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[[ファイル:Wakan Sansai Zue - Fusuma.jpg|right|thumb|160px|『[[和漢三才図会]]』による衾の画]]
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'''衾'''(ふすま)は[[平安時代]]などに用いられた古典的な[[寝具]]の一種。長方形の一枚の布地で現在の[[布団|掛け布団]]のように就寝時に体にかけて用いるため、後世の掛け布団も衾と呼ぶことがある。なお[[大嘗祭]]の際に悠紀殿と主基殿の中にも衾が設えられるが、この起源を日本書紀の[[天孫降臨]]の際に[[タカミムスビ|高皇産霊]]が[[ニニギ|瓊瓊杵尊]]に「真床覆衾」をせて、天八重雲を排分けて、天下し奉ったことに由来するという説がある。<ref>「[[日本書紀]]」、巻第二、神代下、第九段</ref>
'''衾'''(ふすま)は[[平安時代]]などに用いられた古典的な[[寝具]]の一種。長方形の一枚の布地で現在の[[布団|掛け布団]]のように就寝時に体にかけて用いるため、後世の掛け布団も衾と呼ぶことがある。なお[[大嘗祭]]の際に悠紀殿と主基殿の中にも衾が設えられるが、この起源を日本書紀の[[天孫降臨]]の際に本文では[[タカミムスビ|高皇産霊]]が[[ニニギ|瓊瓊杵尊]]を「真床追衾」を以て覆い、天磐座を放ち天八重雲を排分けて降臨させたとあり、一書では高皇産霊尊が瓊瓊杵尊に「真床覆衾」をせて、天八重雲を排分けて、天下し奉ったことに由来するという説がある。<ref>「[[日本書紀]]」、巻第二、神代下、第九段</ref>


==注釈==
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2018年5月14日 (月) 04:47時点における版

和漢三才図会』による衾の画

(ふすま)は平安時代などに用いられた古典的な寝具の一種。長方形の一枚の布地で現在の掛け布団のように就寝時に体にかけて用いるため、後世の掛け布団も衾と呼ぶことがある。なお大嘗祭の際に悠紀殿と主基殿の中にも衾が設えられるが、この起源を日本書紀の天孫降臨の際に本文では高皇産霊尊瓊瓊杵尊を「真床追衾」を以て覆い、天磐座を放ち天八重雲を排分けて降臨させたとあり、一書では高皇産霊尊が瓊瓊杵尊に「真床覆衾」を着せて、天八重雲を排分けて、天下し奉ったことに由来するという説がある。[1]

注釈

  1. ^ 日本書紀」、巻第二、神代下、第九段

関連項目