「ヴェルフ2世 (バイエルン公)」の版間の差分

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{{基礎情報 皇族・貴族
[[file:MatWElf Villani.jpg|right|thumb|200px|ヴェルフ2世とマティルダ]]
| 人名 = ヴェルフ2世
'''ヴェルフ2世'''(Welf II, [[1072年]]または[[1073年]] - [[1120年]][[9月24日]])は、[[バイエルン大公|バイエルン公]](在位:[[1101年]] - 1120年)。[[ヴェルフ1世 (バイエルン公)|ヴェルフ1世]]と[[フランドル伯]][[ボードゥアン4世 (フランドル伯)|ボードゥアン4世]]の娘ユーディトの長男。[[ハインリヒ9世 (バイエルン公)|ハインリヒ9世]]の兄。[[ヴェルフ家#ヴェルフ=エステ家|ヴェルフ家]]では'''ヴェルフ5世'''と呼ばれる。肥満公(der Dicke)とも称される。
| 各国語表記 = Welf II.
| 家名・爵位 = [[バイエルン大公|バイエルン公]]
| 画像 = MatWElf Villani.jpg
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| 画像説明 = ヴェルフ2世とマティルダ
| 在位 = [[1101年]] - [[1120年]]
| 続柄 =
| 称号 =
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| 身位 =
| 敬称 =
| お印 = <!-- 日本の皇族のみ -->
| 出生日 = [[1072年|1072]]/[[1073年|3年]]
| 生地 =
| 死亡日 = [[1120年]][[9月24日]]
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| 埋葬地 = ヴァインガルテン修道院
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'''ヴェルフ2世'''(Welf II., [[1072年|1072]]/[[1073年|3年]] - [[1120年]][[9月24日]])は、[[バイエルン大公|バイエルン公]](在位:[[1101年]] - 1120年)。[[ヴェルフ1世 (バイエルン公)|ヴェルフ1世]]と[[フランドル伯]][[ボードゥアン4世 (フランドル伯)|ボードゥアン4世]]の娘ユーディトの長男。[[ハインリヒ9世 (バイエルン公)|ハインリヒ9世]]の兄。[[ヴェルフ家#ヴェルフ=エステ家|ヴェルフ家]]では'''ヴェルフ5世'''と呼ばれる。'''肥満公'''(der Dicke)とも称される。


== 生涯 ==
当時、[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]と[[教皇|ローマ教皇]][[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]が[[叙任権闘争]]で争っていたが、父は教皇派に与して[[1077年]]、ハインリヒ4世によってバイエルン公位を剥奪された。[[1089年]]にヴェルフ2世は[[トスカーナ州|トスカーナ]]女伯[[マティルデ・ディ・カノッサ]]と結婚したが、教皇派との関係を強めたい父の意向があった。また、この結婚で教皇派はヴェルフ(ゲルフ)と呼ばれていった([[教皇派と皇帝派]]を参照)。
当時、[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]と[[教皇|ローマ教皇]][[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]が[[叙任権闘争]]で争っていたが、父は教皇派に与して[[1077年]]、ハインリヒ4世によってバイエルン公位を剥奪された。[[1089年]]にヴェルフ2世は[[トスカーナ州|トスカーナ]]女伯[[マティルデ・ディ・カノッサ]]と結婚したが、教皇派との関係を強めたい父の意向があった。また、この結婚で教皇派はヴェルフ(ゲルフ)と呼ばれていった([[教皇派と皇帝派]]を参照)。



2019年10月30日 (水) 12:04時点における版

ヴェルフ2世
Welf II.
バイエルン公
ヴェルフ2世とマティルダ
在位 1101年 - 1120年

出生 1072/3年
死去 1120年9月24日
埋葬 ヴァインガルテン修道院
配偶者 トスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサ
家名 ヴェルフ家
父親 ヴェルフ1世
母親 ユーディト・フォン・フランデルン
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ヴェルフ2世(Welf II., 1072/3年 - 1120年9月24日)は、バイエルン公(在位:1101年 - 1120年)。ヴェルフ1世フランドル伯ボードゥアン4世の娘ユーディトの長男。ハインリヒ9世の兄。ヴェルフ家ではヴェルフ5世と呼ばれる。肥満公(der Dicke)とも称される。

生涯

当時、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世ローマ教皇グレゴリウス7世叙任権闘争で争っていたが、父は教皇派に与して1077年、ハインリヒ4世によってバイエルン公位を剥奪された。1089年にヴェルフ2世はトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサと結婚したが、教皇派との関係を強めたい父の意向があった。また、この結婚で教皇派はヴェルフ(ゲルフ)と呼ばれていった(教皇派と皇帝派を参照)。

しかし、1095年にマティルデと離婚した。この出来事は父が皇帝派に鞍替えしたためとされている。事実、翌1096年にヴェルフ1世はハインリヒ4世からバイエルン公位を授かっている。1101年に父が十字軍に参戦(1101年の十字軍)、帰途でキプロス島で没したため、バイエルン公位を継いで皇帝ハインリヒ5世の下に属した。

1120年没。子が無かったため、バイエルンは弟のハインリヒ9世が継いだ。遺体は父と同じくヴァインガルテン修道院に埋葬された。

先代
ヴェルフ1世
バイエルン公
1101年 - 1120年
次代
ハインリヒ9世