「アグリッパ・メネニウス・ラナトゥス (紀元前503年の執政官)」の版間の差分
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2017年10月21日 (土) 07:08時点における版
アグリッパ・メネニウス・ラナトゥス(Agrippa Menenius Lanatus、紀元前493年没)またはメネニウス・アグリッパは共和政ローマの紀元前503年の執政官(コンスル)である。同僚執政官はプブリウス・ポストゥミウス・トゥベルトゥスであった。執政官在任中にサビニ族との戦闘に勝利しており、紀元前503年4月4日に凱旋式を実施したことが、凱旋式記録碑に記されている。前日にはトゥベルトゥスも小凱旋式を実施している。歴史家ティトゥス・リウィウス(紀元前59年頃 - 17年)によれば、両執政官ともにラティウム戦争のポメティアの戦い(en)にも勝利したとする[1][2][3]。
リウィウスの著作は500年も後に書かれたものではあるが、メネニウスは紀元前494年の第一次プレブス(平民)の分離運動(モンテ・サクロに立て篭もり、平民だけで国を作ると宣言した)の際に、パトリキ(貴族)の代表に選ばれて、プレブスたちのもとに足を運び、有名な弁解を交えた説得を行なった。即ち、社会を人体に喩え、それぞれの部分が全体の利益のために担うべき役割がある。体の他の部分は、胃が「ただ乗り」していると考え、体は胃に栄養を止めることにしたが、すぐに体の他の部分は飢餓状態となり機能しなくなってしまった。そこで初めて胃が重要な働きをしており、それ無しでは何も出来ないと気付いた。この寓話では、パトリキが胃であり、プレブスは体の他の部分に例えられている。その後、パトリキとプレブスは和解し、護民官の制度が作られた[4]。
聖パウロもこの寓話を知っていたようで(リウィウスを通じてかは分からないが)、彼のコリントの信徒への手紙一の中の説話でこの話を使っている。しかし、このたとえ話はリウィウスの時代でも新しいものではなく、クセノポン(紀元前427年?-紀元前355年?)の『ソクラテスの思い出』(2.iii.18)やキケロの『義務について』(III.v.22)にも似た話がある。
メネニウスがパトリキであったのかプレブスであったのかは謎である。リウィウスは「彼は雄弁な男であり、生まれつきプレブスであるかのように彼らを愛した」と書いている。他方で、彼は元老院の代表としてプレブスの説得に赴き、さらには執政官を務めていた。当時の執政官はパトリキだけが就任できると考えられている。初期のローマの歴史に関しては、(現在では失われてしまった)原資料が公平に吟味されていないことも多く、その著者が元老院議員であったか一般市民であったかでバイアスがあり、不明な点も多い。現代の学者の中には、ローマ初期にあったとされるパトリキとプレブスの紛争が事実かどうかを疑うものもいる[5]。
メネニウスは紀元前493年に死去した。リウィウスは彼が元老院からもプレブスからも愛された(特に説得成功後には)としている。彼の残した資産では葬儀を行うに十分ではなかっため、市民達は争議費用を奉納の形で負担した[4]。
メネニウスには息子が一人あり(アグリッパ・メネニウス・ラナトゥス)、紀元前439年には執政官になっている[6]。
メネニウスはまたシェークスピアの『コリオレイナス』の登場人物の一人である。
参考資料
- ^ ティトゥス・リウィウス, 『ローマ建国史』II. 16, 32, 33.
- ^ ウィリアム・スミス、『Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology』
- ^ 凱旋式のファスティ
- ^ a b リウィウス、2.33
- ^ Survey by A. Drummond, "Rome in the fifth century II," ch. 5, The Cambridge Ancient History, Vol. 7.2, The Rise of Rome.
- ^ Walbank, F. W., A. E. Astin, M. W. Frederiksen, and R. M. Ogilvie. The Cambridge Ancient History, Cambridge University Press 1990. ISBN 0-521-23446-8.
関連項目
先代 プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ、 ティトゥス・ルクレティウス・トリキピティヌス |
共和政ローマ執政官 同僚:プブリウス・ポストゥミウス・トゥベルトゥス 紀元前503年 |
次代 オピテル・ウェルギニウス・トリコストゥス、 スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌス |