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1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。[[アベル・ガンス]]監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演([[ジャン=ポール・マラー]]役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評される[[カール・ドライヤー]]監督の『[[裁かるゝジャンヌ]]』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期に[[ジェルメーヌ・デュラック]]監督『[[貝殻と僧侶]]』(1927年)の脚本を書いている。
1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。[[アベル・ガンス]]監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演([[ジャン=ポール・マラー]]役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評される[[カール・ドライヤー]]監督の『[[裁かるゝジャンヌ]]』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期に[[ジェルメーヌ・デュラック]]監督『[[貝殻と僧侶]]』(1927年)の脚本を書いている。


1936年、[[アイルランド]]旅行中に精神病院に収監され、1947年に退院する、その体験を後に告発した。『[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ヴァン・ゴッホ]]』で[[サント=ブーヴ]]賞受賞。その思想は[[ジル・ドゥルーズ|ドゥルーズ]]や[[ジャック・デリダ|デリダ]]に影響を与えその演劇論は[[ピーター・ブルック]]らに受け継がれる。
1936年、[[アイルランド]]旅行中に統合失調症と診断され精神病院に収監され、1947年にアンドレ・ブルトンら友人らの助力で退院する。後に、その当時の体験を告発した。『[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ヴァン・ゴッホ]]』で[[サント=ブーヴ]]賞受賞。その思想は[[ジル・ドゥルーズ|ドゥルーズ]]&[[フェリックス・ガタリ|ガタリ]]や[[ジャック・デリダ|デリダ]]に影響を与えた。その演劇論は[[ピーター・ブルック]]らに受け継がれる。

== 器官なき身体 ==
1972年出版された「アンチ・オイディプス」のなかで、アルトーの言ったこの言葉が中心概念として採用された。アルトーの原文は以下の通り。

「人は病んでいる。できそこないだからだ。奴を一度裸にして奴をむしばむこの微生物をこそぎおとせ。そして神よ、役立たずの器官(ここでは性器とも解釈できる)というものをなくしてほしい。そうすれば人は自由になれる。そしてダンスホールで踊りまくるように踊りをもう一度教えてほしい。そこが彼の場所だ。」("Pour en finir avec le jugement de dieu") ようするに性欲からの解放かともとれるが、すべてを性で解釈するフロイト主義を批判する哲学書に採用された。


==バーチャル・リアリティ==
==バーチャル・リアリティ==

2019年1月31日 (木) 01:10時点における版

アントナン・アルトー

アントナン・アルトー(Antonin Artaud, 1896年9月4日 - 1948年3月4日)は、フランスの俳優・詩人・小説家・演劇家。

生涯

スミルナ(現在のイズミール)出身のギリシャ人の両親の元、マルセイユで生まれる[1]。 幼少に罹患した髄膜炎の後遺症の痛みに耐えるために一生阿片などの麻薬を服用し続けた。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩も始める。1924年シュールレアリスム運動に加わるも、ブルトンと衝突。1928年、除名された[2]。『NRF』誌のリヴィエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「残酷劇」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。

1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。アベル・ガンス監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演(ジャン=ポール・マラー役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評されるカール・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期にジェルメーヌ・デュラック監督『貝殻と僧侶』(1927年)の脚本を書いている。

1936年、アイルランド旅行中に統合失調症と診断され精神病院に収監され、1947年にアンドレ・ブルトンら友人らの助力で退院する。後に、その当時の体験を告発した。『ヴァン・ゴッホ』でサント=ブーヴ賞受賞。その思想はドゥルーズガタリデリダに影響を与えた。その演劇論はピーター・ブルックらに受け継がれる。

器官なき身体

1972年出版された「アンチ・オイディプス」のなかで、アルトーの言ったこの言葉が中心概念として採用された。アルトーの原文は以下の通り。

「人は病んでいる。できそこないだからだ。奴を一度裸にして奴をむしばむこの微生物をこそぎおとせ。そして神よ、役立たずの器官(ここでは性器とも解釈できる)というものをなくしてほしい。そうすれば人は自由になれる。そしてダンスホールで踊りまくるように踊りをもう一度教えてほしい。そこが彼の場所だ。」("Pour en finir avec le jugement de dieu") ようするに性欲からの解放かともとれるが、すべてを性で解釈するフロイト主義を批判する哲学書に採用された。

バーチャル・リアリティ

バーチャル・リアリティ(virtual reality)という単語は元々アルトーが造語[3]した芸術用語であったが、「バーチャル・リアリティの父」[4][5]と呼ばれるジャロン・ラニアーらにより仮想現実を意味する言葉として援用された。

著作(日本語訳)

関連項目

脚注

  1. ^ John Wakeman, World Authors, 1950-1970: A Companion Volume to Twentieth Century Authors
  2. ^ 『思考の腐蝕について アントナン・アルトーとジャック・リヴィエールとの手紙』、飯島耕一訳、思潮社、1967年 p.64
  3. '^ Antonin Artaud, "The Alchemical Theater", in The Theater and its Double, trans. Mary Caroline Richards, New York: Grove Press, 1958, p. 49, emphasis in original. See also Samuel Weber, "'The Virtual Reality of Theater': Antonin Artaud", in Theatricality as Medium, New York: Fordham University Press, 2004, pp. 277-94.
  4. ^ Savage, Emily (2010-10-20). "Renaissance man: Berkeley resident is a musician, a Web guru and the father of virtual reality". j. the Jewish news weekly of Northern California. Archived from the original on 2011-03-06.
  5. ^ Appleyard, Bryan (2010-01-17). "Jaron Lanier: The father of virtual reality". The Sunday Times. Archived from the original on 2011-03-06.

外部リンク