「終末論」の版間の差分

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[[弥勒菩薩|弥勒]]信仰に見られる下生信仰も、末法思想の一種である。[[中国]]では、[[北魏]]の[[大乗の乱]]が、この信仰によるものとされているし、[[清]]代の[[白蓮教徒の乱]]に代表される、相次いで勃発した[[白蓮教]]信徒による反乱も、この信仰に基づいている。
 
この他[[転輪王経]]のように終末を描いた経典も存在する。
ただし、[[仏教]]では、[[原始仏教]]・初期[[大乗仏教]]を含めて、本来<!--大乗仏教では空論の展開から「不増不減、無始無終」を説き、-->この世の始まりや終わりを説いていない([[釈尊]]は時間に終わりがあるか、ないかという問いに対し、意味のない議論([[戯論]])であるとして「答えない」([[無記]])という態度をとっている)。さらに大乗経典の中でも、[[涅槃経]]などでは末法の世における救いを力説し、悲観的な見方を根本的に否定している。平安以降に広がった[[地蔵菩薩|地蔵]]信仰では、地蔵菩薩が釈尊入滅から弥勒菩薩が現れる間(末法)六道全ての衆生を救う役割を担うとされる。したがって、これらから仏教における末法思想は、この世の終わりを意味するような終末的思想とは異なることが理解できる。
 
ただし、[[仏教]]では、[[原始仏教]]・初期[[大乗仏教]]を含めて、本来<!--大乗仏教では空論の展開から「不増不減、無始無終」を説き、-->この世の始まりや終わりを説いていない([[釈尊]]は時間に終わりがあるか、ないかという問いに対し、意味のない議論([[戯論]])であるとして「答えない」([[無記]])という態度をとっている)。さらに大乗経典の中でも、[[涅槃経]]などでは末法の世における救いを力説し、悲観的な見方を根本的に否定している。平安以降に広がった[[地蔵菩薩|地蔵]]信仰では、地蔵菩薩が釈尊入滅から弥勒菩薩が現れる間(末法)六道全ての衆生を救う役割を担うとされる。したがって、これらから仏教における末法思想は、この世の終わりを意味するような終末的思想とは異なることが理解できる。
[[転輪王経]]のように終末を描いた経典も存在する。
 
== ヒンドゥー教 ==
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