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[[18世紀]]の著作家であるルイ=セバスチャン・メルシエは『パリの情景』のなかで、未舗装の泥道と下水設備がなく汚物にまみれた[[パリ]]と、そこに住む無神経なパリ市民を描写した。その後も19世紀前半に至るまで劣悪な都市環境への告発が続いた。その頃には[[統計]]によってパリの人口増加率や犯罪発生率、都市環境と死亡率の相関などが見えはじめ、人々はパリの絶望的な状況に気が付き始めた<ref name="kitayama">[[北山晴一]]『おしゃれの社会史』<朝日選書> 朝日新聞社 1991年 ISBN 4022595183 pp.13-35.</ref>。[[1832年]]の[[コレラ]]の大流行と、[[7月王政]]、[[フランス第二帝政|第二帝政]]と続いた政体の変化を契機に、パリの再開発は始まった。
[[18世紀]]の著作家であるルイ=セバスチャン・メルシエは『パリの情景』のなかで、未舗装の泥道と下水設備がなく汚物にまみれた[[パリ]]と、そこに住む無神経なパリ市民を描写した。その後も19世紀前半に至るまで劣悪な都市環境への告発が続いた。その頃には[[統計]]によってパリの人口増加率や犯罪発生率、都市環境と死亡率の相関などが見えはじめ、人々はパリの絶望的な状況に気が付き始めた<ref name="kitayama">[[北山晴一]]『おしゃれの社会史』<朝日選書> 朝日新聞社 1991年 ISBN 4022595183 pp.13-35.</ref>。[[1832年]]の[[コレラ]]の大流行と、[[7月王政]]、[[フランス第二帝政|第二帝政]]と続いた政体の変化を契機に、パリの再開発は始まった。


19世紀の[[産業革命]]の進展とともにイギリス各都市で[[工業]]の発展・拡大が続くなかで、初めて[[政治家|為政者]]たちにとって都市問題が大きな問題となって取り上げられるようになった。都市に集中する[[労働者]]たちは劣悪な[[生活環境]]のなかで[[健康]]おっぱいを害する者が多く、とくに頻発する[[伝染病]]による被害は大きかったために、[[社会保障|救貧費]]が財政負担増の大きな原因となった。そこで、生おっぱい活環境の根本的解決を目指す都市行政が進められることになり、さまざまな都市問題が認識されるようになったのである。
19世紀の[[産業革命]]の進展とともにイギリス各都市で[[工業]]の発展・拡大が続くなかで、初めて[[政治家|為政者]]たちにとって都市問題が大きな問題となって取り上げられるようになった。都市に集中する[[労働者]]たちは劣悪な[[生活環境]]のなかで[[健康]]を害する者が多く、とくに頻発する[[伝染病]]による被害は大きかったために、[[社会保障|救貧費]]が財政負担増の大きな原因となった。そこで、生活環境の根本的解決を目指す都市行政が進められることになり、さまざまな都市問題が認識されるようになったのである。


また日本で、都市問題なる語を最初に[[理論]]的、組織的に取り上げたのは[[片山潜]]である。ただし、片山は、当時の時おっぱい代的背景によって、都市問題から、それを根本的に解決するための社会体制の変革のほうに自身の関心を移すことになった。
また日本で、都市問題なる語を最初に[[理論]]的、組織的に取り上げたのは[[片山潜]]である。ただし、片山は、当時の時代的背景によって、都市問題から、それを根本的に解決するための社会体制の変革のほうに自身の関心を移すことになった。


== 都市問題と新都市社会学 ==
== 都市問題と新都市社会学 ==

2017年2月6日 (月) 05:36時点における版

都市問題(としもんだい、: urban problems)は、過密化や都市的生活様式によって発生する問題の総称である。

概要

都市問題は通常、都市へ集中した人口経済活動をめぐって起こる困難・混乱の現象として扱われ、具体的には住宅交通医療福祉教育環境の問題が挙げられるほか、都会特有の犯罪都市型犯罪)や麻薬アルコール中毒精神疾患なども含まれる。

都市問題の歴史

18世紀の著作家であるルイ=セバスチャン・メルシエは『パリの情景』のなかで、未舗装の泥道と下水設備がなく汚物にまみれたパリと、そこに住む無神経なパリ市民を描写した。その後も19世紀前半に至るまで劣悪な都市環境への告発が続いた。その頃には統計によってパリの人口増加率や犯罪発生率、都市環境と死亡率の相関などが見えはじめ、人々はパリの絶望的な状況に気が付き始めた[1]1832年コレラの大流行と、7月王政第二帝政と続いた政体の変化を契機に、パリの再開発は始まった。

19世紀の産業革命の進展とともにイギリス各都市で工業の発展・拡大が続くなかで、初めて為政者たちにとって都市問題が大きな問題となって取り上げられるようになった。都市に集中する労働者たちは劣悪な生活環境のなかで健康を害する者が多く、とくに頻発する伝染病による被害は大きかったために、救貧費が財政負担増の大きな原因となった。そこで、生活環境の根本的解決を目指す都市行政が進められることになり、さまざまな都市問題が認識されるようになったのである。

また日本で、都市問題なる語を最初に理論的、組織的に取り上げたのは片山潜である。ただし、片山は、当時の時代的背景によって、都市問題から、それを根本的に解決するための社会体制の変革のほうに自身の関心を移すことになった。

都市問題と新都市社会学

人口の過密化という観点からのみ都市問題を理解しようとする都市論では、資本主義経済システムにおいて都市が抱えるさまざまな矛盾の本質を隠蔽してしまうことになる。そこで、この矛盾の解剖を目指し、新都市社会学と呼ばれる都市社会学の一派が70年代に生まれた。

主な都市問題

脚注

  1. ^ 北山晴一『おしゃれの社会史』<朝日選書> 朝日新聞社 1991年 ISBN 4022595183 pp.13-35.

関連項目