「田中マルクス闘莉王」の版間の差分

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クラブでの活躍が認められ、2003年10月に日本国籍を取得するとすぐに[[山本昌邦]]監督率いるU-23日本代表に選出された<ref name="超攻撃的ディフェンダー140">[[#矢内 2009|矢内 2009]]、140頁</ref>。2004年3月3日のアテネオリンピックアジア地区最終予選のアウェーでのレバノン戦では4-0のスコアで勝利し{{#tag:ref|この試合では相手選手との接触により肩から落下して左肩を脱臼する怪我をしたが、左腕を自分で肩に押し込んでプレーを続行した<ref name="超攻撃的ディフェンダー146-148">[[#矢内 2009|矢内 2009]]、146-148頁</ref>。チームメイト達はその迫力に感化されたと言われている<ref name="超攻撃的ディフェンダー146-148"/>。|group=注}}、続く3月5日のアウェーでのUAE戦も2-0のスコアで勝利した<ref name="超攻撃的ディフェンダー146-148"/>。しかし3月14日のバーレーン戦で左太腿裏肉離れを発症して途中交代となり、その後に日本はセットプレーから失点して敗れた<ref name="超攻撃的ディフェンダー146-148"/>。全治3 - 4週間と診断されたが本人の願いにより松葉杖をついて残り2試合に同行した<ref name="超攻撃的ディフェンダー146-148"/>。本大会のメンバーにも選出され{{#tag:ref|予選を共に戦ってきた仲間である[[鈴木啓太]]や[[山瀬功治]]らの落選にショックを受け、闘莉王は鈴木のユニフォームを、[[田中達也]]は山瀬のユニフォームを共に着用して記者会見に臨み、「アテネでは、一緒にやってきた全員の思いを背負ってやろうと思う」と仲間達への思いを述べた<ref name="超攻撃的ディフェンダー149-150">[[#矢内 2009|矢内 2009]]、149-150頁</ref>。|group=注}}、アテネオリンピックには3試合すべてに出場した<ref name="超攻撃的ディフェンダー152-153">[[#矢内 2009|矢内 2009]]、152-153頁</ref>。
 
==== Aフル代表 ====
[[ジーコ]]監督には一度も招集されず、2006FIFAワールドカップには出場することができなかった。
 
本大会直前に行われた強化試合である2010年5月30日の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦では前半に得点を決めたものの、後半にはクリアミスによるオウンゴールを献上した<ref>[http://mainichi.jp/enta/sports/soccer/10fwc/archive/news/2010/05/20100531k0000m050100000c.html 闘莉王一撃、日本に光明 イングランド戦]{{リンク切れ|date=2015年11月}} - [[朝日新聞|asahi.com]]、2010年5月31日、2010年6月7日閲覧。</ref>。さらに6月4日に行われた[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦では2戦連続となるオウンゴールを献上。直後のプレーで[[ディディエ・ドログバ]]と交錯、ドログバは右腕を[[骨折]]した<ref name="arm">{{en icon}}{{cite web |url=http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/sport2/hi/football/world_cup_2010/8722701.stm |title=World cup 2010: Drogba plays with cast on his arm |publisher=[[英国放送協会|BBC]] |date=2010-06-15 |accessdate=2011-08-10}}</ref>。コートジボワール代表の[[スヴェン・ゴラン・エリクソン|エリクソン]]監督はこの件を全く非難せずに、「不運だったのです。あれは悪いプレーではなかったし、愚かなプレーでもなかった。故意ではなかった。」と擁護した<ref name="arm"/>。その後のドログバの右腕の回復は良好で、本大会に間に合わせることができた<ref name="arm"/>。なお闘莉王は本大会後に、著書の中でエリクソン監督へ深い感謝を述べた<ref name="大和魂140-141">[[#闘莉王 2010.12|闘莉王 2010.12]]、140-141頁</ref>。故意ではなかったものの、ドログバには日本サッカー協会を通して謝罪文を送付し、誠意を尽くした<ref>朝日新聞 2010年6月14日付夕刊、1頁</ref>。
 
[[2010 FIFAワールドカップ]]本大会では、守備の大黒柱として全4試合にフルタイムで先発出場し、自国開催以外で初となる日本代表の決勝ノックアウステナメント進出に大きく貢献した。冷静な読みとカバーリング、空中戦でゴールにカギをかけた<ref name="南アフリカW杯">「2010南アフリカワールドカップ決算号」(ベースボールマガジン社)p56、[[JANコード]] 4910238880809</ref>。攻撃面でも精度の高いフィードを繰り出してカウンターの起点となり、チームが不調の時期にも熱い言葉をかけ続けてチームを鼓舞した<ref name="南アフリカW杯"/>。これらの活躍により、本大会直前に挙がっていた周囲からの不満の声をも消し去った<ref>{{cite web |url=http://soccernet.espn.go.com/world-cup/story/_/id/802891/ce/uk/?cc=4716&ver=grobal |title=Japan defender Tulio fit for Paraguay |publisher=[[ESPN]] |date=2010-06-28 |accessdate=2011-07-13|deadlinkdate=2015-11-18}}</ref>。日本史上最高のセンターバックとして名をとどろかせた闘莉王と[[中澤佑二|中澤]]のコンビは、[[アーセン・ベンゲル]]から「日本代表の最高の武器だった」と絶賛された<ref>{{cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/2010worldcup/japan/news/20100701-OHT1T00007.htm |title=中沢&闘莉王“史上最強の壁”ベンゲル氏絶賛「最高の武器」 |date=2010-07-01 |publisher=[[スポーツ報知]] |accessdate=2011-06-29|deadlinkdate=2015-11-18}}</ref>。
 
[[アルベルト・ザッケローニ]]監督の指揮するAFCアジアカップ2011のメンバーには、怪我のために<ref>{{en icon}}{{cite web |url=http://www.fifa.com/worldfootball/news/newsid=1346922.html |title=Injured Tulio left out of Japan’s Asian Cup squad |publisher=FIFA公式サイト |date=2010-12-06 |accessdate=2011-06-27}}</ref> 予備登録メンバーからも外れた<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20110824-824482.html 闘莉王W杯予選予備登録 代表復帰へ前進] nikkansports.com、2011年8月24日</ref>。2011年3月29日に行われた慈善試合「[[東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!]]」では、Jリーグ選抜チームとしてフル出場し、後半の82分には攻め上がって[[三浦知良]]のゴールをアシストした。試合後には、「サッカー選手としてじゃなく、一人の人間としてなにかの力になりたかった」「日本はまた、素晴らしい国になると思う」とコメントした<ref>「サッカーダイジェスト」日本スポーツ企画出版社、2011年4月19日号、[[JANコード]] 4910239930411 、p38-47</ref>。
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