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ライブやTV出演などでカバーした曲には、[[ユーリズミックス]]の「スウィート・ドリーム」、[[ジャクソン5]]の「アイ・ウォント・ユー・バック」、[[ザ・ビュー (バンド)|ザ・ビュー]]の「セイム・ジーンズ」などがある。
ライブやTV出演などでカバーした曲には、[[ユーリズミックス]]の「スウィート・ドリーム」、[[ジャクソン5]]の「アイ・ウォント・ユー・バック」、[[ザ・ビュー (バンド)|ザ・ビュー]]の「セイム・ジーンズ」などがある。

== 日本との関わり ==
[[日本語]]に堪能で、インタビューでは[[J-POP]]に大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、[[椎名林檎]]、[[PUFFY|パフィー]]、[[菅野よう子]]、[[THE YELLOW MONKEY|イエローモンキー]]、[[三味線]]の[[吉田兄弟]]などの名を上げている<ref>[http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/mika/uicu1139.html/ UNIVERSAL INTERNATIONAL MIKA DISCOGRAPHY]</ref><ref>[http://www.j-wave.co.jp/original/tokiohot100/guest_past/past_20070715.htm/ J-WAVE WEBSITE Guest Room]</ref>。

2007年5月に初来日。7月には[[フジ・ロック・フェスティバル]]に出演し、その翌日に恵比寿の[[LIQUIDROOM]]でライブを行った。

[[大橋トリオ]]は自身の作品『FAKE BOOK III』の中で、ミーカの「Grace Kelly」をカバーしている。


== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==

2017年7月3日 (月) 16:54時点における版

Mika
基本情報
出生名 Michael Holbrook Penniman
生誕 (1983-08-18) 1983年8月18日(40歳)
出身地 レバノンの旗 レバノンベイルート
ジャンル ポップ・ロック
パワー・ポップ
ポップス
エレクトロニカ
Rock
職業 シンガーソングライター
担当楽器 キーボード
活動期間 2000年 - 現在
レーベル カサブランカアイランド
公式サイト Mikasounds.com

ミーカMika, 1983年8月18日 - )は、レバノン出身、現在ロンドン在住のシンガー・ソングライター音楽プロデューサーグラフィックデザイナー正式名マイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニア (Michael Holbrook Penniman, Jr.)[1][2][3] 。またミカ・ペンニマン (Mica Penniman のち Mika Penniman) としても知られる。

2007年にデビュー。裏声を多用する高音のボーカルを武器に、ウィットに富んだ純度の高いポップチューンが特徴。その音楽性は、しばしばフレディ・マーキュリーシザー・シスターズエルトン・ジョンらと比較される。そのスタイルからゲイではないかという憶測が生じ、本人はそれについての言及を避けてきたが、2009年9月に発売されたオランダのゲイ雑誌『ゲイ&ナイト』で「僕のことを定義づける言葉が必要なら、バイセクシュアルを使えばいい」と述べた[4][5]。2015年5月発表の「グッド・ガイズ」には"where have all the gay guys gone?"との歌詞がある。

正式名「マイケル」(Michael) の短縮形が「ミカ」(Mica または Mika) で、このいずれもが本名である。当初は Mica の方を使っていたが、それが「マイカ」と誤読されることがあまりにも多いことに閉口して、これを Mika と改めた[6]。デビュー当初日本でも「ミカ」と表記されるのが一般的だったが、日本語では同音の「美香」や「三佳」が女性の名を連想させるものであることから、やがてこれを「ミーカ」と改変して表記する媒体も現われ、しばらくはこの二つが混在していた。しかしアルバムが正式に日本でリリースされるのを機会に、以後の国内盤CDや音楽関係の印刷媒体においてはその名の表記を「ミーカ」に統一することが申し渡された。本項の記事名もこれに準拠している。

来歴

レバノンベイルートでアメリカ人の父とレバノン人の母のもと、5人兄弟の3番目として生まれる。姉がふたり、妹と弟がひとりずついる。

1歳の時に内乱が再燃し収拾不能な状態となったため、家族は国外退去を余儀なくされてパリへ移住した。さらに、9歳の頃、こんどは父親がクウェートアメリカ大使館に人質として監禁されると、一家はイギリスの庇護を受けるためにロンドンに移住する。そうした波乱に満ちた少年時代に、オペラ声楽の訓練を受けたのきっかけとして音楽に目覚める。初めての作曲は7歳の時のことで、『Angry』というピアノ曲を作曲をしているが、本人によればこれは「ひどい」曲だったという。

ロンドンではフランス人学校に入学するが、散々なイジメに遭い、難読症にも悩まされたため(現在も難読症である)、数ヶ月母親による家庭内教育を受けつつ、いくつかの学校を転々とした。この6~7ヶ月間の家庭学習期間に、ロシア人のソプラノ歌手に歌の指導を受け始めた。大学はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進学するが1日で退学し、名門音楽学校である王立音楽大学に入学した。それも中途退学すると、本格的なミュージシャンとして活動を始め、アルバムの制作にはいった。

音楽活動

デビュー前の活動としては、幼少時に行ったロイヤル・オペラハウスでのモーツァルト等クラシック曲のレコーディングから、航空会社ブリティッシュ・エアウェイズの機内曲、さらにチューインガムのCM曲製作まで多岐にわたっている。

かねてから学校の休暇中に渡米し、上記のような様々な音楽活動を行っていたが、2004年ごろから、主にマイアミニューヨークを拠点として欧米各地でライブ活動を行うようになり、カナダ人のグレッグ・ウェルズをプロデューサーに迎えてアルバムの製作に着手する。

2006年に初シングルの『リラックス(テイク・イット・イージー)』をネット上で発表すると一躍人気を集め、翌年の初めには、その年の有望新人としてBBC等で大きく取り上げられるようになった。その直後に発売された『グレース・ケリー』はイギリスのシングルチャート1位を獲得、同年2月に発売されたデビューアルバムの『ライフ・イン・カートゥン・モーション』は、イギリスをはじめヨーロッパ諸国のヒットチャートで1位を記録する大ヒットとなった。

2009年にはセカンド・アルバム『ザ・ボーイ・フー・ニュー・トゥー・マッチ』をリリース。同年、新木場での日本公演で宇多田ヒカルをゲストに招き「LET IT SNOW!」をドゥエット。2010年、映画『キック・アス』のサウンドトラックに、レディー・ガガのプロデューサーとして知られるレッドワンと共に「キック・アス(ウィー・アー・ヤング)」という新曲を提供した。

2011年4月、東日本大震災を受けて日本のファンに犠牲者への追悼と今後のサポートを表明するメッセージを公式サイトを通じて発表した。2012年、サードアルバム『ジ・オリジン・オブ・ラヴ』をリリース。

音楽性

好きな音楽のジャンルが極めて広い。よく知られているものとしてはベックビョークプリンスセルジュ・ゲンスブールファイルーズハリー・ニルソンなど。

5オクターブの音域と紹介されていることが多いが、本人の言によれば、3オクターブ半程度とのことである。

ライブやTV出演などでカバーした曲には、ユーリズミックスの「スウィート・ドリーム」、ジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」、ザ・ビューの「セイム・ジーンズ」などがある。

日本との関わり

日本語に堪能で、インタビューではJ-POPに大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、椎名林檎パフィー菅野よう子イエローモンキー三味線吉田兄弟などの名を上げている[7][8]

2007年5月に初来日。7月にはフジ・ロック・フェスティバルに出演し、その翌日に恵比寿のLIQUIDROOMでライブを行った。

大橋トリオは自身の作品『FAKE BOOK III』の中で、ミーカの「Grace Kelly」をカバーしている。

ディスコグラフィー

アルバム

  • Life In Cartoon Motion (2007) - メジャーデビューアルバム
  • The Boy Who Knew Too Much (2009)
  • The Origin Of Love (2012)
  • No Place In Heaven (2015)

シングル

  • Relax (Take It Easy) (2006)
  • Grace Kelly (2007)
  • Love Today (2007)
  • Lollipop - ダウンロードのみでのリリース(UK) (2007)
  • Big Girl (You Are Beautiful) (2007)
  • iTunes限定で、iTunesフェスティバルでのライブ音源を発表 (2007)。
  • We Are Golden (2009)

ミュージック・ビデオ、DVD等

  • Live In Cartoon Motion (2008)
  • Live In Paris (2009)

出典・補注

  1. ^ Pareles, Jon (2007年3月31日). “A rising British pop star revives a Mercurial style”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2007/03/31/arts/music/31mika.html 2007年6月22日閲覧。 
  2. ^ Mccaffrey, Julie; and Adam Luck (2007年1月29日). “Mika, Teenage prodigy of the Royal Opera”. The Daily Mirror. http://www.mirror.co.uk/archive/tm_method=full%26objectid=18545057%26siteid=89520-name_page.html 2007年6月22日閲覧。 
  3. ^ Cotton, Fearne; and Adam Luck (2009年9月28日). “Mika at Live Lounge”. Radio One. http://www.bbc.co.uk/radio1/livelounge/artist/090928_mika.shtml 2009年9月29日閲覧。 
  4. ^ http://www.gay.eu/article/16135/
  5. ^ http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-14195.html
  6. ^ (August 21, 2007). "Mika: 10 things you never knew about your favourite star", The Gold Coast Bulletin, p. 28。王立音楽大学のときに組んでいた日本人留学生の名の一部 Mika から着想したものだという。
  7. ^ UNIVERSAL INTERNATIONAL MIKA DISCOGRAPHY
  8. ^ J-WAVE WEBSITE Guest Room

外部リンク