「無産政党」の版間の差分

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社会大衆党は、戦前の無産政党の統一政党であり、また無産政党中の最大政党でもあった。その後行われた総選挙では勢力を増やし、戦前最後となる'''[[第20回衆議院議員総選挙|第20回総選挙]]'''において36議席(定数468)を獲得。遂に[[帝国議会]]第3党に躍り出た(1937年4月)。
 
しかし時勢の難局は同党に日中戦争肯定の立場を取らせ、次いで起った[[近衛文麿]]の[[新体制運動]]に積極的参加をさせ、遂に解党して[[大政翼賛会]]に没入することになった。
 
[[1937年]]3月には労農派の流れを引く合法左派の[[日本無産党]](日無党)が成立し、[[加藤勘十]]が総選挙で当選もするが、同年12月に[[人民戦線事件]]で、系列労組の[[日本労働組合全国評議会]]とともに幹部の検挙、結社禁止となり解散。
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