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「趙雲」の版間の差分

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[[File:Zhaoyunfightsatchangban.jpg|400px|thumb|趙雲--長坂の戦い]]
'''趙 雲'''(ちょう うん、{{ピン音|Zhào Yún}}、? - [[229年]])は、[[中国]][[後漢]]末期から[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[蜀漢]]にかけての将軍。[[字]]は'''子龍'''(しりゅう)。[[冀州]][[常山郡]][[真定]]県(現在の[[河北省]][[石家荘市]][[正定県]])の人。[[封号]]は'''永昌亭侯'''。[[諡]]は'''順平侯'''。子は[[趙統]]・[[趙広]]。父と兄の名は不詳。
 
== 生涯 ==
本来は[[公孫サン|公孫瓚]]の部下であったが、[[青州]]で[[袁紹]]と戦っていた[[田楷]]の援軍として公孫瓚が[[劉備]]を派遣した際、趙雲も随行して劉備の主騎となった。
== 生涯 ==
 
[[建安 (漢)|建安]]13年([[208年]])、[[荊州]]の当陽県長坂で[[曹操]]率いる5000の兵に追いつかれた劉備は、妻子を捨てて逃走した。この時、趙雲が[[劉禅]]を身に抱え、更に[[甘夫人]]を保護したので、二人は危機を免れることができたが、劉備の娘二人は[[曹純]]に捕獲された([[長坂の戦い]])。この戦いの後、牙門将軍に昇進した。
 
以上が『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』の記述である。
 
[[File:Zhao Yun statue 2016 Zilong Square (Zhengding) 1.jpg|thumb|[[正定県]]にある趙雲像]]
以下は『趙雲別伝』(現在は散逸)の記述となる。
 
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