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「三島事件」の版間の差分

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桜山神社→桜山神社 (熊本市)
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{{See also|三島由紀夫#自衛隊論}}
=== 昭和41年 ===
1965年(昭和40年)頃から自衛隊体験入隊希望を口にするようになっていた三島は、「[[昭和元禄]]」の真っ只中の[[1966年]](昭和41年)6月に短編『[[英霊の聲]]』を発表<ref name="hosa2">「第二章 三島由紀夫と青年群像」({{Harvnb|保阪|2001|pp=93-143}})</ref>。8月に長編『[[奔馬 (小説)|奔馬]]』の取材のために[[奈良県]]の[[大神神社]]を訪れ、その足で[[広島県]][[江田島市|江田島]]の[[海上自衛隊第一術科学校]]などを見学。教育参考館で[[特別攻撃隊|特攻隊員]]の遺書を読んだ<ref>「習字の伝承」(婦人生活 1968年1月号)。{{Harvnb|34巻|2003|pp=612-614}}</ref><ref name="s-nen6">「第六章」({{Harvnb|年表|1990|pp=161-218}})</ref>。その後[[熊本県]]に渡り[[神風連の乱|神風連]]のゆかりの地([[新開大神宮]]、[[桜山神社 (熊本市)|桜山神社]]など)を取材して10万円の[[日本刀]]を購入する<ref name="araki">{{Harvnb|荒木|1971}}。 [http://melma.com/backnumber_149567_3656468/ 西法太郎「三島由紀夫と神風連(壱)」(三島由紀夫の総合研究、2007年5月7日・通巻第143号)]</ref><ref name="uchi2">「第二章 学習院という湖」({{Harvnb|島内|2010|pp=57-92}})</ref><ref name="gai19"/>。
 
三島は秋頃から民兵組織の構想を練り始め<ref name="sokoku">「祖国防衛隊はなぜ必要か?」(祖国防衛隊パンフレット 1968年1月)。{{Harvnb|34巻|2003|pp=626-643}}</ref>、10月頃から[[防衛庁]]へ自衛隊体験入隊希望を打診したが断られ、橋渡しを[[毎日新聞社]]常務の[[狩野近雄]]に依頼し、防衛庁事務次官・三輪良雄や元[[陸将]]・[[藤原岩市]]などと接触して口利きを求めた<ref name="mura41">「IV 行動者――『狂気』の翼」({{Harvnb|村松|1990|pp=421-442}})</ref><ref name="ando4"/>。