「ニコラウス・コペルニクス」の版間の差分

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彼の[[姓]]の「コペルニクス」はラテン語表記の ''Copernicus'' を[[日本語]]で読み下したもので、[[ポーランド語]]では「コペルニク (Kopernik)」となる。この語はゲルマン系の「銅」を意味する語にスラブ系の接尾辞 -nik がついたもので、ポーランドの[[シレジア|シレジア地方]][[オポーレ県]]にある古い[[銅山]]の街[[コペルニキ]] ([[:en:Koperniki|Koperniki]]) に由来する。[[シレジア]]地方は13世紀の[[モンゴルのポーランド侵攻|モンゴルによるポーランド侵攻]]で住民が避難して散り散りとなるか逃げ遅れて殺されるかして人口が大きく減少したため、ポーランドの当地の諸侯は復興のために西方から多くのドイツ人[[移民]]を招いている([[東方殖民|ドイツ人の東方殖民]])。そのなかでコペルニクスの父方の先祖(の少なくとも一部)もドイツの各地からやってきて、そのため一族が[[ドイツ語]]を母語としていたものと推測される。
 
10歳の時、[[銅]]を商う裕福な商売人だった父親が亡くなり、母親のバルバラは既に亡くなっていた。そのため、母方の叔父である{{仮リンク|ルーカス・ヴァッツェンローデ|en|Lucas Watzenrode}}が父の死後、コペルニクスと兄弟を育てた<ref>『コペルニクス 地球を動かし天空の美しい秩序へ』p22 O.ギンガリッチ,ジェームズ・マクラクラン 林大訳.大月書店,2008.11.オックスフォード科学の肖像</ref>。ルーカスは当時教会の律修司祭(カノン)であり、後に[[ポーランド王領プロシア]]の[[ヴァルミア]][[司教]]となった。コペルニクスの兄弟アンドレーアス はポーランド王領プロシアのフラウエンブルク(今のポーランド領{{仮リンク|フロムボルク|en|Frombork}}(ドイツ語名フラウエンブルク)のカノンとなり、妹バルバラは[[ベネディクト会|ベネディクト修道院]]の[[修道女]]となった。他の妹カタリーナは[[トルニ|市]]の評議委員だったバルテル・ゲルトナーと結婚した。
 
=== 学生時代 ===

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