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大学2年の時、[[1999年]]12月に同じ柔道選手の父を病気で亡くしている。最初は[[ソフトボール]]の選手だったが、小6の時にアニメの[[YAWARA!]]に影響されて柔道を始めた<ref name="近代柔道"/>。[[高砂市立鹿島中学校|鹿島中学]]3年時に[[全国中学校柔道大会]]56kg級で3位となった。[[三田松聖高等学校|湊川女子高校]]に入学後は1年の時に[[全国高等学校柔道選手権大会|全国高校選手権]]の61kg級決勝で[[福岡工業大学附属城東高等学校|福岡工大付属高校]]2年の[[日下部基栄]]に注意で敗れ、2位だった。2年の時には[[金鷲旗全国高等学校柔道大会|金鷲旗]]で同級生の[[古賀幸恵]]とともに活躍して決勝まで進んで福岡工大付属高校と対戦するが、日下部に[[払腰]]で敗れるなどして2位に終わった。[[全国高等学校総合体育大会柔道競技大会|インターハイ]]の決勝でも[[土浦日本大学高等学校|土浦日大高校]]と対戦すると、[[アトランタオリンピック]]66kg級代表の[[一見理沙]]に[[大内刈]]で敗れて2位にとどまった。全国高校選手権の決勝では[[常磐高等学校|常磐高校]]2年の吉澤穂波を豪快な[[内股]]で破って優勝を飾った。3年の時にはフランスジュニア国際で優勝するが、金鷲旗決勝では[[柳川高等学校|柳川高校]]に敗れた。インターハイでも3位だった<ref name="近代柔道"/>。 |
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[[筑波大学]]に入学すると、1年の時には[[全日本柔道選手権大会]]の準々決勝で2階級上の78kg級の世界チャンピオンでもある[[阿武教子]]と対戦して背負投で一本勝ちを収め、3位に入って一躍注目されるようになった<ref name="近代柔道"/>。また、[[全日本ジュニア柔道体重別選手権大会|全日本ジュニア]]と[[1998年世界ジュニア柔道選手権大会|世界ジュニア]]では優勝を飾った<ref name="近代柔道"/><ref>「1998年世界ジュニア柔道選手権大会」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1998年12月号</ref>。さらに大学2年の時には[[世界柔道選手権大会|世界選手権]]の63kg級で背負投を次々ときめてオール一本勝ちでの優勝を果たして、19歳にして世界チャンピオンになった。この時はマスコミから前田のことを[[女三四郎]]と形容されることになった<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin2/53.shtml 金メダルの重み - 新兵庫人 輝く]</ref>。しかしながら、大学3年の時に出場した[[シドニーオリンピック]]では初戦であっけなく敗れた<ref name="Biography"/>。 |
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その後、高校時代の同級生だった[[埼玉大学]]の古賀とともに[[ミキハウス]]に入社するが、大学の2年後輩である[[谷本歩実]]や[[三井住友海上火災保険|三井住友海上]]の[[上野順恵]]の台頭により、以前のような活躍をすることはなかった。2005年には元ジュニア強化指定選手の手島信孝と結婚して手島姓となった。翌年に地元兵庫で開催された[[国民体育大会柔道競技|国体]]成年女子の部で2位になったのを以って、現役を引退した<ref>「第61回国民体育大会柔道競技」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2006年11月号</ref>。 |
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==主な戦績== |
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2018年3月3日 (土) 07:44時点における版
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
世界柔道選手権 | ||
金 | 1999 バーミンガム | 63kg級 |
アジア柔道選手権 | ||
銅 | 2000 大阪 | 63kg級 |
前田 桂子(まえだ けいこ、1980年3月25日 - )は、兵庫県出身の元オリンピック柔道選手。身長161cm。得意技は背負投[1][2][3]。
人物
大学2年の時、1999年12月に同じ柔道選手の父を病気で亡くしている。最初はソフトボールの選手だったが、小6の時にアニメのYAWARA!に影響されて柔道を始めた[1]。鹿島中学3年時に全国中学校柔道大会56kg級で3位となった。湊川女子高校に入学後は1年の時に全国高校選手権の61kg級決勝で福岡工大付属高校2年の日下部基栄に注意で敗れ、2位だった。2年の時には金鷲旗で同級生の古賀幸恵とともに活躍して決勝まで進んで福岡工大付属高校と対戦するが、日下部に払腰で敗れるなどして2位に終わった。インターハイの決勝でも土浦日大高校と対戦すると、アトランタオリンピック66kg級代表の一見理沙に大内刈で敗れて2位にとどまった。全国高校選手権の決勝では常磐高校2年の吉澤穂波を豪快な内股で破って優勝を飾った。3年の時にはフランスジュニア国際で優勝するが、金鷲旗決勝では柳川高校に敗れた。インターハイでも3位だった[1]。
筑波大学に入学すると、1年の時には全日本柔道選手権大会の準々決勝で2階級上の78kg級の世界チャンピオンでもある阿武教子と対戦して背負投で一本勝ちを収め、3位に入って一躍注目されるようになった[1]。また、全日本ジュニアと世界ジュニアでは優勝を飾った[1][4]。さらに大学2年の時には世界選手権の63kg級で背負投を次々ときめてオール一本勝ちでの優勝を果たして、19歳にして世界チャンピオンになった。この時はマスコミから前田のことを女三四郎と形容されることになった[5]。しかしながら、大学3年の時に出場したシドニーオリンピックでは初戦であっけなく敗れた[3]。
その後、高校時代の同級生だった埼玉大学の古賀とともにミキハウスに入社するが、大学の2年後輩である谷本歩実や三井住友海上の上野順恵の台頭により、以前のような活躍をすることはなかった。2005年には元ジュニア強化指定選手の手島信孝と結婚して手島姓となった。翌年に地元兵庫で開催された国体成年女子の部で2位になったのを以って、現役を引退した[6]。
主な戦績
- 1994年 - 全国中学校柔道大会 3位(56kg級)
- 1996年 - 全国高校選手権 2位(61kg級)
- 1996年 - 金鷲旗 2位
- 1996年 - インターハイ 2位
- 1997年 - 全国高校選手権 優勝(61kg級)
- 1997年 - フランスジュニア国際 優勝(61kg級)
- 1997年 - 金鷲旗 2位
- 1997年 - インターハイ 3位
63kgでの戦績
- 1998年 - 全日本柔道選手権大会 3位
- 1998年 - ドイツジュニア国際 優勝
- 1998年 - 全日本ジュニア 優勝
- 1998年 - 世界ジュニア 優勝
- 1999年 - 全日本柔道選手権大会 3位
- 1999年1月 - 福岡国際 3位
- 1999年 - ドイツ国際 2位
- 1999年 - 選抜体重別 優勝
- 1999年 - 世界選手権 優勝
- 1999年12月 - 福岡国際 3位
- 2000年 - ドイツ国際 3位
- 2000年 - 選抜体重別 優勝
- 2000年 - アジア柔道選手権大会 3位
- 2001年 - 全国女子体重別 2位
- 2003年 - 選抜体重別 3位
- 2003年 - 韓国国際 優勝
- 2004年 - オーストリア国際 2位
- 2004年 - 講道館杯 3位
- 2005年 - オーストリア国際 2位
- 2005年 - 環太平洋柔道選手権大会 優勝
- 2006年 - 国体 成年女子の部 2位
脚注
- ^ a b c d e 「ZOOM IN 素顔 前田桂子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1998年12月号、59-61頁
- ^ 「平成14年度男女強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2003年2月号
- ^ a b Biography and Olympic Results
- ^ 「1998年世界ジュニア柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1998年12月号
- ^ 金メダルの重み - 新兵庫人 輝く
- ^ 「第61回国民体育大会柔道競技」近代柔道 ベースボールマガジン社、2006年11月号
外部リンク
- 親子の絆・子どもの笑顔が日本を救う(2014年10月17日)
- 前田桂子 - JudoInside.com のプロフィール(英語)