「カリビアンシリーズ」の版間の差分

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セリエ・インテラメリカーナの成功に触発されたのが、同じベネズエラ人実業家の[[パブロ・モラレス・ペレス]]と[[オスカル・プリエト・オルティーズ]]である。ふたりは以前から球界に携わっており、1942年10月には強豪球団[[ナベガンテス・デル・マガリャーネス]]とセルベセリア・カラカスの初対戦を、コラオとの協力により実現させた<ref name="cerveceria" />。またモラレスは、1946年から1947年にかけて[[国際野球連盟|国際アマチュア野球連盟]]の会長を務めた経験を持つ<ref group="*">のちの1951年から1952年にかけて2期目も務めた。</ref>。ふたりは、カリブ海沿岸各地の[[ウィンターリーグ]]王者を集める大会の構想を練り上げた。この構想は、CBPC設立前の1948年1月にアメリカ合衆国[[フロリダ州]][[マイアミ]]で開かれた会合において提案され、設立後の同年8月に[[キューバ]]の首都[[ハバナ]]で開かれた会合において採用されることが決まった<ref name="origenserie" />。
 
1948-49シーズンCBPC加盟各国・地域ウィンターリーグで[[1949年のカリビアンシリーズ|第1回カリビアンシリーズ]]出場権獲得したのは、以下の4球団だった。
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* {{Flagicon|PUR}} [[インディオス・デ・マヤグエス]]
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* {{Flagicon|PAN}} [[スパーコーラ・コロナイツ]]<ref group="*">シーズンは3月まで続く予定で、優勝球団が決まっていなかったため、2月12日時点での首位球団が出場権を得た。</ref><ref name="sjonesbio">Rory Costello, "[https://sabr.org/bioproj/person/b2f99b7e Sam Jones]," ''Society for American Baseball Research''. 2019年3月30日閲覧。</ref>
* {{Flagicon|PAN}} [[スパーコーラ・コロナイツ]]
* {{Flagicon|VEN1930}} セルベセリア・カラカス
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[[File:Monte Irvin 1953.jpg|200px|thumb|[[モンテ・アーヴィン]]は{{mlby|1949|d=y}}、[[ニグロリーグ]]の[[ニューアーク・イーグルス]]からMLBの[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]へ移籍した。この年のMLBでの年俸が5000ドルだったのに対し、シーズン開幕前に出場した[[1949年のカリビアンシリーズ|第1回カリビアンシリーズ]]6試合の出場給は2000ドルにのぼったという<ref>Juan Vené, "[https://www.milenio.com/opinion/juan-vene/en-la-pelota/serie-caribe-1949-monte-irvin-pasquel Serie del Caribe 1949 Monte Irvin y Pasquel]," ''[[:es:Milenio (periódico)|Milenio]]'', 5 de febrero de 2017. 2019年3月10日閲覧。</ref>]]
この4球団が1949年2月20日、ハバナのグラン・エスタディオ・デル・セロ(のちの[[エスタディオ・ラティーノアメリカーノ]])に集結し、[[1949年のカリビアンシリーズ|第1回カリビアンシリーズ]]大会が開幕した。開会式にはアメリカ合衆国からもオーガナイズド・ベースボールの重役が出席し、MLBコミッショナー事務局のウォルター・マルブリーがCBPCの旗を掲揚、NAPBL会長[[ジョージ・トラウトマン]]が[[始球式]]を務めた<ref name="sabrcbpc" />。初日の第1試合はインディオス・デ・マヤグエスとスパーコーラ・コロナイツの対戦で、インディオスの[[先発投手]][[ウィルマー・フィールズ]]が第1球を投じ、大会初[[安打]]はコロナイツの[[中堅手]][[レオン・トレッドウェイ]]が初回表に記録した<ref name="sdcfirsts">Bienvenido Rojas, "[https://www.diariolibre.com/deportes/del-almendares-en-el-cerro-a-villa-clara-en-isla-margarita-BKDL460331 Del Almendares en El Cerro a Villa Clara en Isla Margarita]," ''[[:es:Diario Libre|Diario Libre]]'', 30 de enero de 2014. 2019年3月10日閲覧。</ref>。この試合は乱打戦となり長引いたため、第2試合の開始が遅れないように8イニングで打ち切られ、コロナイツが13-9で勝利した<ref name="sabrcbpc" />。続く第2戦では、セルベセリア・カラカスの[[ダルミーロ・フィノル]]が4回裏に大会第1号の[[本塁打]]を放ったが、セルベセリアの得点はこの本塁打による1点にとどまり、地元キューバのアラクラーネス・デル・アルメンダーレスが16-1の大勝を収めた<ref name="sdcfirsts" />。大会は25日までの6日間、各球団が総当たり2回の計6試合を行い、アラクラーネスが全勝で初代王者となった。投手の[[アガピト・マヨール]]が3勝を挙げて[[:en:Caribbean Series Most Valuable Player|シリーズMVP]]を受賞、打者では[[モンテ・アーヴィン]]が2本塁打・11[[打点]]の活躍を見せた<ref>Sigfredo Barros Segrera, "[http://www.granma.cu/temas-beisboleros/2019-01-31/1949-1960-cuba-manda-31-01-2019-21-01-34 1949-1960: Cuba manda]," ''[[グランマ (新聞)|Granma]]'', 31 de enero de 2019. 2019年3月10日閲覧。</ref>。観客動員面では6日間全て満員とはいかなかったものの、トラウトマンは今大会を成功と評価した<ref name="sabrcbpc" />。
 
=== 1960年大会まで ===
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