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* [http://ameblo.jp/kitamiya-mitsuhiro/ 北宮光洋オフィシャルブログ] |
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2019年3月6日 (水) 06:19時点における版
マサ北宮 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
マサ北宮 北宮 光洋 |
本名 | 北宮 光洋 |
ニックネーム | 剛危朴訥 |
身長 | 172cm |
体重 | 105kg |
誕生日 | 1988年10月27日(35歳) |
出身地 | 富山県砺波市[1] |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー |
マサ斎藤 佐々木健介 |
デビュー | 2011年9月25日 |
マサ北宮(マサきたみや、1988年10月27日 - )は、日本のプロレスラー。本名:北宮 光洋(きたみや みつひろ)。プロレスリング・ノアに所属。
経歴
富山県立高岡商業高等学校、桃山学院大学時代はレスリング部に所属し、大学では主将も務めた[1][2]。
大学卒業後、健介オフィス(後のダイヤモンド・リング)に入門。2011年9月25日、健介オフィス自主興行・富山テクノホール(富山産業展示館)大会において同い年の梶原慧を相手にデビューを飾った[1][2]。
明るい性格と元気の良さが持ち前で、それらを生かした突貫ファイトが特徴である[1]。
デビュー以降は所属するダイヤモンド・リングのホームマッチに加え、プロレスリング・ノアの興行にも他のダイヤモンド・リング所属選手とともに定期的に参戦し、セコンド業務もこなす[2]。
2014年3月4日、定期参戦しているノアへ移籍が決定した[3]。
2015年1月10日、森嶋猛との一騎討ちを終え超危暴軍に加入した。
2016年4月11日、かつて所属した団体であるダイヤモンド・リングのスーパーバイザーであり、尊敬するマサ斎藤に肖り斎藤の承諾を得てマサ北宮へと改名した[4]。
7月16日、丸藤正道&矢野通組の保持する GHCタッグ王座に中嶋勝彦と組んで挑戦するも、北宮が丸藤からフォール負けを喫した。
9月23日、杉浦貴の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦するも敗れた。
11月23日、グローバル・リーグ戦をブロック1位で勝ち上がり優勝をかけて鈴木みのると対戦するも敗北、準優勝に終わった。
2018年3月11日、サイトー・スープレックス3連発からのフォール勝ちでGHCタッグ王座を獲得する。
得意技
- サイトースープレックス
- 捻り式バックドロップと同型。現在のフィニッシャー。
- ジャーマンスープレックス
- 監獄固め
- スピアー[1][2]
タイトル歴
テレビ出演
脚注
- ^ a b c d e 北宮光洋プロフィール | 健介オフィス-KENSUKE OFFICE
- ^ a b c d プロレスリング・ノア『New Year Navig.2013 2013.1.6 後楽園ホール』公式パンフレット
- ^ “勝彦以外は退団、DR事実上の休眠へ”. デイリースポーツ (2014年3月5日). 2014年3月5日閲覧。
- ^ “本日改名・マサ北宮選手 記者会見の模様”. プロレスリング・ノア (2016年4月11日). 2016年4月11日閲覧。
- ^ “フジテレビドラマ「若者たち2014」選手出演のお知らせ”. プロレスリング・ノア公式サイト. (2014年6月27日) 2017年5月5日閲覧。
外部リンク
- プロレスリング・ノア公式サイト 選手紹介
- 北宮光洋オフィシャルブログ
- マサ北宮 (@noah_kitamiya) - X(旧Twitter)