「ウィーン」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
m ((GR) File renamed: File:ULF.jpgFile:Rathausplatz, Vienna, Tram line J, tram type ULF A, July 2003.jpg Replace meaningless TLA (three-letter acronym) with description of image.)
=== 永世中立国の首都として ===
[[ファイル:Uno_City_Kaiserwasser.jpg|thumb|ウィーン国際センター(国連諸機関の入るオフィスビル)]]
1945年、第二次世界大戦でナチスは崩壊し、[[ウィーン攻勢]]で[[ソビエト連邦]]軍に占領され、その後[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の合意で[[連合軍軍政期 (オーストリア)|米英仏ソ四か国の共同占領下]]に置かれた。1949年の映画『[[第三の男]]』はこの時代のウィーンの雰囲気をよく伝えている。1955年、[[オーストリア国家条約]]の締結よりオーストリアは主権国家として独立を回復した。旧[[ハプスブルク君主国|ハプスブルク帝国]]の継承国家のほとんどが共産圏に組み込まれる中で、オーストリアでは共産党は国民の支持を得られず、経済的には西側との関係を保ったまま[[永世中立国]]として歩むことになった。[[ブルーノ・クライスキー]]首相は{{仮リンク|ウィーン国際センター|en|Vienna International Centre}}の建設を提案し、ウィーンを[[ニューヨーク]]、[[ジュネーヴ]]に次ぐ第3の[[国連都市]]にすることに成功した。ウィーンは[[国際連合ウィーン事務局]]として数々の国際機関の所在地となった。しかし[[鉄のカーテン]]により、かつての後背地であった東欧を失ったウィーンの人口は、ゆるやかに減少を続けた。人口100万人以上の大都市のうち、20世紀を通し、人口が減少したのはウィーンだけである。
 
=== 現代のウィーン ===
1,572

回編集

案内メニュー