「大和ヒロシ」の版間の差分

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| リングネーム = '''大和 ヒロシ'''<br />YAMATO
| 本名 = 三原 弘嗣
| ニックネーム = '''情熱バカ一代'''<br />オレンジインパクト
| 身長 = 176cm
| 体重 = 82kg
| 出身地 = [[千葉県]][[君津市]]
| 所属 = フリー
| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]<br />[[バスケトボ]]<br />[[バスケトボ]]
| トレーナー = ヴィールス<br />[[カズ・ハヤシ]]<br />[[小島聡]]<br />ヴィールス
| デビュー = [[2007年]][[2月22日]]
| 引退 =
|publisher= |author= |date= |accessdate=2012-12-27 }}</ref>。2006年に行われた『[[武藤塾]]』の新人オーディションに合格し[[全日本プロレス]]に入門。合格ラインはギリギリであったが、自己アピールで得意の[[滝口順平]]と[[いっこく堂]]のモノマネを披露し、それが合格の決め手となった。「大学時代にバイトで綿あめ売りをしていた時に、余興でやっていたものまねが役に立った」<ref>「千葉アスリート列伝」(『千葉日報』2015年6月17日14面)</ref>。
 
2007年2月に、同期入門の[[境敦史|KAI]]と共にメキシコ修行に出る。2月22日に、[[IWRG]]にて'''YAMATO'''のリングネームでデビュー。KAIとのタッグで見事に初試合で初勝利を挙げている。ちなみに本人は試合中に記憶が飛び、気づくと控え室にいてKAIから試合が終わったという事実を聞いたという。
 
6月3日、KAI、元[[SUPER CREW]]の[[佐々木大輔 (プロレスラー)|SASAKI]]と組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。
 
7月26日[[メキシコシティ]]にて、30人で争ったREY DEL RING王座を奪取。デビュー5か月で早くも初タイトルを獲得した。
2008年2月17日の後楽園大会で『大和ヒロシ』のリングネームで日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーはKAI)
 
その後、KAIとのタッグで[[ジュニア・タッグリーグ戦]]に出場。若手ながらも奮闘し、[[土方隆司]]、[[中嶋勝彦]]組、[[NOSAWA論外]]、[[MAZADA]]組から大金星をあげる
若手ながらも奮闘し、[[土方隆司]]、[[中嶋勝彦]]組、[[NOSAWA論外]]、[[MAZADA]]組から大金星をあげる。
 
5月シリーズから怪我のため欠場していたが、7月20日の後楽園ホールにて、[[真田聖也]]と組み、土方隆司、[[征矢学]]と復帰戦を行った。結果は土方に負け、「3か月は埋められなかった」と発言し、[[ジュニア・ヘビー級リーグ戦]]へエントリーされなかった悔しさを露にした。そして、「またイチからやりなおしたい」と語った。
=== F4時代の大和ヒロシ ===
8月22日、後楽園での[[小島聡]]対[[TARU]]戦終了後、[[VOODOO-MURDERS]]にリンチされていた小島を[[天山広吉]]、KAIと共に救出。小島、KAIと新ユニット「[[F4 (プロレス)|F4]]」を結成し活動して行く事を宣言した。
 

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