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前田蓮山
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2019年9月21日 (土) 03:54時点における版
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、
2 年前
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→生い立ち
2019年1月3日 (木) 09:38時点における版
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2019年9月21日 (土) 03:54時点における版
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ウミユスリカ
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== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[長崎県]][[
諫早市
北高来郡
]]森山村
(後の北高来郡[[森山町]]・現[[諫早市]])
の農家の村役であった又次郎、イヨの二男として生まれる。小学校時代には神童と呼ばれ、[[十八史略]]、[[日本外史]]、[[国史略]]、[[論語]]などの漢籍及び[[徒然草]]や[[竹取物語]]などの国文は独学で読み取れた。13歳で[[唐詩選]]も読み漢詩の作り方も覚えた。「蓮山」という号の由来は、一家が
森山村と隣の小野村を境する
[[蓮華石岳]]という山の麓に住んでいたことから蓮という字に山をあて、「れんざん」と号した。その一方では、数え年10歳くらいの時に、早くも[[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]の洗礼を受けた。数え年14歳になると、大人に混じって自由民権論を弁じるなどした<ref name="50nin">「50人の新聞人」電通 1955/7</ref> 。
=== 青年期 ===
ウミユスリカ
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