「ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m コモンズ追加
36行目: 36行目:


{{DEFAULTSORT:とうあらんしえんぬ ひええるあんり}}
{{DEFAULTSORT:とうあらんしえんぬ ひええるあんり}}
[[Category:フランスの画家]]
[[Category:18世紀フランスの画家]]
[[Category:19世紀フランスの画家]]
[[Category:レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者]]
[[Category:レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者]]
[[Category:トゥールーズ出身の人物]]
[[Category:トゥールーズ出身の人物]]

2019年8月6日 (火) 04:58時点における版

ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ(自画像)

ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ(Pierre-Henri de Valenciennes、1750年12月6日 - 1819年2月16日)は、フランスの画家である。18世紀後半のフランスにおける最も重要な風景画家の一人で、その後の風景画家たちに影響を与えた。

略歴

トゥールーズで生まれた。父親はかつらの製造業者で、母親は家具商人の娘だった。10代にはバイオリン演奏を学んだが、1770年頃トゥールーズの王立美術学校で美術を学んだ。この頃、南フランスへの旅も行い、1769年にはローマも訪れている。

有力者のデュブール家から支援を受け、叔母が有力な政治家エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール公爵の近侍と結婚していて、公爵の支援も受けた。

ショワズ公爵の推薦で1772年からパリでガブリエル=フランソワ・ドワイアンの指導を受けるようになった。ドワイアンのスタジオではユベール・ロベールと出会い、強い影響を受けた。1778年に初めてパリの展覧会に出展した。

パトロンの支援されて、1777年から1785年の間はおもにローマに滞在し、シシリーやナポリにも滞在した。1785年にパリに戻り、1787年に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれた。サロン・ド・パリにも出展を始め、1805年には金賞を得た。

王立絵画彫刻アカデミーや高等専門学校で風景画を教え、著名な画家にはジャン=ヴィクトール・ベルタン、ルイ=フランソワ・ルジューン、アシール=エトナ・ミシャロン、ルイ・エティエンヌ・ワトレらがいる。レジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。

作品

参考文献

  • Simone Schultze: Pierre-Henri de Valenciennes und seine Schule. Paysage historique und der Wandel in der Naturauffassung am Anfang des 19. Jahrhunderts.
  • Marcel Roethlisberger: Im Licht von Claude Lorrain. Ausstellungskatalog, München, 1983, ISBN 3-7774-3500-7.
  • Martina Peters: Italienreise und Italienansicht. die Wirkung Claude-Joseph Vernets auf die Freilichtpraxis am Beispiel von Francis Towne und Pierre-Henri de Valencienne. Freie Univ., Diss., Berlin 2003.
  • Exposition La Nature l'Avait Créé Peintre. Pierre-Henri de Valenciennes 1750 - 1819. Ausstellungskatalog, Toulouse 2003, ISBN 2-85056-593-8.