「マンシ人」の版間の差分

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そして、[[紀元前10世紀]]以降に[[西シベリア平原]]に移住し、その土地の民と同化していったと言われる<ref name="Red Book"/>。一方、他の文献によると、紀元500年頃に、南にある[[ウラル・ステップ]]から現在の位置にやってきたとされる<ref>{{cite web|title=Khanty & Mansi|work=Encyclopædia Britannica|url= http://www.britannica.com/EBchecked/topic/316322/Khanty-and-Mansi#ref272005|accessdate=2015/5/4}}</ref>。鉄器時代以降の紀元1世紀頃に分かれたとされる。
 
古くは[[騎馬民族|騎馬文化]]を持っていたようであるが、[[シベリア]]の環境への適応から、[[狩猟]]・[[漁猟]]・[[トナカイ]]飼育の生活を導入するようになった。[[10世紀]]頃には[[ロシア人]]との接触をはじめ、[[11世紀]]までには定期的な交易を行っていた。[[モンゴル帝国]]の拡大にともない服属し、[[西シベリア汗国]]に含まれた。その後、[[ロシア帝国]]の[[イェルマーク]]によるシベリア征服によって、西シベリア平原がロシア帝国による支配を受けた。
 
遅くとも[[16世紀]]には[[ロシア]]との接触をしていた。ロシア及び[[ソビエト連邦]]政府との接触が多かったため、マンシ人は東方のハンティ人に較べると、ロシア人との同化が全般的により進んでいる。
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