「エルヴィン・ロンメル」の版間の差分

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ロンメルのアフリカ装甲軍は1942年5月26日午後2時にクリューヴェル中将率いる囮の部隊にボックス陣地に攻撃を正面からかけさせつつ、午後9時から「ヴェネツィア作戦」と名付けた迂回部隊の本攻勢を開始した。英軍第8軍司令官リッチー少将はロンメルがボックス陣地を迂回するであろうことは予想していたが、その対応は杜撰であり、戦車の数は英軍の方が独伊軍より勝っていたにも関わらず、前任者たちと同様に戦車を集中させずに各旅団に分散させて運用した<ref name="山崎(2009)279">[[#山崎(2009)|山崎(2009)、p.279]]</ref>。結果ビル・ハケイム付近の戦闘で英軍第3インド自動車化旅団は早々に伊軍アリエテ戦車師団と独軍第21装甲師団によって粉砕された<ref name="北アフリカ(1998)69">[[#北アフリカ(1998)|『北アフリカ戦線』(1998)、p.69]]</ref>。ついで英軍第4機甲旅団も独軍第15装甲師団によって粉砕された<ref name="北アフリカ(1998)69"/>。
 
しかし圧倒的工業力を有する[[アメリカ合衆国]]の援助を受けていた英軍は[[M3中戦車|グラント戦車]]や新対戦車砲[[オードナンス QF 6ポンド砲|6ポンド砲]]などを動員し、これらがドイツ軍戦車に大打撃を与えていた<ref>[[#カレル(1998)|カレル(1998)、p.220-221]]</ref>。また英空軍がドイツ軍兵站線を的確に空爆した<ref name="カレル(1998)220">[[#カレル(1998)|カレル(1998)、p.220]]</ref>。
 
5月27日夕方にはドイツ軍にとって事態は深刻となった。迂回部隊の海岸へ向けた進軍は行き詰まり、東では独第90軽師団が包囲されていた(第90軽師団は囮のつもりで東部から向かわせたのだが、ロンメル自身も後に認めたようにこれは失敗であった)<ref name="ピムロット(2000)188">[[#ピムロット(2000)|ピムロット(2000)、p.188]]</ref>。ドイツ軍は補給が途絶えて水がなくなり全軍崩壊の危機にさらされた<ref name="カレル(1998)221">[[#カレル(1998)|カレル(1998)、p.221]]</ref>。

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