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'''アヴロ''' ('''Avro''') は[[イギリス]]の[[航空機]]メーカーA.V.ロー・アンド・カンパニー (''A.V.Roe and Company'') の通称。[[第二次世界大戦]]において活躍した爆撃機[[アブロ ランカスター]]のメーカーとして知られる。
'''アヴロ''' ('''Avro''') は[[イギリス]]の[[航空機]]メーカーA.V.ロー・アンド・カンパニー (''A.V.Roe and Company'') の通称。[[第二次世界大戦]]において活躍した爆撃機[[アブロ ランカスター|ランカスター]]のメーカーとして知られる。
これより「アヴロ」と記した場合、この企業を指す。
[[Image:Lancaster MkX Canadian Warplane Heritage Museum 2.jpg|thumb|300px|Canadian Warplane Heritage Museumで展示されているアブロ ランカスター Mk. X]]
[[Image:Lancaster MkX Canadian Warplane Heritage Museum 2.jpg|thumb|300px|Canadian Warplane Heritage Museumで展示されているランカスター Mk. X]]


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2018年9月11日 (火) 22:12時点における版

アヴロ (Avro) はイギリス航空機メーカー、A.V.ロー・アンド・カンパニー (A.V.Roe and Company) の通称。第二次世界大戦において活躍した爆撃機ランカスターのメーカーとして知られる。 これより「アヴロ」と記した場合、この企業を指す。

Canadian Warplane Heritage Museumで展示されているランカスター Mk. X

歴史

創設

アヴロは世界初となる航空機の会社でマンチェスターブラウンズフィールド・ミルズイングランドアリオット・ヴァードン・ロー (Alliott Verdon Roe) と彼の弟であるH・V・ローらによって1910年1月1日に創設。A・V・ローはサリーのウェイブリッジとハンプシャーのブルックランドのパイロットとして、すでに名を知られていた。

1912年、同社は木製複葉機のアヴロ504を開発した。翌年には初飛行を果たし、第一次世界大戦では敵味方双方に使われる航空機となった。いくつかのハンブル工場、マイルス工場、ニュートン・ヒース工場などで合計8,340機が生産され、20年間も使用された。これは、この頃のエンジンを使用する航空機としては相当な偉業であった。

第一次世界大戦後

1920年代にアブロはマンチェスターアレクサンドラパークからチェシャーニューホールファームに移転し、この工場は現在もBAEシステムズが使用している。1928年には A・V・ローがソーンダース・ロー社を設立し、前衛的な設計のジェット戦闘機や後にはホバークラフトも製作した。

第二次世界大戦中

アブロは演習機の設計技術を維持する目的で複葉機アブロ チューターを製造し、イギリス空軍が多数採用することとなった。その後アブロ アンソンが製造されたが、ヨーロッパで戦争の機運が高まると再び実戦に投入する機体の開発に重点がおかれた。第二次世界大戦中に製造された機体としてはアブロ マンチェスターアブロ ランカスター、及びアブロ リンカーンが有名である。特にランカスターは7000機以上が製造され、その能力を買われてチャスタイズ作戦にも投入された。

冷戦期

ランカスターは傑作機であり、旅客機アブロ ランカストリアン哨戒機アブロ シャクルトンはランカスターから派生している。その後ランカストリアンの後継としてアブロ チューダーが開発された。同機はアブロ リンカーンの主翼とエンジンを流用し、1945年7月に初飛行が行なわれたがBOAC のキャンセルもあってわずか34機しか製造されず、他の旅客機との激しい競合もあって成功したとはいえなかった。結果旧式のアブロ ヨークが軍用・民用でより広く用いられた。ベルリン空輸作戦(ベルリン封鎖)でチューダー及びヨークは大役を担った。

爆弾倉を開いたバルカン

冷戦期に有名な航空機にアブロ バルカンがある。バルカン爆撃機はイギリスの核抑止戦略の一環として核ミサイルブルースチール Mk.Iを搭載しアラート任務についていた。アラート任務は比較的短期間で終了したが、1982年にはフォークランド紛争で通常爆撃任務に出動している。

1950年代にはロールス・ロイスダートエンジンを搭載した双発ターボプロップ旅客機 アブロ 748が開発され、世界中で広く販売された。民間以外にも王室用飛行隊(現イギリス空軍第32王室飛行隊)が数機を購入し、後部貨物室ドア及び伸縮式降着装置が追加された型がアンドーバーとしてイギリス空軍イギリス連邦各国で採用された。

同じく1950年代にはアブロ・カナダによって北米初のジェット旅客機アブロ C-102 ジェットライナーカナダが自主開発した唯一のジェット戦闘機 CF-100 カナック及び超音速戦闘機 CF-105 アローが製造された。アローは高性能の迎撃戦闘機として開発が進められていたが、開発費が高騰したことと地対空ミサイルによる防空へと戦術が転換したため、量産体制へ移行しないままカナダ政府により計画の破棄が命じられた。これによりアブロ・カナダは打撃を受けて終焉に向かうこととなる。

航空機メーカーの統合

アブロは1963年7月にホーカー・シドレー・アビエーションと合併し社名は消滅しかけたが、長年のブランドイメージが大きかったため(これもまたホーカーが合併して発足したBAe製の)BAe 146が "アブロ RJ" として2001年まで販売された。この機は "アブロ 146" や "ジャンボリノ" の愛称も持つ。

アブロ 748 から発展したのが BAe ATP であり、イギリス内外で主に国内短距離定期路線で運用されている。1988年にはイギリス空軍で39年という最長の運用期間を誇ったアブロ シャクルトンが退役してイングリッシュ・エレクトリック キャンベラに洋上哨戒任務が引き継がれた。

イギリス航空業界への功績の記念として、数機のアブロ 504アブロ チューターアブロ アンソン及びアブロ ランカスターが現在も飛行可能な状態に整備され続けている。さらにバルカンの雄姿を再び見たいとのイギリス国民の願いから、寄付を集めて大掛かりな改修を受けたバルカン XH558 号機が2007年10月18日に再飛行し、その後も航空ショーに出演している。

製品一覧

アンソン(2005年撮影)
シャクルトン(1970年撮影)
CF100(2006年撮影)

航空機

関連項目