「フィリップ・ルンプフ」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[フランクフルト・アム・マイン]]で菓子職人の息子に生まれた。父親の仕事を学んだ後、1836年にフランクフルトの美術学校(Staatliche Hochschule für Bildende Künste)に入学し、彫刻を学んだが、1838年に絵画に転じ、ベッカー(Jacob Becker)やヴェンデルシュタット(Carl Friedrich Wendelstadt)、[[ハインリヒ・フォン・ルスティー|ルスティーゲ]](Heinrich von Rustige)、[[ヤーコブ・フュルヒテゴット・ディールマン|ディールマン]](Jakob Fürchtegott Dielmann)に学んだ。
 
1844年に金持ちの娘のための美術学校を開き1860年までこの学校を続けた。1852年にパリに出て、フランスの風景画家、[[ジャン=バティスト・カミーユ・コロー]]や写実主義の画家、[[ギュスターヴ・クールベ]]の作品を学んだ。同じフランクフルトの美術学校で学んだ、[[アントン・ブルガー (画家)|アントン・ブルガー]]もパリを訪れた。その後、ミュンヘンやドレスデンや北イタリアも訪れた。
油彩以外にも水彩画や版画も描いた。1888年にルクセンブルク大公[[アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ]]によって、宮廷画家、美術学校」の教授に任じられた。
 
息子のエミル・ルンプフ(Emil Rumpf:1860–1948)も画家になり、馬の絵を得意とした。
 
== 作品 ==

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