な美女であった。

初め、後宮に入り、高宗の皇后呉氏の侍女を務めた。紹興31年(1161年)2月、建王趙伯琮(のちの孝宗)に側室[3]として与えられ、斉安郡夫人に封ぜられた。翌年に孝宗が即位すると、賢妃に立てられた。隆興元年(1163年)10月、皇后に冊立された。弟の夏執中や11人の親友たちにも官職が与えられた。

乾道3年(1167年)6月、崩御した。「安恭」とされた。紹熙5年(1194年)10月29日、夫の諡を重ねて「成恭」と改諡された。

伝記資料

  • 『宋会要輯稿』
  • 宋史』成恭夏皇后伝
  • 『宜春牌楼下夏氏宗譜』

脚注

  1. ^ 『宋史』巻33, 孝宗紀 隆興元年十月丙子条による。
  2. ^ 『宜春牌楼下夏氏宗譜』による。
  3. ^ これより少し前に、趙伯琮は郡王から親王に上った。最初の妻の郭氏は、郡王時代に早世した。