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1300年代初期には「木田見」とある。16世紀後半頃に「喜多見」や「北見」と見られる。この付近は古くの古代集落の遺跡が発見されており、歴史は古い。地名の由来ははっきりしないが、アイヌ語説だと、「キタモッタイ」で森に覆われた広い平坦な地を意味する。
1300年代初期には「木田見」とある。16世紀後半頃に「喜多見」や「北見」と見られる。この付近は古くの古代集落の遺跡が発見されており、歴史は古い。地名の由来ははっきりしないが、アイヌ語説だと、「キタモッタイ」で森に覆われた広い平坦な地を意味する。


[[江戸時代]]には短期間ながら、この地に藩庁を置く[[喜多見藩]]が存在した。
[[中世]]には本拠地である[[江戸]]を追われた[[江戸氏]]が本拠地を構え、[[江戸時代]]には短期間ながら、この地に藩庁を置く[[喜多見藩]]が存在した。


== 関連項目 ==
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2006年6月21日 (水) 00:53時点における版

日本 > 東京都 > 世田谷区 > 砧地域 > 喜多見

喜多見きたみ)は東京都世田谷区の地名。小田急電鉄小田原線喜多見駅が通る。1丁目から9丁目がある。

地名の由来

1300年代初期には「木田見」とある。16世紀後半頃に「喜多見」や「北見」と見られる。この付近は古くの古代集落の遺跡が発見されており、歴史は古い。地名の由来ははっきりしないが、アイヌ語説だと、「キタモッタイ」で森に覆われた広い平坦な地を意味する。

中世には本拠地である江戸を追われた江戸氏が本拠地を構え、江戸時代には短期間ながら、この地に藩庁を置く喜多見藩が存在した。

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