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各鎮台の記事に転記したため、「歴代幹部」節を除く。あらためて熊本鎮台にリンク。歴史の説明文をやや修正。鎮台と直接関係しない軍旗・廃藩置県を略年表から除く |
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=== 略史 === |
=== 略史 === |
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:*''[[慶応]]4年(明治元年)[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]([[1868年]][[3月13日]]) - [[明治政府]]直属の[[軍隊]]として[[御親兵]]を創設。'' |
:*''[[慶応]]4年(明治元年)[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]([[1868年]][[3月13日]]) - [[明治政府]]直属の[[軍隊]]として[[御親兵]]を創設。'' |
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*[[明治]]3年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]、[[兵部省]]考案の「陸軍御國旗」(旭日旗)が新生日本の各藩統合陸軍の象徴として採用される。 |
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*[[明治]]4年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]([[1871年]][[6月10日]]) - [[東山道鎮台]](本営[[石巻市|石巻]]、分営[[福島市|福島]]・[[盛岡市|盛岡]])、[[西海道鎮台]](本営[[小倉市|小倉]]、分営[[博多]]・[[日田市|日田]])設置<ref name=TF>[http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/54_hohei9/1_1.html 『新修 大津市史』5 近代 第1章 近代大津の出発]([[京都大学人文科学研究所]]元教授 [[古屋哲夫]]著 1982年7月)</ref>。 |
*[[明治]]4年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]([[1871年]][[6月10日]]) - [[東山道鎮台]](本営[[石巻市|石巻]]、分営[[福島市|福島]]・[[盛岡市|盛岡]])、[[西海道鎮台]](本営[[小倉市|小倉]]、分営[[博多]]・[[日田市|日田]])設置<ref name=TF>[http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/54_hohei9/1_1.html 『新修 大津市史』5 近代 第1章 近代大津の出発]([[京都大学人文科学研究所]]元教授 [[古屋哲夫]]著 1982年7月)</ref>。 |
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:*''明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]](1871年[[8月29日]]) - [[廃藩置県]]。これにより、全国が[[明治政府]]の直轄となる。'' |
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*明治4年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]](1871年[[10月4日]]) - 東山道鎮台、西海道鎮台を廃止。[[東北鎮台]]([[仙台市|仙台]])、[[東京]]鎮台、[[大阪]]鎮台、[[鎮西]]鎮台([[熊本市|熊本]])の4鎮台を置く<ref name=TF/>。 |
*明治4年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]](1871年[[10月4日]]) - 東山道鎮台、西海道鎮台を廃止。[[東北鎮台]]([[仙台市|仙台]])、[[東京]]鎮台、[[大阪]]鎮台、[[鎮西]]鎮台([[熊本市|熊本]])の4鎮台を置く<ref name=TF/>。 |
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*明治5年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]([[1872年]][[5月7日]]) - 鎮西鎮台が熊本鎮台に改称。 |
*明治5年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]([[1872年]][[5月7日]]) - 鎮西鎮台が[[熊本鎮台]]に改称。 |
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*明治6年([[1873年]])[[1月9日]] - [[名古屋市|名古屋]]鎮台、[[広島市|広島]]鎮台を設置して、6鎮台制をしく<ref name=TF/>。東北鎮台を[[仙台市|仙台]]鎮台に改称。 |
*明治6年([[1873年]])[[1月9日]] - [[名古屋市|名古屋]]鎮台、[[広島市|広島]]鎮台を設置して、6鎮台制をしく<ref name=TF/>。東北鎮台を[[仙台市|仙台]]鎮台に改称。 |
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:*''明治6年(1873年)[[1月10日]] - [[徴兵令]]施行'' |
:*''明治6年(1873年)[[1月10日]] - [[徴兵令]]施行'' |
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=== 歴史 === |
=== 歴史 === |
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明治新政府の重要な課題として、近代の中央集権制度にもとづく兵力軍備の統制と編成があった。そのさい全国統一的な常備軍の編成にさいして幕藩体制下での藩兵・旧武士団の解体、および新たな編成の手続きが課題であった<ref>遠藤芳信「日露戦争前における戦時編成と陸軍動員計画思想」(北海道教育大学紀要2004.2)[http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/783/1/54-2-zinbun-6.pdf]</ref>。最初の画期は1871年2月に正式に編成された[[御親兵]]であり、鹿児島・山口・高知からなる御親兵の編成費用は宮内省の定額金を割いて兵部省に下付され成立した。一方で地方では旧来の藩が兵力を確保・統括しており、地方の兵力運用に際しては特定近隣の藩に兵力を派遣(出張)させるよう通達を出しており、その派遣費用は藩費で負担させるという兵力編成の思想でなされていた。1871年4月に出された東山道と西海道の二鎮台設置の布告はこのようなものであり、当初は鎮台の内部組織や指揮統括関係など規定されず、出先機関の性格が強く兵力編成の統一性や鎮台自体の常設化の計画もみられなかった<ref>遠藤芳信2004.2、PDF-p.4</ref>。 |
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まず、[[太政官]]が将来全国に鎮台を置くことを明らかにした上で、[[1871年]][[6月10日]]([[明治]]4年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]])に現在の[[東北地方]]に[[東山道鎮台]](本営[[石巻市|石巻]]、分営[[福島市|福島]]・[[盛岡市|盛岡]])、現在の[[九州地方]]に[[西海道鎮台]](本営[[小倉市|小倉]]、分営[[博多]]・[[日田市|日田]])の2鎮台を設置することを布告した<ref name=TF/>。しかし、実際に部隊編成を行ったのは西海道鎮台のみであった<ref name=TF/>。同年[[8月29日]](明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]])の[[廃藩置県]]により全国が[[明治政府]]の直轄となったが、同時に[[兵部省]]職員令が出され、[[北海道]]・石巻・[[東京]]・[[大阪]]・小倉の5鎮台制の構想が示された<ref name=TF/>。しかし、他の地方と比べ人口が極端に少ない北海道では鎮台の設置が後回しとなった。結果、同年[[10月4日]](明治4年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]])に旧2鎮台を廃止し、[[東北鎮台]]([[仙台市|仙台]])、[[東京鎮台]]、[[大阪鎮台]]、[[鎮西鎮台]]([[熊本市|熊本]])の4鎮台が設置された<ref name=TF/>。このときの鎮台は、[[御親兵]]から転じた者と、[[士族]]からの志願者で編成された。残る各藩常備兵は[[武装解除]]されることになる<ref name=TF/>。 |
まず、[[太政官]]が将来全国に鎮台を置くことを明らかにした上で、[[1871年]][[6月10日]]([[明治]]4年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]])に現在の[[東北地方]]に[[東山道鎮台]](本営[[石巻市|石巻]]、分営[[福島市|福島]]・[[盛岡市|盛岡]])、現在の[[九州地方]]に[[西海道鎮台]](本営[[小倉市|小倉]]、分営[[博多]]・[[日田市|日田]])の2鎮台を設置することを布告した<ref name=TF/>。しかし、実際に部隊編成を行ったのは西海道鎮台のみであった<ref name=TF/>。同年[[8月29日]](明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]])の[[廃藩置県]]により全国が[[明治政府]]の直轄となったが、同時に[[兵部省]]職員令が出され、[[北海道]]・石巻・[[東京]]・[[大阪]]・小倉の5鎮台制の構想が示された<ref name=TF/>。しかし、他の地方と比べ人口が極端に少ない北海道では鎮台の設置が後回しとなった。結果、同年[[10月4日]](明治4年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]])に旧2鎮台を廃止し、[[東北鎮台]]([[仙台市|仙台]])、[[東京鎮台]]、[[大阪鎮台]]、[[鎮西鎮台]]([[熊本市|熊本]])の4鎮台が設置された<ref name=TF/>。このときの鎮台は、[[御親兵]]から転じた者と、[[士族]]からの志願者で編成された。残る各藩常備兵は[[武装解除]]されることになる<ref name=TF/>。 |
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[[1873年]]に2つの鎮台が増設され、[[北海道]]を除く地域を、6[[軍管]]、14[[師管]]に分けた。軍管には鎮台、師管には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から[[北陸地方]]が[[名古屋鎮台]]に、[[中国・四国地方]]が[[広島鎮台]]にそれぞれ移管された。 |
[[1873年]]に2つの鎮台が増設され、[[北海道]]を除く地域を、6[[軍管]]、14[[師管]]に分けた。軍管には鎮台、師管には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から[[北陸地方]]が[[名古屋鎮台]]に、[[中国・四国地方]]が[[広島鎮台]]にそれぞれ移管された。また、[[東北鎮台]]は[[仙台鎮台]]に、[[鎮西鎮台]]は[[熊本鎮台]]にと、都市名を冠する名に改めた。北海道には鎮台がなく、かわりに[[屯田兵]]が置かれた。 |
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徴兵の比率はしだいに |
[[1873年]]の[[徴兵令]]施行とともに、徴集された兵士が鎮台に入隊するようになった。この徴兵に対し、従来からの士族志願者の兵を[[壮兵]]と呼んで区別した。壮兵の比率はしだいに低下したが、鎮台の定員充足は容易ではなく、[[士族]]中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった[[西南戦争]]では、正規の鎮台兵に加えて[[近衛 (日本軍)|近衛兵]]、[[屯田兵]]、[[警視隊]]、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が[[官軍]]将兵の半数を占めた。 |
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<table width="100%"><tr><td valign=top width="50%"> |
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||[[丸亀市|丸亀]]||[[歩兵第12連隊]] |
||[[丸亀市|丸亀]]||[[歩兵第12連隊]] |
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| rowspan="2"|[[第6軍管]]・熊本鎮台||[[熊本市|熊本]]||[[歩兵第13連隊]] |
| rowspan="2"|[[第6軍管]]・[[熊本鎮台]]||[[熊本市|熊本]]||[[歩兵第13連隊]] |
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||[[小倉市|小倉]]||[[歩兵第14連隊]] |
||[[小倉市|小倉]]||[[歩兵第14連隊]] |
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</td></tr></table> |
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== 各鎮台歴代幹部 == |
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* 明治12年9月24日から司令長官を司令官と改称 |
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* 明治21年5月14日から各鎮台を師団に改編 |
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=== 仙台鎮台 === |
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====東北鎮台司令長官==== |
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*(欠員):明治4年8月8日 - 明治5年3月23日 |
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*[[三好重臣]] 大佐:明治5年3月23日 - 明治6年1月9日 |
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====仙台鎮台司令長官==== |
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(明治6年1月9日仙台鎮台と改称) |
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*三好重臣 大佐:明治6年1月9日 - 明治7年8月20日 |
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*(代理)[[堀尾晴義]] 中佐:明治7年9月18日 - 明治11年9月12日 |
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*(代理)[[福原実]] 大佐:明治11年9月12日 - 明治11年11月20日 |
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*福原実 少将:明治11年11月20日 - 明治12年10月8日 |
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*(欠員):明治12年10月8日 - 明治13年4月29日 |
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====仙台鎮台司令官==== |
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*[[四条隆謌]] 少将:明治13年4月29日 - 明治14年2月7日 |
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*[[佐久間左馬太]] 少将:明治14年2月7日 - 明治18年5月21日 |
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*[[曾我祐準]] 中将:明治18年5月21日 - 明治19年3月16日 |
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*佐久間左馬太 中将:明治19年3月16日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日[[第2師団 (日本軍)|第2師団]]長) |
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====参謀長==== |
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*堀尾晴義 中佐:明治7年8月28日 - 明治7年9月18日 |
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*福原実 大佐:明治11年9月14日 - 明治11年11月22日 |
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*[[長屋重名]] 中佐:明治11年12月17日 - 明治14年1月22日 |
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*[[川上操六]] 中佐:明治14年1月22日 - 明治15年2月 |
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*[[大沼渉]] 大佐:明治15年3月9日 - 明治18年5月21日 |
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*(心得)[[大島義昌]] 中佐:明治18年5月26日 - 明治19年3月 |
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*[[高島信茂]] 大佐:明治19年3月19日 - 明治21年5月 |
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=== 東京鎮台 === |
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====司令長官==== |
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*[[三浦梧楼]] 少将:明治4年12月14日 - 明治6年7月7日 |
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*[[山田顕義]] 少将:明治6年7月7日 - 明治6年11月24日 |
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*[[種田政明]] 少将:明治6年11月29日 - 明治9年6月13日 |
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*[[野津鎮雄]] 少将:明治9年6月13日 - 明治10年2月27日 |
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*(代理)[[大山巌]] 少将:明治10年2月19日 - 明治10年2月24日 |
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*(代理)[[曾我祐準]] 少将:明治10年2月24日 - 明治10年3月16日(陸軍士官学校長の兼任) |
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*(代理)[[小松宮彰仁親王]] 少将:明治10年3月16日 - 明治10年5月29日 |
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*(欠員):明治10年5月29日 - 明治11年12月14日 |
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*[[野津道貫]] 少将:明治11年12月14日 - 明治12年9月24日 |
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====司令官==== |
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*野津道貫 少将:明治12年9月24日 - 明治18年5月21日 |
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*(代理)[[北白川宮能久親王]] 少将:明治17年11月19日 - 明治18年5月21日 |
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*三浦梧楼 中将:明治18年5月21日 - 明治19年7月26日 |
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*三好重臣 中将:明治19年7月26日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日[[第1師団 (日本軍)|第1師団]]長) |
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====参謀長==== |
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*[[岡沢精]] 中佐:明治11年12月14日 - 明治16年2月7日 |
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*[[乃木希典]] 中佐:明治16年2月7日 - 明治18年5月21日 |
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*[[山口素臣]] 大佐:明治18年5月26日 - 明治19年5月 |
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*[[西寛二郎]] 大佐:明治19年5月27日 - 明治20年6月 |
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*[[大島義昌]] 大佐:明治20年6月15日 - 明治21年5月 |
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=== 名古屋鎮台 === |
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====司令長官==== |
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*(御用取計)[[野崎貞澄]] 中佐:明治6年4月15日 - 明治6年11月24日 |
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*(心得)[[揖斐章]] 大佐:明治6年11月24日 - 明治7年4月12日 |
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*[[四条隆謌]] 少将:明治7年4月12日 - 明治12年9月24日 |
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====司令官==== |
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*四条隆謌 少将:明治12年9月24日 - 明治13年4月29日 |
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*揖斐章 少将:明治13年4月29日 - 明治14年10月26日死去 |
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*(欠員):明治14年10月26日 - 明治15年2月6日 |
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*[[滋野清彦]] 少将:明治15年2月6日 - 明治18年5月21日 |
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*[[黒川通軌]] 中将:明治18年5月21日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日[[第3師団 (日本軍)|第3師団]]長) |
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====参謀長==== |
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*揖斐章 大佐:明治7年4月17日 - 明治7年9月4日 |
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*長屋重名 中佐:明治7年9月4日 - 明治11年12月17日 |
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*[[山川浩]] 中佐:明治11年12月14日 - 明治15年3月9日 |
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*[[西寛二郎]] 大佐:明治15年3月9日 - 明治19年5月27日 |
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*[[阪元純熈]] 大佐:明治19年5月27日 - 明治21年5月14日(同日、第3師団参謀長) |
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=== 大阪鎮台 === |
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====司令長官==== |
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*(欠員):明治4年8月8日 - 明治5年1月29日 |
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*[[四条隆謌]] 少将:明治5年1月29日 - 明治7年4月12日 |
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*[[鳥尾小弥太]] 少将:明治7年4月12日 - 明治7年8月20日 |
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*三好重臣 少将:明治7年8月20日 - 明治12年9月25日 |
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*(代理)四条隆謌 少将:明治10年5月4日 - 明治10年10月2日(名古屋鎮台司令長官からの兼任。) |
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====司令官==== |
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*三好重臣 少将:明治12年9月25日 - 明治13年4月29日 |
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*曾我祐準 少将:明治13年4月29日 - 明治14年2月9日 |
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*[[高島鞆之助]] 少将:明治14年2月9日 - 明治15年2月6日 |
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*[[山地元治]] 少将:明治15年2月6日 - 明治18年5月21日 |
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*高嶋鞆之助 中将:明治18年5月21日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日[[第4師団 (日本軍)|第4師団]]長) |
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====参謀長==== |
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*揖斐章 大佐:明治7年9月14日 - 明治10年2月25日 |
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*高島信茂 中佐:明治12年2月7日 - 明治13年5月4日 |
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*[[土屋可成]] 大佐:明治13年5月14日 - 明治14年2月19日 |
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*[[小川又次]] 中佐:明治14年2月19日 - 明治15年3月9日 |
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*[[長谷川好道]] 大佐:明治15年3月9日 - 明治16年2月17日 |
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*[[茨木惟昭]] 大佐:明治16年2月19日 - 明治17年6月2日 |
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*[[山根信成]] 中佐:明治17年6月2日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日第4師団参謀長) |
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=== 広島鎮台 === |
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====司令長官==== |
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*(御用取計)[[品川氏章]] 中佐:明治6年4月13日 - 明治6年11月 |
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*(心得)高橋勝政 大佐:明治6年11月17日 - 明治7年2月8日 |
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*井田譲 少将:明治7年2月8日 - 明治7年10月30日 |
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*(心得)高橋勝政 大佐:明治7年11月10日 - 明治9年10月26日 |
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*三浦梧楼 少将:明治9年10月26日 - 明治11年12月14日 |
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*井田譲 少将:明治11年12月14日 - 明治12年9月25日 |
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====司令官==== |
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*井田譲 少将:明治12年9月25日 - 明治13年3月8日 |
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*黒川通軌 少将:明治13年4月29日 - 明治15年2月6日 |
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*野崎貞澄 少将:明治15年2月6日 - 明治18年5月21日 |
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*野津道貫 中将:明治18年5月21日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日[[第5師団 (日本軍)|第5師団]]長) |
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====参謀長==== |
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*高橋勝政 大佐:明治7年2月8日 - 明治7年11月10日 |
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*(欠員):明治9年11月24日 - 明治10年1月18日 |
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*中村重遠 中佐:明治10年1月18日 - 明治10年3月14日 |
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*土屋可成 大佐:明治11年11月18日 - 明治13年4月20日 |
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*国司順正 大佐:明治13年4月30日 - 明治14年1月26日 |
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*長谷川好道 大佐:明治14年1月26日 - 明治15年3月7日 |
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*小川又次 中佐:明治15年3月7日 - 明治17年10月28日 |
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*(心得)[[青山朗]] 中佐:明治18年6月1日 - 明治20年11月17日(1886.4.23大佐) |
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*[[塩屋方圀]] 大佐:明治20年11月17日 - 明治21年5月14日(同日、第5師団参謀長) |
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=== 熊本鎮台 === |
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====鎮西鎮台司令長官==== |
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*[[井田譲]] 少将:明治4年7月14日 - 明治5年2月29日 |
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*[[桐野利秋]] 少将:明治5年2月29日 - 明治5年4月14日 |
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====熊本鎮台司令長官==== |
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(明治6年1月9日熊本鎮台と改称) |
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*[[桐野利秋]] 少将:明治5年4月14日 - 明治6年4月5日 |
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*[[谷干城]] 少将:明治6年4月5日 - 明治7年4月5日 |
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*(代理・兼務)[[野津鎮雄]] 少将:明治7年4月12日 - 明治7年11月27日(陸軍省第4局長の兼任) |
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*(代理)野津鎮雄 少将:明治7年11月27日 - 明治8年6月23日 |
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*野津鎮雄 少将:明治8年6月23日 - 明治9年6月13日 |
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*[[種田政明]] 少将:明治9年6月13日 - 明治9年10月24日 |
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*(兼務)[[大山巌]] 少将:明治9年10月29日 - 明治9年11月9日(陸軍少輔兼第1局長の兼任) |
|||
*谷干城 少将:明治9年11月9日 - 明治11年12月14日 |
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*[[曾我祐準]] 少将:明治11年12月14日 - 明治12年9月25日 |
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====熊本鎮台司令官==== |
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*曾我祐準 少将:明治12年9月25日 - 明治13年4月29日 |
|||
*[[高島鞆之助]] 少将:明治13年4月29日 - 明治14年2月7日 |
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*[[山地元治]] 少将:明治14年2月7日 - 明治15年2月6日 |
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*[[国司順正]] 少将:明治15年2月6日 - 明治18年5月21日 |
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*[[三好重臣]] 中将:明治18年5月21日 - 明治19年7月26日 |
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*[[三浦梧楼]] 中将:明治19年7月26日 - 明治19年8月16日 |
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*山地元治 中将:明治19年8月18日 - 明治21年5月12日(明治21年5月14日[[第6師団 (日本軍)|第6師団]]長) |
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====参謀長==== |
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*(心得)[[中村重遠]] 中佐:明治6年12月27日 - 明治7年4月 |
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*[[佐久間左馬太]] 中佐:明治7年4月5日 - 明治8年3月 |
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*[[渡辺央]] 中佐:明治8年3月13日 - 明治9年6月 |
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*[[高島茂徳]] 中佐:明治9年6月19日 - 明治9年10月24日戦死 |
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*[[樺山資紀]] 中佐:明治9年11月18日 - 明治11年12月19日 |
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*[[野崎貞澄]] 大佐:明治11年12月19日 - 明治14年1月26日 |
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*国司順正 大佐:明治14年1月26日 - 明治15年2月6日 |
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*[[山口素臣]] 大佐:明治15年3月10日 - 明治18年5月26日 |
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*(心得)[[川村景明]] 中佐:明治18年5月26日 - 明治21年5月(明治21年5月14日第6師団参謀長) |
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====参謀副長==== |
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*[[児玉源太郎]] 少佐:明治9年12月 - 明治11年2月 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2019年3月23日 (土) 21:41時点における版
鎮台(ちんだい)は、1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。
概要
略史
- 明治4年4月23日(1871年6月10日) - 東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)、西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)設置[1]。
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 東山道鎮台、西海道鎮台を廃止。東北鎮台(仙台)、東京鎮台、大阪鎮台、鎮西鎮台(熊本)の4鎮台を置く[1]。
- 明治5年4月1日(1872年5月7日) - 鎮西鎮台が熊本鎮台に改称。
- 明治6年(1873年)1月9日 - 名古屋鎮台、広島鎮台を設置して、6鎮台制をしく[1]。東北鎮台を仙台鎮台に改称。
歴史
明治新政府の重要な課題として、近代の中央集権制度にもとづく兵力軍備の統制と編成があった。そのさい全国統一的な常備軍の編成にさいして幕藩体制下での藩兵・旧武士団の解体、および新たな編成の手続きが課題であった[2]。最初の画期は1871年2月に正式に編成された御親兵であり、鹿児島・山口・高知からなる御親兵の編成費用は宮内省の定額金を割いて兵部省に下付され成立した。一方で地方では旧来の藩が兵力を確保・統括しており、地方の兵力運用に際しては特定近隣の藩に兵力を派遣(出張)させるよう通達を出しており、その派遣費用は藩費で負担させるという兵力編成の思想でなされていた。1871年4月に出された東山道と西海道の二鎮台設置の布告はこのようなものであり、当初は鎮台の内部組織や指揮統括関係など規定されず、出先機関の性格が強く兵力編成の統一性や鎮台自体の常設化の計画もみられなかった[3]。
まず、太政官が将来全国に鎮台を置くことを明らかにした上で、1871年6月10日(明治4年4月23日)に現在の東北地方に東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)、現在の九州地方に西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)の2鎮台を設置することを布告した[1]。しかし、実際に部隊編成を行ったのは西海道鎮台のみであった[1]。同年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により全国が明治政府の直轄となったが、同時に兵部省職員令が出され、北海道・石巻・東京・大阪・小倉の5鎮台制の構想が示された[1]。しかし、他の地方と比べ人口が極端に少ない北海道では鎮台の設置が後回しとなった。結果、同年10月4日(明治4年8月20日)に旧2鎮台を廃止し、東北鎮台(仙台)、東京鎮台、大阪鎮台、鎮西鎮台(熊本)の4鎮台が設置された[1]。このときの鎮台は、御親兵から転じた者と、士族からの志願者で編成された。残る各藩常備兵は武装解除されることになる[1]。
1873年に2つの鎮台が増設され、北海道を除く地域を、6軍管、14師管に分けた。軍管には鎮台、師管には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から北陸地方が名古屋鎮台に、中国・四国地方が広島鎮台にそれぞれ移管された。また、東北鎮台は仙台鎮台に、鎮西鎮台は熊本鎮台にと、都市名を冠する名に改めた。北海道には鎮台がなく、かわりに屯田兵が置かれた。
1873年の徴兵令施行とともに、徴集された兵士が鎮台に入隊するようになった。この徴兵に対し、従来からの士族志願者の兵を壮兵と呼んで区別した。壮兵の比率はしだいに低下したが、鎮台の定員充足は容易ではなく、士族中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった西南戦争では、正規の鎮台兵に加えて近衛兵、屯田兵、警視隊、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が官軍将兵の半数を占めた。
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脚注
関連項目
参考文献
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。