「国民党 (ウルグアイ)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
29行目: 29行目:
|その他 =
|その他 =
}}
}}
'''国民党'''(こくみんとう、'''Partido Nacional''')は、[[ウルグアイ]]の政党であり、[[2004年]]の選挙で[[拡大戦線 (ウルグアイ)|拡大戦線]]が勝利するまでは伝統的なウルグアイの[[二大政党制]]の一角を保ってきた。ブランコ党(Partido Blanco))と呼ばれることが多く、ブランコは白を意味する。[[保守]]主義者の党であり、農村の地主などを支持層にして成立した。19世紀においては{{仮リンク|バルトロメ・ミトレ|es|Bartolomé Mitre|en|Bartolomé Mitre}}が台頭するまで親[[アルゼンチン]]派だった。[[コロラド党 (ウルグアイ)|コロラド党]]としばしば[[内戦]]を繰り返し、[[ソラノ・ロペス]]と共に[[三国同盟戦争]]のきっかけを作った党でもある。このような政治対立が内戦に発展するのが解消するには[[ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス]]の改革を待たなければならなかった。
'''国民党'''(こくみんとう、{{lang-es-short|Partido Nacional}})は、[[ウルグアイ]]の政党であり、[[2004年]]の選挙で[[拡大戦線 (ウルグアイ)|拡大戦線]]が勝利するまでは伝統的なウルグアイの[[二大政党制]]の一角を保ってきた。ブランコ党(Partido Blanco))と呼ばれることが多く、ブランコは白を意味する。[[保守]]主義者の党であり、農村の地主などを支持層にして成立した。19世紀においては{{仮リンク|バルトロメ・ミトレ|es|Bartolomé Mitre|en|Bartolomé Mitre}}が台頭するまで親[[アルゼンチン]]派だった。[[コロラド党 (ウルグアイ)|コロラド党]]としばしば[[内戦]]を繰り返し、[[ソラノ・ロペス]]と共に[[三国同盟戦争]]のきっかけを作った党でもある。このような政治対立が内戦に発展するのが解消するには[[ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス]]の改革を待たなければならなかった。


==歴史==
== 歴史 ==
19世紀半ばから20世紀を通してウルグアイの野党であり、1958年の選挙でコロラド党に勝つまでの1865年から1959年までがコロラド党政権だった。軍事政権の終焉以降は、[[ルイス・アルベルト・ラカージェ]]大統領(任期1990年-1995年)のもと政権に返り咲いた。
19世紀半ばから20世紀を通してウルグアイの野党であり、1958年の選挙でコロラド党に勝つまでの1865年から1959年までがコロラド党政権だった。軍事政権の終焉以降は、[[ルイス・アルベルト・ラカージェ]]大統領(任期1990年 - 1995年)のもと政権に返り咲いた。


==関連項目==
== 関連項目 ==
*[[コロラド党 (ウルグアイ) ]]
*[[コロラド党 (ウルグアイ) ]]



{{ウルグアイの政党}}
{{ウルグアイの政党}}
{{Poli-stub}}
{{UY-stub}}


{{DEFAULTSORT:こくみんとう}}
[[Category:ウルグアイの政党]]
[[Category:ウルグアイの政党]]
[[Category:ウルグアイ内戦]]
{{DEFAULTSORT:こくみんとう}}
{{Poli-stub}}
{{UY-stub}}

2018年11月25日 (日) 08:46時点における版

ウルグアイの旗 ウルグアイ政党
国民党
Partido Nacional
党旗
党首 ルイス・アルベルト・ラカージェ・デ・エレーラ
成立年月日 1836年8月10日
本部所在地 ウルグアイの旗 ウルグアイモンテビデオ
政治的思想・立場 保守主義
国際組織 米州キリスト教民主主義機構
(オブザーバー)ラテンアメリカ・カリブ政党常設会議
公式サイト partidonacional.org.uy/portal/
テンプレートを表示

国民党(こくみんとう、西: Partido Nacional)は、ウルグアイの政党であり、2004年の選挙で拡大戦線が勝利するまでは伝統的なウルグアイの二大政党制の一角を保ってきた。ブランコ党(Partido Blanco))と呼ばれることが多く、ブランコは白を意味する。保守主義者の党であり、農村の地主などを支持層にして成立した。19世紀においてはバルトロメ・ミトレスペイン語版英語版が台頭するまで親アルゼンチン派だった。コロラド党としばしば内戦を繰り返し、ソラノ・ロペスと共に三国同盟戦争のきっかけを作った党でもある。このような政治対立が内戦に発展するのが解消するにはホセ・バッジェ・イ・オルドーニェスの改革を待たなければならなかった。

歴史

19世紀半ばから20世紀を通してウルグアイの野党であり、1958年の選挙でコロラド党に勝つまでの1865年から1959年までがコロラド党政権だった。軍事政権の終焉以降は、ルイス・アルベルト・ラカージェ大統領(任期1990年 - 1995年)のもと政権に返り咲いた。

関連項目